第177話 熱い夏で九尾なのじゃ
かれこれ、仕事も見つからないままに、すっかりと夏になってしまった。
失業保険の出ているうちに次の職を見つけようと思っていたのに、いやはや、いくら景気がよくなったといっても、なかなか人生ままならないものだ。
「のじゃのじゃ。桜が家におってくれると、帰って来た時、ひやっこくてよいのう」
「――嫌味かおまえこの野郎」
「のじゃ。そういうつもりで言った訳じゃないのじゃ。そんな拗ねなくってよいのじゃ」
仕事から帰って来た加代が、スーパーの袋をちゃぶ台の上に置いて一息をつく。
すぐにその中から、箱売りのアイスを取り出すと、二本それを取り出す。一本を袋に入れたまま口にくわえて、もう一つのほうを俺へと差し出した。
断る理由もないので、俺はそれを素直に受け取る。
アイスと食材を冷蔵庫へとしまい込む加代をしり目に、一人、その包装をはがして口の中へと放り込む。
円柱状になっているそれは宇治金時という奴だ。
とろりと甘い練乳が口の中へと流れ込む。
一日中、冷房の効いた部屋で過ごしていたというのに、なんとも美味しく感じるというのは、俺も無職生活が板についてきたのかもしれない。
いけない、働く喜びをはよ取り戻さなくては――などと気ばかり焦ってもしかたがないのだが。
「暑い夏には、抹茶アイスがよく合うのじゃ。宇治金時、練乳が入ってるのが最高なのじゃ」
「俺はラクトアイスとかのが好きだけどな」
「のじゃぁ。このしゃりしゃり、とろとろ感を楽しめぬとは残念な奴」
「それはどうも悪うござんした」
「――最近なんかよく謝ってくるのじゃ。桜、なんじゃかお主も随分と卑屈になったのう」
「そりゃこんだけ無職が続けば、卑屈にだってなるだろうよ」
しゃりしゃりの中に混じった小豆を口の中で転がしつつ、俺はちゃぶ台に突っ伏した。手の中にあった、求人雑誌を放り投げると、加代の方を見る。
のじゃぁ、と、苦笑いを浮かべながら、自分のアイスの包装を開けた彼女は、あえて俺に向かい合わず、直角の位置に座った。
こういうくさくさした気分のときには、まともにパートナーの相手をしないのも、一つのテクニックである。
それについて咎めるほど俺も了見の狭い男ではない。
それにしたって、こうして一緒に暮らしてみてあらためて思ったが、加代の奴もたいした女である。こんな暑い中、あくせくと働いてたいへんだったろうに、愚痴のひとつもこぼさず逆に俺を気遣うあたり、並の女にできるものではない。
流石は、三千年を生きた九尾。男を気遣うテクニックだけは、本物だなぁ。
気遣う相手が、こんなので申し訳ない限りだが。
と、そんな加代が、ごろり、と、俺の膝の上に頭を載せてくる。
口に咥えたままのアイスが、少しばかり崩れて内腿にかかる。ひやこいと跳ね上がりたい気分だったが、膝の上に加代の頭があっては動けない。
ふむ。
てっきりと、俺の相手が面倒臭いと思って、わざわざ隣に座ったのかと思ったが――。
「こう暑いと疲れも三割り増しなのじゃ。通勤だけで疲れてしまうというもの」
「あぁ、わかるぜ、俺も現役時代はそんな感じだったわ」
「のじゃのじゃ。会社着いたらアイスでも食べて一休みする――それくらいの時間的な余裕が欲しいものじゃのう」
「まぁ、パートタイムじゃ難しいよな」
「外国の一流企業だと、そういう福利厚生しっかりしておるのじゃ。ほれ、なんじゃったけ、ぐーぐりゃー、ごーごりゃ、とか、お菓子食べ放題とか聞いたことあるのじゃ」
そら、世界の検索エンジン、ありとあらゆる知のインデックスを一手に引き受ける、あの会社に勤めているなら、それくらいの厚遇は受けても罰はあたらんだろう。
というかそれだけのスキルがあるから、そこで働けるわけで。
俺らのような、中途半端なスキルの、中途半端な人材は、事務所に自販機置いてある程度でも御の字だってえの。
まぁ、人間というものには、それ相応の生き方――身の丈にあった幸せというものがえてしてあるものである。今こうして、加代の奴とごろごろしているのも、俺たちにとって身の丈にあったものなのだろう。
ごろり、と、心地よさそうに俺の膝の上に転がって、ひょこひょこと加代が耳を揺らす。
「のじゃ、会社にケアを求められないから、家庭にケアを求めるのじゃ」
「そうかい」
「――んん、桜の膝枕はほどよく冷えて心地よいのう。
「そんなんじゃねえよ」
「のじゃのじゃ。出世する人物は、こういう気配りができる人間なのじゃ。かの太閤秀吉も、主君の草履を温めるような気配りがあったから、あそこまでの立身出世ができたというもの」
きっとこの長い休暇が終われば、伏竜鳳雛、天下の大人物として世に出ること間違いなしなのじゃ、と、加代の奴は目をつむって言った。
諸葛亮にホウ統ねぇ。
戦国乱世ならともかくとして、世に出たところで役に立つとは思えぬ人材である。
しかし――。
「そんなことするより、俺はお前とのんびりこうして、家でごろごろしてる方がよっぽど性にあってるよ」
「――のじゃぁ」
ぱちくりと、目を見開いてこちらを見る加代。
珍しく優しい言葉をかけたからだろうか、それともよっぽど俺がそんなこと言うのが意外だったのだろうか。
なんにせよ、彼女は少し間をおいて、くししと笑うと、内またに頬をまたこすりつけたのだった。
「では、仕事が見つかるまで、存分に甘えるとするかのう」
「おー、いぬっころみたいに甘えとけ」
「のじゃぁ!!
つねり太ももの内側を指でつまむ九尾さま。
やめいやめいと、俺は彼女の頭を叩く代わりに、黄色い髪を撫でつけたのだった。
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