第163話 クリーニングで九尾なのじゃ
ほんの小さな出来事で愛は傷ついてしまうし、服も傷んでしまうので、結局のところはクリーニング屋というのは儲かるのだと思う。
いろいろ紆余曲折があり、一週間後に会社の面接を受けに行くことになった俺。
だが、分かりやすいことに着ていく服がない、もとい、スーツがない。いや、あるにはあるのだけれども、どっこいひどく汚れている。
会社員時代――派遣業をしていたこともあって、毎日来ていたものだけれども、どうしてここまでくたびれてしまったのか。あるいは、そんなことを気にしないほどに、俺は忙しく働いていたのかもしれない。
とまぁ、そんな訳で、これじゃいかんクリーニングに出さねばと、急ぎ駆けこんだ次第である。
数年前に信長の役をしていた人が、ちょっと若くなって熱血漢を取り戻したような、そんな感じの個人経営のクリーニング屋だ。
アルバイト募集の張り紙をそのとき覚えていたのが縁というもの。
結局、クリーニングに出してまで受けに行った面接を、ざっぱりと翌日お祈りされてしまった俺は、その店にダメ元でアルバイトを申し出てみた。
いやはやこれも同居人の影響だろうか、俺も随分と、いろんなことに対して諦めの悪くなったものである。
つっても、本業の方は祈られてすごすごとあきらめるという、軟弱としか言いようのない状況だが。
まぁそういうことは深く考えないでおこう。
人間、時にはこうして惰弱な時間も必要なのだ。
「そうそう、アイロンはそうやって愛情をこめて。仕事する時に着るものなんだから、パリッとしてないと、仕事にも差支えがでちゃうよ」
「なるほど、パリッと」
「みんながみんな、自分たちの仕事をすることで、この社会は上手く回っているんだ。アイロン一つと思うかもしれない。けれど、それでも、丁寧に目の前のシャツに神経を注ぐ。この自分の働きが、社会をよくしていると信じて手を動かす――」
仕事ってのはそういうものじゃないかな。
そう言って、家の中なのにキャップを被った、ロン毛の店長は言った。
なんて深みのある言葉なのだろう。
欺瞞と自己保身、責任のなすりつけ合いと仕事できるアピールにより、精神を摩耗してきた俺の心には、まるで塩を揉みこまれているようによく聞いた。
俺もこんな、でっかい心を持ったアンちゃんに、なりたいものだ。
「ところで店長。店長は俺が来るまで一人でこの店を切り盛りしてたんですか?」
「いや。妹や弟たちが手伝ってくれててね」
「へぇ、妹や弟さんが。それにしては姿が見えないんですが」
ぞくり、と、背中を何かが這ったような、そんなおぞましい感覚が走る。
店長がまるで俺に、余計な詮索はするなとばかりの、暗い眼を向けていた。
怖い。
晩年の信長のような流石の狂気を感じる。
まぁ、きっといろいろあるんだろう。いろいろ。
良い年齢をした家族がひとつ屋根の下で暮らしていくというのは、そうそう簡単にできるものではないからな。
と、まぁ、そんな所に、からりからりと入口の戸を引く音がする。
「いらっしゃい」
「もし。ここで毛皮を洗って貰えると聞いてやって来たのじゃが」
はい。もうね、そろそろ来ると思ってましたよ。
何を思ったか全ケモモード。頭の先からつま先まで、オキツネ全開の不思議生命体がそこには立っていた。そのくせ、アイ・ハブ・ナインテイルとか書かれた、パチもんのTシャツとジーンズは穿いている。
中途半端な羞恥心とネタが腹立たしい。
当然、それは俺の同居人、どこから聞きつけたか、加代であった。
「――毛皮の服のクリーニングは扱ってますが」
「のじゃのじゃ。ほんとうかえ。助かるのじゃ。
「しかし、動物の丸洗いはできません。大人しくペットショップに行ってどうぞ」
「のじゃぁ!? さ、桜よ、なぜここに!!」
またそんなしらじらしい。
いつも頼んでもいやしないのに、やって来るくせに。
全ケモモードを解除して、人型に戻った加代がこちらをぽかんとした顔で見る。どうしてできぬのじゃ、ぐぬぬ、と、食い下がっては来るけれど、普通に考えて、狐をクリーニングするなどできるはずがない。
海外では、猫を電子レンジに入れて訴訟になるくらいなのだ。
マンガじゃないのよ、そんなくるりくるりと洗濯機に入って周る絵面を考えて、モノを言ってもらっては困る。
「お客様は神様なのじゃぞ!! できる範囲で要望に応えるのが、接客の基本であろう!!」
「お前は神の使いのオキツネだろうが!!」
さっきも言ったが、おとなしく、ペットショップで洗って貰え。
というか、クリーニング屋はそういうお店じゃないっての。
あきれ果て、肩を落とした俺の横で、ふと、店主のアンちゃんが神妙な顔をする。
あ、これは、あれですわ、茶番が始まる感じのあれですわ。
「――小○?」
「のじゃ? アンちゃん?」
「いやいやいやいや、乗らんでいいよ、アンタら。というか、どう見てもお前は毛色が違うだろうが」
こんな金髪で、おバカっぽい小○が居ていいだろうか。
これではウイスキーがお好きになれない。
おいてきぼりな俺をよそに、ひしりと歩み寄る加代と店主。お互いに見つめ合うと、同居人のことなど置いてきぼりに、夕方五時のあのなんとも言えないドラマの匂いを醸し出してくれる。
この二人はなんだろうか、俺が知らんだけで、知人か何かだったのだろうか。
同じ劇団に所属しているとか、そういうのだといいな。
何にせよ、同居人の前で、やめてください、胃が痛いです。
と、そんな茶番を繰り広げる二人をよそに扉が開く。
これ以上複雑なキャラクターを増やしてくれるなよ、という俺の願もむなしく。
「実に面白い」
もうなんというか、小説だったらこの一言を書くだけで、いろんな方面に迷惑がかかり、睨まれることになるであろう感じの、白衣の男が現れた。
あんた、違うだろ。役が違うだろ。
「ちい兄ちゃん」
「だから乗らんでもいいし、そいつはちい兄ちゃんでもないだろう」
どっちかっていうとガーリ○――やめろ、これ以上可能性の芽を潰すんじゃない。
推理作家協会の理事長様だぞ。お前、バカ。
と、思っていると、今度は裏の扉が開く。
「腹が痛い!!」
「厠にでも行ってろ!! 馬鹿!! もう、ほんと、どうしたいの!!」
武将と言えばで有名な人まで出てくる始末である。
なんで鎧を着て車いすに乗って出てくるんだ。
どっちかにしてくれ、どっちかに。
「えっ、これ、俺も信長の格好した方がいいのかな?」
「じゃぁ、俺も坂本龍馬の」
「やらんでいいですから!!」
この人たちも、割と重要な役で大河出てるんだから。そういうのしたらダメでしょ。
ほんと、考えてくれ。いや、違う、そっくりさんだ、まったく関係のない、なんというか、クリーニング屋のひとつ屋根の下で生活していそうなそっくりさんだから。
「まぁ、あれじゃね。こっくりさんと、そっくりさんということで、オチはひとつ」
「そんなオチで許される訳ないだろ!! このアホ狐!!」
「のじゃぱーっ!!」
俺の
うむ、それはのりピー語ではないぞ。やるならやるで、ちゃんと最後まで、しっかりとやらんかい。
当然、そんな騒がしいクリーニング屋にいつけるはずもなく、俺は一週間でこのアルバイトをやめた。
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