第162話 コーヒー屋さんで九尾なのじゃ

 いったい誰が言い出したのか。いや、やりだしたのか、が、正しいだろうか。

 駅前のコーヒーショップで、マッ○を広げてノマドワーカーがカッコいい――なんてのが認知され始めたのはどうしてか。


 コーヒー屋で働いていると、来るわ来るわ、見るわ見るわ、パソコン広げて窓辺に座る、学生・若者・エリート商社マン。お前ら、もうすこしひねりのあるパソコン用意してきたらどうなのだろうか。

 日本人のこの全体主義的な流れにはいささか辟易する。

 というか、マッ○なんて、パワーマッ○がどうこうの時代ならまだしも、このご時世に使い続ける意味が分からん。


 お前らはデザイナーか、アーティストか、クリエイティブななんちゃらか。

 表計算ソフトとブラウザ使うだけなら、そんな高価なもんいらんだろう。五万円で買えるASU○の安くて薄いパソコンでも買っておきなさいなと言ってやりたくなる。


 俺は断然、Lenov○派だが。


「桜くん。向こうのテーブル空いたから、掃除してきてくれる」


「はい」


 まぁ、そんなことを考えたところで、給料が上がる訳でもないし、俺の仕事が楽になる訳でもない。平日の昼間から、おめめキラキラした学生やら若者やら見て過ごすというのは、今の俺のような人間には目に毒だな。


 なんてことを感じながら、俺はお掃除道具セットを手にすると、カウンターから出たのだった。


 例によって、俺は今、駅前に出店しているコーヒーショップでバイトをしている。


 求人雑誌に載っていたものの中で、比較的興味が沸いたからというのが、ここに通うようになった理由ではあるのだが。

 きっとこんな洒落乙な店に入り浸るようになれば、俺の気分も少しははれる――なんてことを想像したのだが。

 いかんせん、性根というのはそう簡単にどうこうなるものではない。

 暗澹とした日々を送っている人間にとってここは精神衛生上毒以外のなにものでもない。


 すぐに辞めるというのはどうかとも思うのだけれど、職場は選んだほうがいいだろうな――。


 テーブルを磨き上げ、次の人が使いやすいようにと、ナプキンやら調味料などを整える。椅子を整えてカウンターへと戻ると、すぐに交代でレジを任された。


「やれやれ。しかし、加代の奴が、横文字に弱い奴で助かった」


 こりゃまた絶対、あの狐の同居人が、俺の仕事場にやって来るかと思っていたのだが、意外、彼女はコーヒーショップに拒否感を示した。

 いわく、店のシステムが把握できないのだと言う。


SMLスモール・ミドル・ラージの世界で生きているわらわSTGショート・トール・グランデの世界はよくわからないのじゃ」


「――なるほど」


「そのうち食べものとか売り出したら手が付けられなくるのじゃ。ギガでもなく、ビッグでもなく、きっとお洒落な感じの食べものになるのじゃ――想像するだけで頭が言いたくなってくるのじゃ」


 心配しなくても、そんなガッツリご飯を食べるような店ではないのだから、そんなメニューが出ることは金輪際ないだろう。

 なにを心配しているのだ、この駄女狐さまは。


 まぁ、それはともかく。

 加代の奴がバイト先にやって来ないというのは、俺にとって幸いであった。仕事は肌には合わないが、邪魔をされないというのはたすかる――。


 とその時、からりからりと入口の鐘が鳴る。


「いらっしゃいま――」


 入って来たのは黄色いカーディガンを肩から被り、黒いサングラスをした金色の髪の女。ピンク色のマスクをつけた彼女は、いかにもお忍びという体をしている。


 しかし残念かな――黄色いお耳が見えているので一発で分かる。

 加代やんけ。なにしに来たんだこんな所に。


「のじゃのじゃ。私は旅のコーヒー好きの少女。なかなかいいお店だったので、つい立ち寄ってしまったのじゃ」


「なんて中途半端な設定。もうちょっとディティールにこだわれよ」


「はて、なんのことやらさっぱりなのじゃ」


 まず、のじゃ口調をやめれ。

 現代日本でそんな喋り方する奴なんて、おまえらみたいな狐ロリバッバか、こじらせたオタクくらいしかおらんての。


 どうやら俺の仕事ぶりを見に来たのだろう。

 同居人を心配して、あるいは親兄弟の働く姿を心配してという所だろうか。詳しいところはしらないが、いい迷惑としか言いようがない。できることなら、帰ってどうぞと全力で追い返したいところである。


 だが、一応、俺も雇われてここに居る。

 すぐに辞めるつもりではあるが、大人げない対応をして、禍根を残すことはしたくない。

 あいにく、この店では笑顔を0円で売ってはいないのだけれど、俺は営業モードに切り替えると加代の相手をすることにした。


「いらっしゃいませ、店内でお召し上がりでしょうか」


「のじゃ、お召し上がりなのじゃ。この、この、きゃりゃ、きゃりゃめ、ふら、ぺぷちー、ぺぷちの?」


「キャラメルフラペチーノですね」


「そうなのじゃ。その、を一つなのじゃ!!」


 オーレ!!

 なんだそのやけに陽気な飲み物は。そんなもん売ってたら、カウンターに居座ってるお洒落学生どもが、フラッシュモブかまして店から出て行くっての。


 全然言えてない。まったく言えてない。


 こいつの横文字耐性の悪さは、よくよく俺も同居しているから知っている。

 しかし、ここまでのものとは思っていなかった。そして不意打ちだった。

 ダメだ、表情筋が震えるのを抑えられない。


 俺は黙って口元を抑えた。


「のじゃ!? ちょっと、店員さん、なんでそんな笑ってるのじゃ!!」


「――いや、あんまりに、不意打ちだったもので、つい」


「なんなのじゃ!! 気が変わったのじゃ――それならわらわは、こっちのま、ま、まっち、ふら、ふりゃ」


「抹茶フラペチーノですね」


「それなのじゃ!! にするのじゃ!!」


 あぁ、なんて情熱的。そんな逞しい筋肉で踊られたら、俺、濡れてしまうわ。

 ぼふぅ、と、息を拭きだしてその場に倒れる俺。


 のじゃぁと、加代が叫び声を上げると共に、先輩店員が駆け寄ってくる。

 なんで抹茶も言えないんだよ、この駄女狐。お前、千年近く人間で生きているはずなのに。もうっ。こんなん、笑うないう方が無理だろうが。


 笑ってはいけないのジミーちゃんネタよろしく、まさか、客としての加代さんが、ここまでの笑いのポテンシャルを秘めているとは。

 やれやれ――侮れないものだな。


「桜、しっかりするのじゃ、桜よ!! えーしぇーへー、えしぇーへー!!」


「まさかそんな、日本語さえも怪しいなんて、ぐふ」

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