第91話 朝這いで九尾なのじゃ

「のじゃのじゃ!! 桜よ、まったくこんな明るいうちから、何を考えておるのじゃ、まったく!!」


 お前があんまり気持ちよく寝ているから、いたずらしてやろうと思っただけです。

 いや、あんまり言い訳になっていない、と、俺はため息を吐いた。


 のじゃ子に打たれた目が光を取り戻してから、はや一時間。


 すっかりと、やらしいことをしようとしていたと、のじゃ子に勘違いされてしまい、また、見事に懲らしめられた俺は、彼女に言われるまま朝食の準備をこなしていた。

 完全に弱みを握られてしまった、という奴です。

 これで俺が女の子だったら、触手みたいな尻尾と弱みで、数え役満だっての。ちくしょう、ってなもんである。


 ぽこりぽこりと、ランタンの上にのっかったステンレスのカップの中で、ミネラルウォーターが湯気をたてる。

 2リットル入りのミネラルウォーターは、昨日街に行った際に街に唯一あった商店で買ってきたものだ。

 同じく、買ってきた怪しいブランドのインスタント麺の袋をあけると、マグカップの中へと麺と袋ソースを放り込んだ。


「のじゃ、せっかく海外に来たというのに、朝食がこれでは味気ないのう」

「仕方ないだろう。日持ちしそうなものでこれしかなかったんだから」

「カエルでも捕まえてきてゆでればいいのじゃ。朝たんぱく質をとると健康によいらしいぞ」

「カエル食う時点で精神の健康上よくないので勘弁してください」


 まだそんなことを言っているのじゃ、と、ぶう垂れながら加代が俺からマグカップをひったくる。

 一緒に買ってきた、プラスチックのフォークを手にすると、彼女はそれでさっそくカップの中をかき混ぜた。


 こうしてインスタントヌードルでも、腹に入れられるだけ御の字だ。

 そんなことを思いながら、今度は俺の分をつくるべく、俺はマグカップにミネラルウォーターを注いだ。


「のじゃのじゃ。しかしまぁ、桜が朝から寝込みを襲いにくるとはのう」

「うっさい。違うって言ってるだろ」

「照れなくてもよいのじゃぁ。まったく、お主はほんにむっつりすけべじゃのう」


 完全に俺がこいつに気がある感じで片づけられているのが本当に腹立たしい。

 だから、そういうつもりじゃなかったんだって。

 そう弁明しても、きっとこの調子でまともに受けとられることはないのだろう。


 まったくなんてことをしてしまったのだろうか、と、激しく後悔するばかりだ。

 確実に寝不足で頭が沸いていたのだ。間違いない。


「しかしのう、そんなわざわざ寝込みを襲わんでも、頭を下げて頼んでくればわらわ同衾どうきんくらい」

「どうして獣ごときに頭を下げねばならんのか」

「のじゃあっ、けだもの、ここにけだものがおるのじゃ。あーれー、たすけてなのじゃー」


 けだものはおまえだろうが、ちくしょう、この駄女狐め。

 今に見ていろよ、そのうち今度はこっちが弱みを握ってやるぞ――と、思った時だ。


 突然、彼女はぼんと九尾をすべて展開すると、顔を真っ赤にして目を見開いた。

 どうした、と、尋ねる俺の前で、だばりと、彼女は口から面を吐き出した。

 マグカップからはねるその飛沫は――その顔と同じくらいに真っ赤だった。


「こ、こひゃっ!! こはぁっ!! なな、なんじゃこやぁっ!!」

「なんじゃこりゃって、インスタントヌードルだろ」

「かひゃい、辛すぎるのじゃぁっ!! のじゃぁ、謀ったなしゃくりゃあ!!」


 まぁ、エスニックな東南アジアの現地インスタントヌードルである。

 それは多少スパイスの効いたものだろうとは思っていたが、これは騒ぎ過ぎではないだろうか。


 水、水、と、騒ぐお狐娘。

 ずいとその手が伸びたのは、俺の手前にあったペットボトルのミネラルウォーター。


 しかし、惜しいかな、彼女の手はむなしく空を切った。

 なぜか――などとわざわざ原因を言う必要もないだろう。


「おおっと、加代ちゃん。どうやら、このお水が欲しくてしかたないようだなぁ」

「のじゃっ!? 桜よぉ、やはりお主、これを狙って!!」

「水が欲しければ言ってみな。『桜さま、散々からかって申し訳ございませんでした』ってな」


 ぐぬぬ、おのれとこちらを睨むアホ狐。

 しかしながら背に腹は代えられぬ。


「――しゃ、桜さま、散々からかって、申し訳ございませんでした、なのじゃ」

「ふはは!! いいザマだな加代よ!! 続けろ、『これからは、桜さまのことをバカにしたりしません』だ」

「――こ、これからは、桜さまのことを、バカにしたりしないのじゃ。こ、これで、いいのじゃ、早く、お水をくれなのじゃ!!」


 はっはっは、と、舌を出してこちらを睨む加代。

 さきほどまでの調子に乗った状況から、インスタントヌードル一つでこのザマとは――情けないお狐さまである。


「くくっ、足りないなぁ。それじゃあ許す気にはまだなれないぜ」

「のじゃあ!! 酷いのじゃ!! この鬼畜、悪魔、お狐の敵!!」

「なんとでも言え。そうだな、そしたら、次はこうだ。『好き好き、桜さま超愛してる。地球上の誰よりも、歴史上の誰よりもあなたが大好――』」


「あなたち、朝から、何壮大にのろけてるんですか?」


 ふと、横を見ると、メインカメラマンと、ディレクター、アシスタントディレクターが、こちらを見ていた。


 なにしているんだ、という怪訝な顔をこちらに向ける、アシスタントディレクター。

 いいもん撮ったな、という愉快な顔をこちらに向ける、ライオンディレクターとメインカメラマン。


 そんなユニークな表情をするスタッフを前に、俺と加代は顔を見合わせた。


「「ち、違う、これは、その、違うんだ!!」なのじゃ!!」


 なにがどう違うのか。説明するのに、結局、午前中という長い時間を要したのだった。

 ほんと、寝不足はよくない。

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