第90話 昨晩はお楽しみでしたねで九尾なのじゃ

「おはようございま――って、どうしたんですか、その眼の隈」


 アシスタントディレクターの女の子はテントを開けてこちらの様子を伺うと、すぐさま驚いた顔をした。

 仕方ないだろう、なんといってもほぼほぼ寝ずに俺たちは、ついさっきまでここ異国の地でプロレスをかましていたのだから。


 ようやく空が白んできただろうかということろになって、ようやく落ち着いたのじゃ子が寝入って、俺も一時間ほど仮眠をとったが――まぁ、その程度で旅の疲れをどうこうできるなら、俺はもっとはつらつとこの企画に取り組んでいるだろう。


 三十路男の身体能力を舐めてくれるな。

 デスクワーク中心だとな、人間、筋肉の退化が早いんだよ。

 おかげで昨晩も、のじゃ子にやられっぱなしであった。


 悔しい。

 女の子にまんじ固め、4の字固め、タワーブリッジ決められるなんて。


 しかも尾っぽ九つ全部使って絞め技使ってくるとかどうよ。

 下手な触手よりよっぽど危険なもん生やしやがって。お前それ本当、人前でやったらセクハラなんだからな、セクハラ。


 ちくしょう。


 この企画が終わって日本に帰ったら、まじめにジムに通おう。そう決意したマレーシアの夜であった。


「修理屋さんが来るまでまだ時間がありますから、まだ寝ててもらって構いませんけど」

「いや、車通りもあることだし、いつまでもテント出してると悪目立ちするでしょ。朝食も食べたいし、起きるよ」


 そうですかと、どこか心配そうに眉をしかめて、それからアシスタントディレクターはテントの外へと出て行った。

 こらえていたあくびを開放し俺は目を擦る。


 再び寝袋の中へと入りたくなる気持ちを抑えつつ、すよりすよりと寝息を立てるのじゃ子の前に俺は立った。


「のじゃぁ、桜、ダメなのじゃぁ。そんなにいっぱい、おいしいからってカエルばっかり食べられないのじゃぁ」


 ちくしょう、勝ったからって気持ちよさそうに寝やがって。

 つくづく腹のたつお狐野郎である。


 寝袋へと垂れていた涎をじゅるりとのじゃ子がすする。


 ふと、その時、だ。


「今ならこいつに勝てるんじゃねえ?」


 そう、俺の中で悪魔が突然に囁いたのは。

 それはもう昨日の夜は一方的に凌辱されてしまった俺である。

 尻尾という尻尾に体の自由を封じられて、好き放題技をかけられるがままだった。


 しかし。この小さい寝袋に入るため、いま、のじゃ子の奴は尻尾を引っ込めている。

 それどころか、完全に油断しきって眠ってしまっている。


 これは復讐のチャンスではないのか。


 俺の中のエドモン・ダンテスが、復讐を、復讐を、と、叫ぶのを俺は感じた。巌窟王、見たことないけど。


「ふふっ、のじゃ子よ。夜行性だったのが仇をなしたな。昼間のお前は、随分と無防備だぜ」


 そう言って、俺はそっとのじゃ子が入っている寝袋のジッパーを静かに静かにおろしはじめた。

 まずは何を仕掛けてやろうか。


 いわゆるあれだ、恥ずかし固めなどどうだろうか。

 いや、けれど、これは深夜といっても全国放送の番組だぞ。そんな番組で、恥ずかし固めなんて技を使って、果たして許されるのか。


 待て待て、それを言うなら、俺の昨日のお狐尻尾凌辱地獄も、なかなかのコミック○ァルキリーな絵面だったぞ。

 あれが大丈夫なら、恥ずかし固めも――。


「のじゃぁぁ? もう、朝なのじゃぁ? むぅうぅ、なんだか、前がスース―するような――」


 そんなことを考えていたからだろうか。

 俺は、のじゃ子が目を覚まそうとしているということに、まるっきり、すっかり、ちっとも、気付かなかった。


 その声に、初めて我に返って、そして。


 鼻の先で、きょとんとした顔で、こちらを見ている、加代の熱っぽい視線に気が付いたのだった。


 まぁ、そんな表情をしてしまうのは、仕方ないよね。

 だって同居人が、自分に気づかれないように息をひそめて、そっと自分の寝袋のジッパーを降ろしているんだもの。

 たとえそれが気心の知れた同居人だったとしても、男と女の許されざる壁は高いってもんだよね。


 違う。そう、違うんだ、のじゃ子。

 これはその、崇高な復讐の――。


「の、のの、のじゃ、のじゃぁあああああっ!!」

「ほぉうっ!! 目ぇっ、目がぁああっ!!」


 寝袋の中から神速の如きに飛び出したのはのじゃ子の手。

 その即座に俺の目玉を深く眼孔に押し込むと、しばしの間だけその光を奪ったのであった。


「ふぅ、狐眼流奥義、尻尾流れ!! できておる喃、やってくれた喃なのじゃ!!」

「なにその異形格闘漫画みたいな必殺技――」

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