第86話 簡単ライダーで九尾なのじゃ

 歴史あるマラッカの街での観光もそこそこに、俺たちはシンガポールに向けてバイクで出発した。


 なんといっても、シンガポールまで200kmの旅路を一日で走破しなくてはいけないのだ。

 途中に泊まれるような街もなくはないが――画的にも面白くない、また観光する場所もないということで仕方がない。


「そしてなにより、カブだと高速が使えないのが面倒なんだよな」

「のじゃ。下道をのんびりいくのもいいものなのじゃ」

「そりゃお前、日本だったらそういうことも言えるけど、ここは外国だぞ」


 ヘルメットの無線でそんなことを言いながら、かろうじてアスファルトで固められた道を行く。

 道行く人などから手を振られつつ、なんとも牧歌的なロケである。

 いったいこんな街並みや現地風景にどれだけの人が関心があるのか、こっちとしても気になるところだ。


 というか、こんなん絶対後でカットするところだろう。

 ハプニングでも起こらん限り。


 なんて思った矢先、ヘルメットの無線から加代の声とは違う、渋い声色の唸り声が聞こえてきた。

 ライオンディレクターである。


「うーん、なんかちょっと単調過ぎるよね。これだと視聴者が飽きちゃうっていうか」

「うぉい、企画に巻き込んでおいてそういうことを言うかねディレクター」

「のじゃのじゃ。ディレクターさん、妾もちょうどそんなことを思っていたところなのじゃ」

「ここいらで一つハプニングの一つでも起きてくれれば――」


 やめい。

 無事にシンガポールにつければそれでいいじゃないか。


 無理に話を面白くする必要はないだろう。

 というか、そうやって無理に面白くしても、視聴者もついてこれないっての。

 ハプニングってのは予期しない形で起こるから面白いわけで。


「こんなことなら、なんか人形抱いてとか、そういう感じの旅にすればよかったなぁ」

「のじゃ。マスコットキャラクターに扮して、桜が同行するとか」

「九尾のマスコットがなにを生意気言ってるんだよ。いいんだよ、ハプニングとかさぁ、そういうのはさぁ」


 笑いの神様ってのはそんな意図して降ってきてくれるようなものじゃないんだよ。


 そう思った矢先、前を走っていた加代のバイクが、チッカチッカと後部ライトを光らせた。

 緩やかに減速していく加代。どうかしたのだろうか、と、思っているうちに、彼女はバイクを道の脇に停車すると、ヘルメットを脱いだ。


「なんだ、どうしたんだ、おい」

「のじゃ。そういえば、この企画に参加してからすっかりと忘れておったが、加代さん、起きている時は定期的にあぶりゃーげを摂取しなくてはいけない、あぶりゃーげ依存症だったのじゃ」

「聞いたことないんですけどそんな依存症」


 あぶりゃーげ食いたいのじゃ、食いたいのじゃぁ、と、突然に言い出すのじゃ狐。

 別に長い付き合いでなくっても、こいつが番組の盛り上がりのために、アホなことを言い出しただけだということは分かる。


「だからそんなんいいんだよ。お前、今までこっち来てからろくすっぽに油揚げ食べてねえじゃねえか」

「――のじゃ。やはり唐突過ぎていかんかのう」

「そうだよ。視聴者も納得しねえよ。ほれ、さっさとバイクに乗って、シンガポール行くぞ」


 のじゃ、と、つぶやいて、ヘルメットをかぶるのじゃ子。

 バイクにまたがり、再び俺たちは進みだしたが――それから1kmも進まないくらいで、また、のじゃ子が突然停車した。


 ヘルメットを脱いで神妙な顔をするのじゃ子。


「なんだなんだ、今度はどうしたんだ」

「のじゃ。実はのう桜よ、妾、満月の夜にはお狐としての野生が目覚めてしまうという秘密があってのう」

「夜でもないし満月でもないだろ!! お前、だから、そういうのはいいって言ってるだろ!!」


 しょうこりもなく、訳のわからんテコ入れをしようとする加代。

 だからそういうのは要らないんだっての。


 だいたいお前、そんな妙な設定をこの番組のために作って、一生演じ続ける覚悟はあるのかよ。

 やめとけやめとけ、そんな不毛なこと。


 ほれ、さっさとシンガポール行くぞ、と、俺は加代の奴をせかす。

 これもダメかと諦めた彼女はすぐにバイクにまたがったが――。


「のじゃ。これはどうかのう、桜よ」

「だからお前、そういうのは別に要らないって言ってるじゃんかよ!! 行こうよ、素直にシンガポールに!!」


 50mも進まずにバイクを止めて、こちらにアホ狐は駆け寄ってきた。


 天丼か。

 もういいんだよ、と、俺はあきれながらヘルメットを脱ぐ。


 こいつは一度、面と向かって怒ってやらんとわからんみたいだ。


「今度はなんだ!! お前、これでまたしょうもないことだったら、俺はもう一人でシンガポール行くからな!!」

「のじゃ。そんな怒らんでもよいではないか」

「怒るわ!! 俺はね、最低限文化的な都市で夜を明かしたいの!! はよ都市につきたいの!! ベッドでちゃんと寝たいの!!」

「のじゃのじゃ。桜よ、野宿は初めてなのじゃ?」

「そうだよ。お前と違って、こちとらここに来るまで、まっとうに生きてきたからな」


 普通に生きてれば野宿なんてするもんじゃない。

 徹夜するにしても、ファミレスやファーストフード店で夜をあかすとか、そういう風にして回避するもんだ。


 野宿なんてそれこそこんな旅でもしていなくちゃ――。


「って、待て、おいまさか」


 にやり、と、のじゃ子が笑う。

 あぁ、しまったのじゃぁ、と、わざとらしくつぶやいて、のじゃ子はバイクをわざとらしくこかした。


「バイクがこけてしまったのじゃ。これは壊れてしまったかのう。これ以上走ることはできないのじゃぁ」

「――なんだそりゃ」


 けらけらと、なんでもない顔をしていうのじゃ子。

 そんなんで壊れるかい、と、棒読みのセリフをのたまう加代に、心の中でキレる俺。


 付き合ってられん。

 俺はヘルメットを無言でヘルメットをかぶると、バイクへとまたがった。

 と、当然、加代が焦ってこちらを見る。


「のじゃ、どうしたのじゃ桜よ!! ほれ、見るのじゃ、妾のバイクはこの通りこけて壊れて――」

「さっき言ったよな。こんどしょうもないことしたら、お前をほっぽって一人でシンガポール行くって」

「のじゃ!! 待て、待つのじゃ、桜よ!! ほんの冗談ではないか――」


 ふぉん、ふぉんとマフラーをふかして俺はカブを出発させる。

 残酷、無慈悲、人の心がない。

 どうとでもいえ、畜生はあのアホ狐の方だろう。


 なにが野宿だ、俺はそんなもん死んでもやらんぞ。


 そう固く決意してハンドルを握る。

 なに大丈夫だ。あの情けないお狐様に、一人で野宿するような根性はない。きっと、待ってくれ桜よ、と、すぐにおいかけてくる。


 おいかけて――。


 おいかけて――――。


 おいかけて―――――――。


「こねぇ!?」


 思わずカブを急停止しして、後ろを振り返る。

 どうしたことか、一向に、加代はこちらに向かってこない。どころか、バイクを前に、あたふたとしている。

 見れば、車からディレクターたちも降りてきて、なにやら加代のバイクを囲んでいる。


 いや、これは、もしか、して。


「のじゃぁ!! 桜よ!! 本当にバイクが壊れてしまったのじゃぁ!!」


 情けない声が無線から響く。

 途端、俺は加代たちが停車している場所へと、Uターンして戻ることとなったのだった。

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