第61話 年末の恒例行事で九尾なのじゃ

 元先輩で漫画家の知り合いが、年末割のいいバイトをしないかと言ってきた。

 なんと言っても年末だ。金は要りようで、いくらあっても困らない。


 二つ返事で、引き受けた俺だったが、まさか、毎年話題に上がるような場所に、やってくることになるとは思っていなかった。


「のじゃぁ、すごい人なのじゃ。いったいどこからこれだけの人がどこから集まってくるのかのう」


 日本中だろう。

 なんせ年に二度のお祭りだからな。


 東京。

 有明。

 あとは分かるな。


 でかいのこぎりのオブジェがある、とある展示場の一角で、俺はパイプ椅子に座って、行きかう人を眺めていた。


 まぁ、先輩、オタクだからなぁ。

 声かけられたときに、考えなかったといえば、嘘になっちまう。


「のじゃ、見るがよい、桜よ。耳を生やした女子がいっぱいおるぞ。あれは、猫股かのう。のじゃ、犬耳もおる。犬神というやつかのう」


 そして、ここにこのオキツネ様を、一緒に連れてくることになるとも、思っていなかった。

 だって、正月に一人は嫌じゃ、なんて駄々をこねるのだもの。

 おかげでおこづかいが半減だが、まぁ、それなりに貰ってるし、ご飯もおごってもらえるそうだし、よしとしようか。


 と、そんなところに、本を持ってやってくる訪問者。

 もう既に新刊ははけている。となると、やってくるのは先輩の知り合いだ。


 変名で参加しているとは言っても、知っている人は知っている。


 やってきた人も、明らかに漫画描いている風の、ちょっと垢抜けない男性だった。


「すみません、円山郭死角之介まるさんかくしかくのすけ先生のブースはこちらですか?」

「あぁはい。すみません、先輩、ちょっと出払っちゃってて」

「あ、そうなんですか――」


 残念そうに肩を落とす男性。

 しかし、すぐに彼は気を取り直すと、俺に手にしていた薄い本を差し出してきた。


「あの、これ、新刊です。先生に渡しておいてください」

「これはどうもありがとうございます。また、後で先輩には連絡しておきます」


 丁寧に何度もお辞儀をして、去っていく男性。

 そんな人が、さきほどからかれこれ、片手で数えられないほど、ここにはやってきている。まぁそういう慣例なのだろう。


 かくいう先輩も、自分の本を持っての挨拶周りだ。

 こんな風に、入れ違いになった際にちゃんと対応できるよう、俺を雇ったという所だな。


「のじゃ、しかし、面妖な場所なのじゃ。こんなに雑然としていては、妾のようなあやかしが、紛れ込んでも分からんのう」

「原宿あたりもこんなかんじらしいぜ」


「あの、すみません」


 そんなやり取りをしているところに、また客人である。


 はいはい、どうもすみません、なんでしょうか。

 のじゃ子から視線を移動しつつ、返事をした俺。


 女の声だ。女性作家と交流があるなんて羨ましいな、なんて、思ってそちらを向いた俺は、その声の主の衝撃的な容貌に、背筋を凍らせた。


 まるで喪服のように、黒、黒、黒。

 黒色のゴシックな服に身を包んだ女。

 病的なまでに白い肌と、不安にさせる緑色のカラーコンタクトを入れたそいつは、とっぷりとついた黒い隈を歪めて、目だけで笑ってみせた。


 まるで青磁のような青々しい腕をこちらに伸ばして、差し出したのは薄い本ではなく、リボンの捲かれた小さな箱。


「これ、どうぞ」


 なんだ、こいつは。


 まずい、まずい、まずい、まずい、と、早鐘のように心臓が鳴り、警告を発する。

 のじゃ子と一緒にいる時には感じたことのない、得体の知れない恐怖。


 こんな奴が居るのか。

 こんな内臓を喉から引きずり出されるような、嫌悪感を伴う邪悪さを感じさせる存在がこの世に居るというのか。


「あの、どうされました」


 受け取ってはいけない。


 しかし、それでも、体が反応しそうになる。


 やめろ、それをしてはいけない。


 そう思っても、腕は持ち上がり、そのプレゼントを受け取ろうとする。


 駄目だ。これは、し――。


「おい、これは、妾のものじゃ。横取りするでないぞ」


 隣にいつの間にか立ち込めていた、正面の存在に相対する邪悪。

 まるで頭から煮えたぎった油をぶちまけられたような、焼けるような、はじけるような感覚が、俺の体全体を襲った。


 目の前の女の口元が緩む。

 すっと、俺に差し出した手を引っ込めた、そいつ。

 まるで、最初から話しかけていなかったみたいに、俺から興味のないように視線を逸らすと、すいと風のように立ち去っていった。


「のじゃ。厄介な奴が紛れこんどるのう。まぁ、祭りじゃてしかたないか」

「――ありがとな、のじゃ子」


 のじゃのじゃ。気にする出ないぞ、と、いつもの明るい声で言うのじゃ子。

 だが、俺は暫く、肌のひりつく感覚に怯えて、彼女の方を向くことができなかった。 

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