第41話 生きているのが辛くって九尾なのじゃ

「だからさぁ、何度言ったらわかるの? そういう中途半端な指示持ってこられても、こっちとしては動けないって、言ってるわけじゃん」


「のじゃ。のじゃぁ、けど。仕様書にはちゃんと書いてあ――」


「てめえの日本語が書けてねえっていってんだよ。ったく、ほんと、使えねぇな。大学卒だっけ、もう一回小学校に入ったほうが良かったんじゃねえの、


 のじゃ、のじゃ、と、俯いて唇を噛み締める狐娘。

 

 なんとか狐耳と尻尾を隠すことには成功している。

 だが、駄目出しのラッシュに完全に放心状態である。


 そこまで言う必要があるのかね。

 たかが、のために、仕様書の重箱の隅突いて、仕事ができないだなんて。


 正社員様だろうが派遣様だろうが、人間なんだからできないことくらいある。


 全部仕様が決まってなきゃ動けねえとか、てめぇは餓鬼か。

 分からないところはそれなりに作って、後で調整すりゃいいだけだろう。


 それが無理でも、取引先泣かせて思考停止させるのが仕事の流儀ってんなら、なんとも前時代的なプロフェッショナルである。

 案の一つや二つを持って、相手を納得させるのが筋だろう。


 まぁ、それすら考えるのが面倒くさいんだろう。

 人をいじめたり、サボることを考えるのには頭は回るのにな。


 アホくさ。


 仕事したくねえなら自宅でAVでも見て自家発電してろ。

 電気料金払うだけまだ社会に貢献してるってもんだ。


 俺が派遣されている会社に、アホアホ狐が転職してきてはや一週間。

 例によって、会社に受かるには受かるが、仕事をやらせりゃダメダメな九尾。

 そんな彼女は、性質タチの悪い隣島の派遣社員連中に絡まれて、痛い目に合っていた。


 まぁ、この手のものは自分でなんとかするものだと、俺も傍観を決め込んでいた。

 かくいう加代も、駄女狐なりにプライドがあるのだろう。

 俺に助けを求めるようなことは一度もなかった。


「なに、加代ちゃん、泣いてんの? いいよね、正社員様は、そうやってすぐ感情的になれて。俺ら派遣社員だから、上がどんなノータリンでも文句いえないしさぁ」


「……ノータリンじゃ、ないのじゃぁ」


「別に加代ちゃんのことって言ってないじゃん。やだ、なに、被害妄想乙」


 おう、草生やしてるな。


 こいつ絶対女子にモテんわ。


 ぐすり、と、その時、加代が鼻をすする音が聞こえた。


 あぁ……。

 こりゃ、そろそろ潮時かも分からんね。


 俺はそっとデスクから立ち上がると、隣の島へとふらりと入っていった。

 向かう先はオキツネさんである。


 涙を流してその場に蹲る彼女の横に、俺は少し悪ぶった感じで立ってみた。

 のじゃ、と、彼女の視線が俺に向いたその時――。


「おい、こらボケ狐コラ!! いつまでプロジェクト遅滞させてんだオラ!! お前らのとこが終わらねえと、こっちがいつまでたっても仕掛かれねえんだよ!!」


「のじゃ!? しゃくら、お主まで――のじゃっく、のじゃ、のじゃぁあああ!!!!」

「泣くなボケ!! ったく、しょうのねえ奴だな――」


 泣きじゃくる狐娘を胸に抱く。

 ぽんぽん、と、その震えている小さな肩をたたく。


 そして、もう大丈夫だぞ、と、彼女だけに聞こえる小さな声で、その黄色い狐耳に囁いた。


 聞こえていないのか、聞く余裕もないのか。

 のじゃのじゃ、と、まだ泣きじゃくる加代。


 まぁいい。


 俺は加代から視線を――隣島の別の会社の派遣社員へと切り替えた。


「あっ、なんすか、隣島の」


「おうこら、今どうなってんだ、仕様書見せろこら」


「いや、あんたも見てただろ。そいつが中途半端な仕様を――」


「いいから寄越せって言ってんだろ、ボケ。そのただでさえ詰まってねえ脳みそぶちまけてやろうか、○すぞ」


 青い顔をして、男はプリントアウトされた仕様書を寄越した。


 おうおう、わかんねえと言う割りに、要件定義も画面もシーケンスもちゃんと書かれてるじゃねえか。


「どこができねえんだ?」


「チャンネル変換についての処理なんだが合成方法について仕様が――」


「書いてあるだろ式が」


 ほれ、ここ、と、俺は仕様書を指した。


 確かにそこには、まともな学校出てたらまず分かるだろう、グレイスケールの変換式が書かれていた。


「いや、けど、実際どうやるか」


「単純にダイアログにビットマップ表示するだけだろ。エッジ抽出もアフィンもかけてないんだ、別にカメラから取得したバイト配列弄くればすぐだろうが。いまどき大学生でもこんなことやってるぞ」


 ちょっと見せろや、と、俺は男のノートパソコンを奪う。


 ご丁寧に閉じられていたIDE。立ち上げる時間も勿体無いので、代わりに、デバッグ環境のフォルダを開くと、俺は仕様書に書かれているダイアログを確認した。


 おうおう。

 こりゃまた綺麗に天地反転。

 斜めに世界が歪んでおりますな。


「おい、オラ、変換できてねえにしろ、入力出すくらいまではやっとけやこら」


「いやその」


「できてねえじゃねえか。おい、お前よぉ。お前か、お前が俺の仕事を遅延させてんのか」


「そんな」


「おい、コラ、このクソみてえなコードをよお、受け入れたこっちが修正してって、それはそれでまた時間がかかるんだぜ。ちゃんと次の工程が回るように造っとけや。カスプログラマーが。俺が毎日十時過ぎまで残って仕事してんのはよぉ、お前が中坊レベルのコーディングかまして、クソほどバグ仕込むからか。あぁ、オラ、ボケコラ、カスコラ」


「それは、こいつがちゃんとした指示を出さないから」


「指示はちゃんと出てるだろうが。あとはてめえがどれだけその指示を、腐らずにこなすかダケじゃねえのか? えぇ? 違うか?」


 何か言いたげに男は俺を睨んだが、メンチを切り返してやるとハムスターのように小さくなって黙った。


 よかった、無駄にヤンキー面してて。


「のじゃぁあっ!! じゃくらぁあああっ!! ありがぁああどぉぉおお!!」


「うっせ馬鹿。鼻水塗りたくるな、このアホ狐」


 びょこびょこびょこと、頭の狐耳を激しく動かして感謝の意を伝えるアホ狐。

 鼻水に毛まで飛び交って、こりゃまた仕事にならんくらいの大惨事だ。


 まぁ、ちょっとは元気になったようで、よかったよかった。


「しかし、助ける気はなかったんだがな。あんまり酷くてついやっちまった」


「のじゃ? なんでなのじゃ? ははん、さては桜ってば、ツンデレなのじゃ?」


「いや、その、なんというかな――」


 俺も、そこのアホも、やってることが低レベルすぎて。


 正直、ネタにしていいのか。

 ほんと、こんなん会社でやる内容じゃないっての。

 大学の研究室でもまだマシ。


 


「あんまりイキって言うと、後でしっぺ返しくらいそうなんだよな」


「のじゃ。そんなのわらわの尻尾で払ってやるのじゃ」


「おぉ、頼もしい、頼もしい」


 ついさっきまでべそかいてた奴が何を偉そうに。

 ほれ、まだ、瞼に涙が溜まっとるというの。俺は彼女の目じりに溜まったそれを、そっと人差し指で拭ってやった。

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