ためし読み②

 甘く鈍く、胸が痛む。恋とは、なんて苦しいのだろう。

 こうして宴を離れ、一人冷静になればすぐにこの想いも落ち着くだろうと思っていた。先程あんなにも我を忘れたのは、彼がそばにいたから。一人になればきっと、今までのジュリエットに戻れると思ったのだ。

 けれど、いくら自分に言い聞かせ冷静になろうと努めても、消えない想いがあるのだと知った。むしろ、時が経つほどに強くなるようだ。

「ロミオ……」

 気がつけばその唇は、愛おしい人の名を呟いていた。

 名前を口にした途端、甘美な幸福感が膨らむ。

(ロミオ、会いたい……)

 会ってもう一度、あの涼しげな瞳を見て言葉を交わしたかった。けれども、キャピュレット家の一人娘であるジュリエットには、それができない。彼は、モンタギュー家のロミオなのだから。


「ロミオ……どうして、あなたはロミオなの?」


 残酷な現実に打ちひしがれて、ジュリエットは嘆いた。モンタギュー家のロミオという名前、それだけが最大で度し難い恋の障害だった。

「ロミオ。あなたがロミオという名前を捨ててくれたらいいのに。そうすれば、私もキャピュレットの名を捨てるもの」

 父との縁を切り、ただひとりの男と女としてまた出会うことができたら、どんなにいいだろう。だがいくら夢想しても、それは甘い夢にしか過ぎない。名前を捨てて生きることなど、若く力も持たない二人にできるはずがないのだ。

 それでもジュリエットは祈らずにはいられなかった。彼がロミオでなくなり、ただの青年となってくれることを。

「モンタギューという名前を捨てても、あなたはあなただわ。モンタギューという名前は、手でも足でも、胸でも顔でもない。人間の体のどの部分でもないのよ。だから、別の名前になって、ロミオ」

 バルコニーの手すりに頬杖をつきながら、月を仰ぎ見てジュリエットは囁いた。行き場を無くした恋心が、ジュリエットの想いを言葉に変えて唇を震わせる。

「私たちがバラと呼んでいる花を別の名前にしても、その美しい香りはそのままよ。だから、ロミオという名前をやめたところで、あなたは変わらない。だからねえ、ロミオ。その名前を捨てて。……そして、その代わりにこの私を受け取って」


「――受け取るよ」


 夜の闇の中から響いた声に、ジュリエットはぎょっとしてしゃがみこんだ。よもや誰かが聞いているとは思わなかったのだ。

「だ、誰?」

 うろたえながらも、ジュリエットは恐る恐る立ち上がり、バルコニーの外へと視線を向けた。この切なる想いを、誰かに聞かれるわけにはいかない、秘められるべき告白だ。人の姿を探して懸命に目を凝らしていると、くすりと笑う声が聞こえた。

「恋人って呼んでくれたらいいんじゃないかな。それが僕の新しい名前だから」

 笑いを含んだ声だった。

 木々の合間から聞こえてきた涼やかな声に不安とうろたえが消え、驚きと喜びが胸に訪れるのをジュリエットは感じた。聞き覚えのある声。これは――

「まさか、ロミオ……?」

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