第三章 愛情の探索④

 『妖精ニュンペーのパン屋』にやってきたリリィは、どうやら元気がないみたいだ。それにいち早く気づいたカエルレアは、店の端にあるテーブルと椅子に案内すると、そこで彼女の悩みを訊きだそうと試みた。

 紅茶を一口飲み、少し間を置いてからリリィに尋ねる。

「リリィ、どうしたの?」

「……レア。実は……」

 言い難そうに話し始めたリリィの話に、カエルレアは息を飲んだ。

「薔薇のケースって、婚約の時にあの王子から貰ったものよね……? それを、失くしちゃったの? でも、それって」

 華族にとって、お伽噺を守ることは大切なことである。華族の家の者同士の婚約の場合、男性が将来を誓いあった相手に対し、宝物をひとつ与える。その宝物を、女性が結婚式までの間、忘れず傍に置いていくと、二人は一生離れることなく、共にいられると云われている。

 どうやらその大切な宝物を、リリィはどこかに失くしてしまったらしい。それは手放したということになるのだろうか。

 結婚式の最後に、女性が男性から貰った宝物を返すことにより、二人は一生の誓いを立てることになるというのに。もし五日後の結婚式までの間に、ウーゴから貰ったプレゼントが見つからなければ、二人は結婚式を挙げられないどころか、クローリスとトランダフィルの間に亀裂を生む可能性もある。いくら平和なこの国だとしても、隣町同士がずっと温厚でいられるほど光ばかりではないのだ。

 一瞬、リリィが結婚しなければずっと一緒にいられるじゃない、という考えが頭をよぎったが、カエルレアは頭を振って雑念を追い払う。

(ダメよ、レア。いくらあの王子がいけ好かないからと言って、リリィにとっては最愛の男なのだから)

 だけど、どうしてリリィが大切に保管していた青薔薇のケースが、彼女の部屋の中から消えるのだろうか。徹夜で部屋中探したとリリィは言っていたので、話を聞く限りでは部屋の中にはもうなさそうだ。リリィは外に持ち出してはいないと言っている。

(やっぱり、誰かが盗んだのかしら)

 その可能性が一番ありうるだろう。

 リリィは、人を疑うのが苦手だ。長年の付き合いから、カエルレアはそれを知っている。

 そんな彼女に、「使用人の誰かが盗んだんじゃないの」と聞くことは憚られた。

 うんうんカエルレアが唸っていると、ふと、横から声をかけられた。

「ね、お姉さんたち。何の話をしているの?」

 そこには肩ほどまである赤髪をひとつに結んでいる、少年がいた。

「あなたは……」

 一週間と数日前、カエルレアが一人で店番をしているときに、パンを買いにきた少年だ。人懐っこい笑みで、カエルレアとリリィの顔を交互に見てから、漂う雰囲気に、気まずそうに頬をぽりぽりと掻く。

「あ、あれ。ごめんね。間が悪かった?」

「い、いいえ。あの、レアの、知り合い?」

「うん。一応、この店のお客さんだけど」

 赤髪の少年は、思い出したかのように、口を開いた。

「そういえば、まだ名乗ってなかったよな。ボクの名前は、ガーベラって言って、母さんが付けてくれたらしいよ。母さんには会ったことないから、本当のところは分からないけどねぇ……って、おっと、これは余計な情報だった」

「あたしは、カエルレアよ」

「初めまして、ガーベラ。私はリリィです」

 頭を下げるリリィをまじまじと見ていたガーベラが、吐息を漏らす。

「……すごい。本当に白いや。ねえ、その髪の毛って、本当に産まれつき?」

「はい。勿論です」

「へえ、触ってもいい?」

「え、あの、それは……」

「ガーベラ、リリィには婚約者がいるのよ。いくら子供だからと言って、気安く女の子の髪に触ったらダメよ」

「……ちぇ」

 ガーベラが少し不機嫌そうに舌打ちをするが、すぐに笑顔に戻った。

 無邪気な子供そのものといった様子に、カエルレアは微笑ましく思い口を綻ばせる。リリィも、さっきまでの靄のようなものが和らいだのか、普段と変わらない笑みを浮かべている。

 この少年は不思議だ。彼が話すと、周囲にわだかまっていた緊張感が和らぐように感じる。



 ガーベラを加えたお茶会は賑やかになった。それまで暗かったリリィの表情は、いつもと変わらない笑みに戻っていた。

 不安が和らぎ、カエルレアも楽しそうに話すガーベラの話に相槌を打つ。

 ガーベラは、いつもは別の町に暮らしているそうだ。いまは八つの月の終りなので、学び舎の休みが重なっているから、クローリスに遊びに来たと言っていた。クローリスには、四季折々の様々な花が咲く。他の町では、その町にとって大切なお伽噺にまつわる花しか咲かないというのに、クローリスは例外なくどんな花でも種と時間さえあれば咲かせることができる。睡蓮の花だってそうだ。この季節に町中を歩いていると、池などでよく見掛ける。

 そういえば、リリィの名前の由来である百合の花も、ちょうどいまの季節だ。ガーベラは春や秋に咲く花で、薔薇の花も秋だろう。

 ぼんやりと、カエルレアが考えていると、視線を感じた。

 リリィとガーベラは楽しそうに語らっている。

 ――二人じゃなければ誰だろう。

 そう、顔を横に向けて、カエルレアは変な呻き声を上げた。

「レア?」

「お姉さん? どうしたんだ?」

 カエルレアは二人の呼びかけに、返事をする余裕がなかった。

 口をわななかせ、店の外――ガラス窓越しに居る人物へと人差し指を向け、叫ぶのだった。

「王子! あなた、何してるの!」

 そこには、ガラス窓に顔を張りつかせ、険しい顔をしたリリィの婚約者――ウーゴ・トランダフィルがいた。

 リリィが目を真ん丸に開く。

 ガーベラも驚いたように、口を間抜けに開ける。

 それから、笑い出した。

「ちょ、ちょっと、何あの人。怖いんだけどっ」

 怖がっている様子を微塵も見せず、ガーベラがケラケラと笑う。

 つられてか、ふふっ、とリリィも口元に手を当てた。

 呆気にとられたカエルレアは、いま一度ショーウィンドウに顔を張りつかせたウーゴを見つめ、そして気づく。

 彼は――カエルレアが最初に会ったときに垣間見せた、暗く蒼い瞳で、目を細めて睨むように中を覗き込んでいた。



    ◇◆◇



(最悪だ)

 ウーゴは、セタリアと別れた後から変わらず、険しい顔のまま通りを歩いていた。道行く人は、蒼い瞳に険を混ぜたウーゴに怯えて避けるように早歩きで通り過ぎて行くことに、ウーゴは気づかなかった。彼はまるで、いままで浮かべていた笑みをすべて忘れてしまったかのように、険悪な面持ちで足を進める。

 そんな彼が向かっているのは、カエルレアの両親が経営する『妖精ニュンペーのパン屋』だ。そこにリリィはいるだろう。

 いやな記憶と共に、昔馴染みと出会った後なのだ。暗殺組織の新しいボスと、ナンバー2がこの町にやってきていることを知ったいま、ウーゴはただ彼女のことが心配で仕方がなかった。

 パン屋が見えてくると、自然に早足になる。

 扉を開けて中に入ろうとして、ウーゴはふと視線を横に向けた。

 店のガラス窓は、外からでも中が見える造りになっている。そこには、店の中でもパンが食べられて、お茶が楽しめるようにいくつかの机と椅子が用意されている。

 そこにカエルレアの後姿を見つけた。その向かいにはリリィがいる。

 もう一人いることにウーゴは気づき、まじまじとその人物を見つめてから、「くそっ」と舌打ちをした。

「最悪だ」

 肩ほどまである髪を後ろでひとつに結んでいる少年は、五年前から成長しているものの、まだあどけなさのある顔に昔の面影が残っていたため気づくことができた。

 あの少年は――現在、暗殺組織のボスの座についているとかいう、前ボスの息子――ガーベラだろう。

 これから一生、接触したくなかった。できればこのまま何事もなく休暇を満喫して消えてくれればいいと願っていた。

 それなのに。

「くそっ」

 よりによって、ウーゴの一番身近な人間に、接触しているなんて。

 ガラス窓に拳を打ちつけるように置き、ウーゴはガーベラを睨みつけた。

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