第三章 愛情の探索
第三章 愛情の探索①
クローリスの愛娘――リリィと、トランダフィルの王子――ウーゴの結婚式まで、あと一週間を切ったある日のこと。
騒々しいのが、クローリスの屋敷に訪れた。
それは早朝。まだ空が白みはじめてきた頃である。
「帰ってきたぞ、リリィ! 無事か!」
その声でウーゴは目を覚まし、聞きなれない男の声にはっと体を起こす。
(侵入者か?)
だったら放っておけない。
一階から聞こえてきた声の主の足音が、いま二階に到達した。ウーゴの部屋の前を通り過ぎて、そのまま隣のリリィの部屋まで――
「て、足早いな、オイ!」
反射的にベッドから転がり出るとそのまま部屋から出る。
そして隣の部屋の扉を、ノックもせずに開けようとしている男の背後を取ると、左腕を絡め取り、背中にねじ伏せた。これで常人ならば動けないはずだ。
予想通り。男が悲鳴を漏らす。
「だッ」
「お前は誰だ。侵入者か?」
耳元で囁くと、男が息を飲む音が響いた。
同時にリリィの部屋の扉が内から開く。
「ウーゴ?」
「リリィ、いま侵入者を捉えた。いまからちょっと連行する」
目を見開いたリリィが、侵入者の男の顔をまじまじと眺めると、驚愕の声を上げる。
「……って、お兄様!」
「リリィ! 野蛮人に襲われているッ。助けてくれ!」
「お兄様って」
リリィは一人っ子のはず。とウーゴは、考える。
(いや、待てよ)
そういえば前に、歳の離れた従兄がいると、リリィが言っていたことがあった。
男の拘束を解くと、「いたた」と声を出し、リリィの「お兄様」らしき人物がぼやく。
「何で妹に会いに来ただけで、こんな仕打ち受けなきゃいけないんだ。しかも知らない野郎からさ」
埃でも払うかのように、男はウーゴが触れた腕をパタパタ払う。
その蜂蜜を思わせる瞳に、じっとりと睨まれた。
男は見定めるようにウーゴの全身を眺め、それから「はんっ」と鼻を鳴らし、忌々しそうに吐き捨てる。
「どこの馬の骨ともわからない小僧が、クローリスの敷地を穢さないでもらえないかい?」
刺々しい声に、ウーゴも負けじと爽やかな笑顔で言い返す。
「初めまして、お兄様。俺は、ウーゴ・トランダフィル。ご存知かと思いますが、隣町の華族のトランダフィル家の長男です。そして、あなたの妹君――リリィの婚約者でもあります。もちろん、クローリス夫妻の了承を得ております故、以後お見知りおきを」
二人の間で火花が散る。それを、きょとんと首を傾げたリリィが眺めていた。
リリィの従兄は、アカシアと名乗った。
ふわふわとした髪に、蜂蜜を思わせる甘ったるい瞳と、人の良さそうな見た目から反して、ウーゴに対する警戒心は強いらしい。常に彼の瞳は、ウーゴの一挙手一投足を見逃すまいと、じっとりとこちらに向いている。
朝食の席は、数カ月ぶりに「お兄様」に会えたことが嬉しいのか、リリィがいつもよりも――それこそ、ウーゴやカエルレアといるときよりも嬉しそうに、顔をほころばせてはしゃいでいるのを除き、二人の男は睨み合いながら、微妙な空気が漂うなか終わった。
朝食が終わり、リリィが「あ」と思い出したかのように、カエルレアとの約束があるからと、急いで食堂を出て行ってしまったので、さらに最悪だった。
二人の男は、長机を挟んで座り、なぜか向かい合っている。
前までのウーゴであれば、めんどうだからと逃げ出していたところだろう。
けれど、いまこの席から逃げるということは、この男に負けを認めたということになる。それは即ち、リリィの婚約者を破棄される危険性があるということだ。このアカシアという男なら、いともたやすく行ってもおかしくない。なんせ、リリィの従兄なのだから。
それにトランダフィルに居場所のないウーゴにとって、クローリスの婿という立場は捨て去ることはできない。もしもこの居場所がなくなってしまえば、彼に待っているのは誰からも自分を認めてもらえない、どん底の暗闇だけだ。
じっとりと、蜂蜜を思わせる瞳に見定められるのを、ウーゴは穏やかじゃない内心とは裏腹に、爽やかな笑みで答えた。
唐突に、アカシアが口を開く。
「ウーゴ君と言ったね。君は、本当にリリィのことを――愛しているのかい?」
最近よく似たことを訊かれる。
リリィに対して、好きだとか、愛しているとかいう思いを、自分が持っているのか定かではない。
けれど、リリィはウーゴのことを――それも、彼の秘密をすべて打ち明けても――受け入れてくれた。
だから、ウーゴはリリィの傍にいることに決めたのだ。
あの危うい少女を。傷つきやすいくせに、誰でも受け入れる少女を。
護りたいと思った。
リリィに対して抱いているこの気持ちを、ウーゴはまだよく理解してない。――だけど、ウーゴは微笑みながら堂々と応える。
「愛しています」
「……ふーん」
返答に対するアカシアの反応は、肯定でも否定でもなかった。
目を細めて、アカシアはまだじっとりとウーゴの全身を眺める。その表情は、先程の緊迫さをなくしたのほほんとしたものだった。
(認めてもらえたか)
ウーゴは安堵しそうになる。
その前に、アカシアが口を開いた。
「嘘。だね。――君からは、リリィに対するおれ以上の愛を感じない。そんなお前に、リリィはあげられないよ」
「……」
開いた口からは、なにも言葉が出てこなかった。
ウーゴ自身理解しているからだろう。
リリィに対して持っている自分の感情が、愛じゃないということを。
興醒めしたというように、アカシアはため息をついた。
「お前が本当に、リリィを愛してくれるのなら、婚約者だと認めても良かったんだけどね。――お前は、本当の愛を知らないようだ」
立ち上がると、アカシアはウーゴに視線をくれることなく、部屋から出て行った。
残されたウーゴは、頬杖をつくように頭を支えると、アカシアの言葉を繰り返し思い出す。
(愛って、なんだ)
それは、愛情を受けることなく育てられた彼にとって、難解な問いだった。
「愛、でございますか?」
ウーゴの部屋の掃除にやってきた侍女のウィミィが、静々とした態度のまま、表情を変えることなく首を傾げた。その声に感情はなく、淡々とただ業務を全うする――それこそ、機械的に受け答えをする人形のようである。
ベッドに腰掛け、ウーゴは頭を下げるように立っているウィミィを見る。
「愛、というものを、そう簡単に言葉にできるほど、わたしは人生経験が豊富ではございません。ですから、どういえばいいのかはわかりませんが……おそらく、ウーゴ様がお求めになっている『愛』というのは、愛情でよろしかったでしょうか」
「……ああ」
ウィミィは察しがいい。それこそ、聡明の意味を持ったウーゴという名前を持った、自分よりも彼女は聡明だ。
いつもの静々とした雰囲気のまま、まつげを震わせながらウィミィが言う。
「愛情というのは、一般的に異性を思う恋心と云われております。ですが、時に人は愛情を、異性だけではなく同姓に対して抱いたり、人間じゃない何かに抱いたりするため、確かなことは言えないでしょう。それに、家族に対する気持ちや、友人に対する気持ちも愛情と例えることができます。……愛、または愛情というのは、簡単に答えられるほど確かなものではありません。少なくとも、わたしはそう思います」
「……」
「けれど、どうしても答えが欲しいというのであれば……。そう、ですね。大切な人のことを、じっと見つめてください。大切な人を、護りたいと、心が優しくなるとか、それこそ、愛おしいと思ったら、きっとそれこそが『愛』なのだと思います」
「……そう、か。難しいな」
「……長々とお話しして申し訳ございません」
「いや、ためになった」
それなら幸いと、ウィミィはそれ以上口を開くことなく、テキパキとウーゴの部屋の掃除を続ける。
ベッドに座りながら、ウーゴは天井を見上げた。
(心が優しく、愛おしくなる、か)
少なくとも、リリィに対して、護りたいという感情を持っている。
けれどそれだけでは、『愛』には到底足りない。アカシアは、ウーゴの問いだけでそれを見出してしまった。
(俺の心は、優しくなるのか)
昔、親に捨てられ、暗殺組織で育ち、ひょんなことで華族の息子になり替わり、いままで生きてきた。そんな、優しさをいまいち理解できていない自分が、彼女に対して、愛おしいと思えるのだろうか。
険しい顔で、蒼い瞳を閉じると、ウーゴは口をむっつりと噤んだ。
(だから愛おしいってなんだ)
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