幕間 フローラの噂②

 ウーゴ一人を置いてきぼりにして、突如始まったお茶会に、女子三人が会話に花を咲かせていた。

 ぼんやりと会話を聞きながら、リリィに笑いかけられたら答えるというのをウーゴは繰り返しながら、そっと隣にいるフローラと名乗った少女の横顔を盗み見る。

 まだ十五歳だと言っていたから、顔立ちが童顔なのは頷ける。髪の毛もさらさらと柔らかそうなので、恐らく地毛なんだろう。瞳は、リリィに比べると純白というよりも紫がかっているが、白に見えなくもない。

 フローラは、掠れた小さな声で、言葉を探すようにおどおどと、自信なさげに会話に参加している。

 彼女がこの町に越してきたのは、ほんの二週間前だという。偶然なことに、ウーゴがこの町にやってきた日の前日だった。

 現在家の中に居ないが、両親と姉がいるとのこと。両親は働きに出かけており、姉は一年ほど前にどこかの華族に連なる家に嫁いでいったという。

 体が弱く、外で満足に遊べない彼女は、いつもあの三階の窓辺から外を眺めながら読書をしている。本好きな彼女のために、いつも両親が本を買ってくれると、どこか切なそうにまつげを震わせてフローラは囁いた。

「どんな本を読むのですか?」

 リリィが聞く。

 おどおどと、フローラが掠れた低い声で答える。

 カエルレアもリリィも、楽しそうに女子会を楽しんでいる。ウーゴは居心地悪い思いを隠しながら、心の中で欠伸したい気持ちを堪える。

 会話が楽しくないわけではない。ただ、何と言うかこういう平穏で、退屈な日々に浸っていると、昔騒がしかった日々を思い出してしまうだけだ。暫く思い出すことなく、忘れたと思っていても、体験した過去を本当の意味で消すことはできない。

 ぼんやりとする過去の光景を追い出し、ちょっと冷めてしまった紅茶を口に含む。

 その時、コホッとフローラが咳をした。

 いましがた、体が弱いと言っていたことを思いだし、心配そうな顔でリリィが机から乗り出し、フローラに労わりの声をかける。

「大丈夫?」

「……はい。いつものことだから、平気です、これくらい」

「そう」

「ちょっと長話しすぎちゃったわね。噂のフローラとこうして直で話すことができたのだから、あたしたちはもうお暇しましょう。リリィとそこのぐうたら王子、帰るわよ」

「あの、入り口まで送っていきます……」

 フローラの申し出を、カエルレアがやんわりと断る。

「あなたは体調が悪いのでしょう? だったら安静にしてなきゃだめよ。あたしたちは平気だから、あ、このパン、家で焼いているの。良かったらお父さんとお母さんと食べてね」

「はい……ありがとう、ございます……」

 シュンと項垂れるように頭を下げるフローラに、リリィが穏やかに微笑みかけた。

「また、遊びにきますね」

「あ、はい……。ありがとうございます……」

 うっすらとフローラが微笑む。

 カエルレアとリリィが「またね」といって先に部屋から出て行った。

 逡巡したあと、ウーゴは未だどこか暗い雰囲気を漂わせている、フローラと名乗ったの横を通りながら、に聞えるように囁いた。

「深窓の令嬢やら、白髪の少女やら、女神フローラといったは、あまりに気にするな」

 苦しそうな顔をしていたが顔を上げる。

 ウーゴはその紫がかった白の瞳を蒼の瞳で見返し、それ以上何も言うことなくリリィたちの後を追って、その屋敷から出て行った。



「それにしても、初々しくって可愛かったわね。まだこんなに小さかった頃の、リリィを思い出させるわ」

「あら、それを言うならレアだって。最初に会ったとき、いきなりリンゴのように顔を真っ赤にして恥ずかしがっていたの、とてもかわいかったわ」

「覚えていたの!? もうっ、忘れて!」

「大事な親友との出会いだもの。忘れることは不可能なのです」

 ふふっとリリィが笑い、隣で赤くした頬を両手で押さえたカエルレアが頭をふるふると振っている。

 それを眺めていたウーゴの聴覚が、背後からかけてくる足音を聞きとった。

 歩みを止めて振り返ると、はあはあと息を吐き出しながら、走ってくる深窓の令嬢がいた。

 白髪は跳ねて、着ている服は汗で肌に張り付き、うっすらと浮かんで見える鎖骨から、ウーゴは目を逸らす。

 ウーゴが足を止めたのにリリィが気付き、振り返った。そして、の姿を見て目を見開く。

「ど、どうしたのですか!」

「リリィって、ええ、ちょっとフローラ! 走ってきたの! 体は何ともない?」

 掛け寄ってくる二人に向かって、唐突にが頭を下げる。

 驚いたように、二人が足を止めた。


「ごめんなさい! ぼ、ぼくは、フローラって名前じゃなくって、本当は、令嬢でもないし、少女でもないし、童顔で、小さくって、細くって、体弱いし、体力ないし、筋力もないし、よく間違えられるけど、ほんとうは、ぼく男でッ。な、名前は、その、ネメシア、って言います!」


「ネメシア?」

 リリィが確かめるように囁く。

 あっと、カエルレアが口を抑えた。

 二人の反応が怖いからか、秘密を打ち明けた――ネメシアは、一向に顔を上げる気配がなかった。

 そんなの横に立ち、彼の頭に手を置きながら、ウーゴは安心させるように言う。

「人の噂というのは、怖いからな。たとえそれが真実でなかったとしても、まるで本当のように人々の間を、蔓延する病気のようなものだ。お前は、怖かったんだよな。人の噂では、あの屋敷に住んでいるのは深窓の令嬢で、白髪の少女で、なぜかフローラという名前だとさえ云われていたんだ。本当は違うのに、その噂を消す術を知らないお前は、噂通りのフローラを演じることしかできなかった」

 恐らくリリィが訪問してきたとき、彼は驚愕すると共に、安堵や恐怖といった相反する気持ちを抱えたのだろう。

 リリィは、隣町でも噂されるほど、その姿はお伽噺で語られるフローラにそっくりだと云われている。同じ白髪で、本当の少女で、華族の令嬢でもある。

 そのクローリスの愛娘、リリィが訪問してきた。これで自分の噂がニセモノだと証明されるかもしれない。同時に、嘘つきと怒られて罵られるかもしれない。そんな不安や恐怖と共に、ネメシアは扉を開けた。

 だけど出迎えたのは、噂のフローラに会いにきた、リリィだった。

 だからネメシアは、彼女の前でもフローラを演じることにしたのだろう。

 変声期途中の声は、小声でしゃべり、風邪だということで誤魔化し、精一杯、深窓の令嬢として、フローラとして、無理して演じる。

 咄嗟の演技は、だけどウーゴに通じなかった。自身を偽りで塗り固めて生きてきたウーゴにとって、見抜くのは容易だったのだ。

 そんなウーゴに嘘を見抜かれ、ネメシアの中でどんな葛藤があったのかは知らない。

 けど、泣きそうな顔はすっきりとしているようにも見えて、先ほどまでのおどおどとした態度は伺えなかった。

 リリィは、ウーゴとネメシアを交互に見てから、優しく口元をほころばせる。

「勝手に勘違いして、すみませんでした。ネメシア、とてもいい名前。正直なあなたにはぴったりですね」

「あたしも噂で早とちりしちゃって、ごめんなさい! ネメシアというのね。今度こそ覚えたわよ。童顔だけど、よく見るとかっこいいじゃない。なんというか、こう真っ直ぐな眉毛とか!」

 カエルレアの言葉に、ウーゴが吹きだす。睨まれてしまった。

 恐る恐る顔を上げ、そこにあった笑顔に、ネメシアが瞳に溜まった涙を拭いながら、はっきりと偽りのない声で、はにかむ。

「よろしくお願いします!」

 ネメシアは、ウーゴを見て、カエルレアを見て、そしてリリィをジッと見据える。

「これからは、ぼく、もっと自分に自信を持って、正直に生きます」

 おやっとウーゴは思った。

 リリィを見つめるネメシアの瞳に浮かぶ光に、ウーゴをもやもやさせる何かが隠れているように見えたからだ。

(まさか、な)

 今度こそ、四人は挨拶を交わし、それぞれの家に帰ることになった。

 そういえば、ウーゴはリリィの婚約者なわけだけれど、そのことを町にやってきたばかりのネメシアは、まだ知らない。



    ◇◆◇



『何やら花たちがフローラが現れていたと騒いでいたのだけれど、おかしいね。もし本当にフローラが現れたのなら、真っ先に僕の元にやってきて、ずっと待たせてごめんね、と微笑んでくれるはずだ。それなのにここにやってこないということは、その噂はただのだったのだろうね』


 花園の中心で、花守の精霊が囁く。

 男は目を細め、どこか遠くを眺めるように、切なく顔をほころばせた。


『僕のもとにやってくる小さな蕾や花たちは、すぐに旅立ってしまうんだ。自分の失くしてしまった大切なものを見つけ、自分を蝕む棘のような悩みを解決したら、すぐにね。前にやってきた悩める睡蓮もそうだった』


 複数のフラワー・フェアリーが、種をどこか遠くに運ぶために飛び立った。

 白い綿毛が漂う中、精霊はやはり切ない眼差して、どこか遠くを見る。


『こんなにも長い間、僕のもとにいてくれるのは、リリィ、君だけだよ』


 だけど。


『そんな君ももうすぐいなくなってしまうのだろうね』


 幼い頃から傍で見守っていた花は、どんどん成長してしまう。


『君は、もうすぐ、大切なものを見つけるだろう』


 阻止することは不可能だ。

 花は、いずれ旅立つものなのだから。


『そしたら、もうこの花園は、今度こそ誰からも忘れられるのかな』


 それでもいい。


『早く会いたいよ、フローラ。僕は、淋しくって仕方がないんだ』


 孤独には慣れているのだと、精霊は微笑んで言った。

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