幕間 フローラの噂

幕間 フローラの噂①

 セタリアがそのを聴いたのは、クローリスの名所をガーベラと共に回っている途中だった。その時、ガーベラも一緒にいたのだが、彼はただ笑うだけで興味を示さなかった。だからセタリアも、その噂を聴いてすぐ忘れることにした。



 ウィミィがそのを聴いたのは、井戸端会議に花を咲かせている主婦たちの横を通った時だった。トランダフィル家に代々使える家系の彼女が、どうしてクローリスにやってきたのかはまず置いておくとして、彼女はその噂を何となしに聴くと、あとで主であるウーゴに伝えてみようと思った。



 ウーゴは、ウィミィからそのを聴いた時、暇を持て余していたところだった。面白そうに口を綻ばせると、あとでリリィに教えようと心に決める。ちょうど、ランチを食べ終えたところだった。



 リリィは、昼下がりのお茶会で親友のカエルレアからそのを聴いていた。

「まあ、本当に?」

「本当なのよ! あたしも遠くから見たんだから!」

 息巻き立ち上がったカエルレアだったが、すぐはっとしてコホンと咳をする。

「でもリリィのほうが美人で可愛かったわよ。リリィの白髪は、さらさらきらきらしていて、あたし大好きなのよ」

「ありがとう、レア」

「ほ、本当のことを言ったまでなんだからっ」

 頬を赤くしたカエルレアが嬉しそうな声を上げて、椅子に座る。

「私と同じ白髪なんて珍しいわね。しかも、名前が」

「そうなのよ。噂だとね。実際に聞いたわけじゃないから本当かどうかさだかじゃないけどね」

「そう、ね」

 リリィが躊躇うような間のあと、カエルレアが様相だにしていなかったことを言った。

 幼少時は消極的で、なかなか自分の意見を言葉にできなかったリリィだが、十歳の頃を皮切りに、たまにこうした行動力を見せることがあった。

 だから、カエルレアは笑顔で頷く。

「面白そうだわ!」

 リリィのこういう真っ直ぐなところも、カエルレアは大好きなのだ。



 次の日の朝、自室から出てきたウーゴを迎えたのは、いつもの穏やかさにひまわりの華やかさをプラスした、晴れ晴れとした笑顔だった。

「ウーゴ! 私、いまからレアとに会いに行くのですが、よろしかったらご一緒にいかがですか?」

「あ、そう、だな」

 朝食の席の後に、昨日ウィミィから聞いたを語ろうとしていたウーゴは、その噂話を話す機会を失ったことに少し落ち込みそうになったが、すぐにいつもの調子で返す。

 楽しそうなリリィの笑顔を見ているだけで、どうでもよくなった。



    ◇◆◇



「おや」

 セタリアは思わず声を上げた。不審そうに、噴水の水に浮かぶ苔を眺めていたガーベラが顔を上げる。

「あ」

 目を見開き、ガーベラは面白そうに唇を歪めた。

「また、みぃつけた。なんか運命感じるじゃん」

「そうですね」

 噴水の向こう側から、三人の男女が向かってくる。

 視界に入らないように二人は裏路地に入って行く。

「どこ行くんだ?」

「この方向は――ほう。深窓の令嬢のいる屋敷のようですね」

「それって昨日聞いた気がするな。なんだっけか、確か、窓枠に移る白髪で凶暴な顔をした世にも醜い幽霊だっけ」

「それは違いますよ。商店街の町外れに、古びた屋敷があるのですが、数日前、そこにとある一家が引っ越してきました。その一家の娘さんが、世にも珍しい美貌の持ち主で、名前がこの町のお伽噺、女神フローラと同じ、という名前らしいのです。しかも、クローリス領主の愛娘と同じような、白髪に純白の瞳の持ち主だとか」

「へぇー」

 ガーベラは興味なさそうに、欠伸をする。

「まあ、いいや。休暇って、あと何日だっけ」

「確か一カ月間とガーベラがおっしゃっていましたので、あと二週間程かと」

「じゃあ、一週間後でいいか」

「といいますと」

 分かり切ったことを、セタリアは聞く。

「そんなの、ハイドランジアのを確かめる、試練に決まってるだろ」

 意図せずガーベラが殺気を放ったからだろう、視線の先の黒髪の男が、きょろきょろと不思議そうに辺りを見渡す。

 その馬鹿面を、殺気を消したガーベラが無邪気な笑みで眺めていた。



    ◇◆◇



「ここか」

「ここですね」

「こ、ここ、ね」

 三人の男女は、とある屋敷を見上げた。クローリスの屋敷ほどではないが、周囲の家と比べるとこの屋敷は大きい。だが、それに見合わない薄暗さを漂わせていた。

 庭は最近越してきたこの家の使用人でも手入れをしたのか、さっぱりと雑草は生えていないが、屋敷を覆う蔦はまだそのままだ。そんな三階建ての屋敷からは、華やかさは感じず薄暗くじめじめといたイメージが思い浮かぶ。

 これが幽霊屋敷と、少し前まで呼ばれていた所以だろう。

 最近でこそ、深窓の令嬢が暮らす屋敷と云われているらしいが、未だにこの暗い雰囲気は拭いきれていないみたいだ。

 どこか怯えたようすで、カエルレアが屋敷を見上げる。

「怖いのか?」

「そ、そそそおうんなわけないでしょ!」

 唇をわななかせ、カエルレアが激昂した。怒りがウーゴに向いたためか、恐怖が和らぎ赤くなった顔で、我先にと、屋敷の呼び鈴を「えいっ」と鳴らした。

 カランカランという音がして、お客が着たことを告げる。

 だが、十分が経っても、誰も出てくる気配がしない。

「おかしいな」

 ウーゴはもう一度、屋敷を見上げる。それも三階の、ここから見える窓を。

 そこには、確実に誰かの影がある。

 蒼い瞳を鋭くしたウーゴは、その影をまじまじと睨んだ。

(白髪か?)

 すると、その影が揺らぎ、窓がひらいた。

 そこから一人の少女が顔を出した。

 彼女は、リリィの顔をまじまじと眺めると、息を飲んで引っ込んでいく。

「あら、いるじゃない」

 カエルレアが安堵する。

 いなくなった少女の面影と、リリィの顔を交互に見てウーゴは思わず嘆息した。

(なるほど、確かに白髪は似ている。けど)



「てっきり会ってくれないのかと思ったわ。みんな、あなたに会うためにここに訪れたらしいけど、あの窓に姿を見せてくれるものの、一回も外に出てきてくれないって言っていたものだから。あたしもね、一度外から窓を見上げたの。そしたらあなたがいたのよ。やっと会えてうれしいわ」

 カエルレアの捲し立てるような早口に、現れた白髪の少女は遠慮がちに俯いていた顔を上げた。

「あ、あの。中で、話を」

「あら、ならあたしの家で作っているパンを持ってきたの! よかったら一緒に食べない?」

「いただきます」

 人見知りをしているのだろう。少女はどこか掠れた低い声で言うと、先に中に入っていった。

 ウーゴたち三人は、そのあとに続く。



 白髪の少女は、まだ十五ぐらいだろうか。幼い顔立ちに、どこか恥じらいの浮かんだ笑みは、気が小さいことを思わせる。だがそんないじらしい仕草が彼女の美貌をより惹きたてていた。

「あの、これをどうぞ」

「ありがとう、いただくわ」

「ありがとうございます」

 机の上に紅茶の入ったカップを置いた少女に、カエルレアとリリィが笑顔で答える。

 お盆で顔を隠しながら少女がリリィの向かいの椅子に座る。因みにリリィの隣にはカエルレアが我先にと陣取ったため、ウーゴは少女の隣に座っていた。ウーゴの向かいにいるのはカエルレアだ。

 紅茶を一口含み、それからリリィが顔を見合わせている少女に尋ねる。

「あの。いきなり押しかけてすみません。私はリリィ・クローリスです。隣が親友のカエルレア。そしてあちらがウーゴです。あなたの名前、教えていただいてもよろしいですか?」

 おずおずと、少女はやはり遠慮がちに、消え入りそうな声で囁いた。

「……フローラ、と申します」

 そう言って口を引き結んだ少女の表情を横から見ていたウーゴは、わずかな変化を見つけたものの、無言で紅茶を口に含むとカップを置いた。甘く口どけの良い味がした。

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