第二章 ニンファエアの友情⑤

 その日の夜。またもやリリィの部屋に、金髪碧眼の少年――ロトゥスが尋ねてきた。

 窓の鍵を閉め忘れていたことに、少年の訪問の後に気づいたがもう遅い。

 リリィは婚約者のある身だ。そんな彼女が、昨日みたいな醜態を晒すのは避けなければならないというのに。

「こんばんは」

 満面笑顔の少年を前に、リリィは目を背ける。

 顔を合わせると、昨日のことを思い出して顔が赤らんでしまうような思いがしたからだ。

「どうしてぼくのほうを見てくれないんだい?」

 拗ねたような声が聞こえてきたと思ったら、ベッドに座っているリリィの横に少年の気配がした。そちらを向くまいと、リリィは反対方向に体ごと向ける。

「……返事もしてくれないか。さすがに傷つくなぁ」

「……」

「頷くだけでもいいから、ぼくの質問に答えてくれる? リリィは、ウーゴのこと、どう思ってるの?」

「……」

「て、さすがにいまの質問で頷かれても困るか。昨日は愛しているなんていっていたけど、実際はどうなのかな? 本当に、愛してる?」

「っ」

「頷いたってことは、気持ちは変わらないってことか。でもさ、リリィとあの王子は、まだ会って一週間かそこらだろう。それなのに、本当に愛しているかどうかなんて、わかるものなのかい?」

「っ」

「頷いたということは、わかっているんだね。……ちょっと悲しいかな。でも、その愛しているって気持ちは、ぼくが、君に抱いている気持ちと同じなのかな。ぼくはね、君のことをずっと昔から知っているんだ。それこそあんなぽっと出の男よりも前から……君が幼い頃からね」

「え?」

 リリィが顔を上げた。

 ロトゥスは彼女の視線がこちらを向いた嬉しさに、思わず口調が早くなる。

「ぼくはきみが五歳の頃から知っている。だから、言えることもある。優しい君は、誰でも受け入れてしまう危うい性格だってこととか」

「……そ、そんな単純じゃありません」

「そんなことないでしょ。現に、君は出会って間もない見ず知らずの男を、婚約者だと認めているんだ。普通、そんな簡単に受け入れることなんてできないんじゃないのかなぁ?」

 語気が強くなり、少し嘲るような口調になってしまった。

 ロトゥスは一度深呼吸すると、言葉を続ける。本当はこんなこと言いたいわけじゃない。けれど、一度喋り出した口は止まることを知らない拳銃の弾丸のように、リリィに向かって行く。

「仮に、君が彼に一目惚れしたんだとしたら、まだわかる。けど、きっと君のことだから、両親から貰った誕生日プレゼントを受け取るかの如く、まるでそれが当然かのように彼のことも受け入れたんじゃないのかな。ぼくは、そうだって思ってる」

「さ、最初はそう、でした。けど、でも、私だって自分の気持ちを持っています。いまは、本当にあの人のことを、愛しています」

「――ストレートに言われるのは悲しいや」

 唇を尖らせてロトゥスがむくれた顔をする。

「リリィは、本当に、あの男が好きなの? あんな、死んだような目をした男のことを。……っ、冗談じゃない。あんな目をした男はね、いきなり何をしだすかわからないんだよ。優しい顔して近づいてきた人間だって、すぐに他人を裏切るんだから。そんなの、外の世界では日常茶番時なんだ!」

「……え?」

「いくら君が信じやすい性格をしているからと言って、あんな華族かどうかも怪しい男を、信じるだなんてありえないよ! リリィ、君は騙されているんだ。絶対にそうだ!」

「……」

「あっ」

 ロトゥスは、見つめ合っているリリィの顔に恐怖や悲嘆とは全く違う、どこか唖然と困惑が絡まったような感情が浮かんでいることに気づいた。

 同時に、ロトゥスは自分の発言の辛辣さに、恥じるように口を引き結んだ。

 本当はこんなこと言うつもりなかったのに。ただ、リリィをあの男から引き離して、自分の傍に繋ぎとめておきたかっただけなのに。片割れと同じように、ずっと彼女を独占していたかっただけなのに。

 彼は、愛するものを傷つけてしまったのではないか、と顔を赤くして自分を戒めようとした。

 こんなはず、なかったのに。

「あの」

 けれど、困惑した顔をしたリリィは、ロトゥスの思いとは真逆と言ってもいいほどの反応を見せた。

 誰でも信じて、誰でも受け入れる純粋な性格をした彼女は、他人言葉を鵜呑みにしやすく、優しく脆いため、ちょっとしたことで傷つくだろう。

 それをロトゥスは守るつもりで、間違えて攻撃してしまった。彼女は自分を嫌いになったに違いない、そこまで思考を回転させていたというのに。

 リリィは、やはり困惑した面持ちのまま、ロトゥスの青い瞳を覗き込んでくる。

「いまの言葉」

「ち、違うっ。こんなこと、言うつもりじゃ」

?」

 あ、と目を見開き、ロトゥスは立ち上がる。

 そうだ。そうだった。いまの言葉、一週間ほど前に、片割れがリリィを糾弾した時と同じである。

 ロトゥスの見た目は、どこからどう見ても少年のそれだ。男にしか見えないだろう。

 いくら金糸のように細い金髪が同じだったとしても、瞳の色は全く違うのだから。青い瞳は、カエルレアの赤い瞳とは全く違う。

 だから、リリィが似た言葉に疑問を思ったとしても、別人だと思うだろう。

 取り乱したのを繕うように、ロトゥスはゆっくりと深呼吸をしてから首を傾げる。

「誰、それ?」

「私の親友です。レアも、前同じようなこと」

「ぼくはロトゥスだよ。じゃない」

「……え?」

「あ、カエルレアって、いうんだよね。君の親友。知っているよ。ぼくはリリィが幼い頃からずっと、見守ってきたんだ。だから、君の親友のことも知っている」

「私は、あなたのことを知りません」

 そんなの当たり前だ。産まれてくる前にロトゥスの肉体は死んだのだから。母体の内で、ふたつあった生命は産まれるより前にそのを命を失った。双子が生まれると信じて疑わなかった母は、死んで出てきた双子の弟にたいそう嘆き悲しんだという。

 けど、ロトゥスの肉体は死んでしまったが、精神の一部が姉の心の内にずっと眠るように居座っていた。

 それを姉であるカエルレアは知らない。双子だったことでさえ、彼女は知らされていない。

 五歳の頃に、ニンファエア一家がクローリスに引っ越してきたのは、生まれ故郷に咲いている睡蓮の花が亡くなった息子を思い出させるからだった。ロトゥスという名前には、夜咲の睡蓮の意味もあるから。

 いま、ロトゥスは、カエルレアの恋情で育まれて存在している。あの夢の中で、花守の精霊が彼の精神を見つけて、切り取って夜だけ咲かせてくれているのだ。

(もうおしまいか)

 この夢のような光景は、これで終わるのだろう。

 ロトゥスはもともと儚い存在だ。肉体すら持たず、双子の姉はもとより両親からも忘れ去られて、それこそ暗い孤独な闇夜の中に咲く、夜咲の睡蓮のように。

 ロトゥスはリリィに別れを告げることなく、窓から外に飛び出した。



 クローリスの屋敷の敷居をロトゥスが飛び越えると、それを待っていたかのように、頭を上げた先にいた人物に声をかけられた。

「おい、小僧」

 その低い声に、まるで悪戯が見つかった子供のように、ロトゥスが息を飲んでかしこまる。

 おそるおそる視線を向けると、そこにいたのはリリィの婚約者ウーゴ・トランダフィルだった。

 口元に笑みを浮かべているが、その蒼い瞳は全く笑っていない。

 背筋を悪寒が駆け抜け、ロトゥスは思わず後退った。

「こんな夜中に、こんなところで何をしているんだ?」

 暗闇だからだろうか、ウーゴの黒髪は闇に解けこみ、瞳だけが蒼く輝いている。

 神秘的なようで、同時に恐怖を思わせる光景に、ごくりとロトゥスが息を飲み込んだ。

(本当に、華族かよ)

「さっき、リリィの部屋から出てきたよな?」

「は、はぁ? 何を言っているかわからないし。というか、お前の方が怪しいぞ!」

「俺はあいつの婚約者だ」

「嘘だ! お前みたいな死んだ目をした男が、ぼくのリリィの婚約者だなんて、じょ、冗談じゃない!」

「ん? ぼくのって、いやいや小僧、リリィはじゃねぇよ」

 指摘は図星だった。

 頭に血が上っているロトゥスは、それでも叫ぶことをやめない。

 半ばやけになっていた。

「ぼ、ぼくは、ずっとリリィを見てきたんだ。幼い頃から、ずっと、好きで愛していた。それなのに、あとからぽっとでてきたお前みたいなやつが、リリィの婚約者と名乗って信じられるわけがないだろ!」

「確かにそうだな」

 うんうんと、ウーゴが頷くのが癇に障る。

「それに、お前は、危険だ」

「どうしてそう思う?」

 どこか楽しそうにも聞こえるウーゴの問いに、ロトゥスは迷わず応えた。

「その眼だ。その蒼い瞳は、まるで暗闇を生きるモノのようじゃないか。現にいま、お前は闇にとけこみすぎている。本当に華族なのかどうか怪しいほどだ」

「だが俺はトランダフィルの性を持っている。それは紛れもない事実だ」

「……お、お前は、本当に、リリィのことが好きなのか? 愛しているのか?」

「そうだな。――愛している」

 淀みない真っ直ぐな言葉に、ロトゥスは言葉に詰まった。

 ウーゴの蒼い瞳は、闇の中に光っている。真剣な表情の彼は、嘘を言っているように思えなかった。

「だから、俺はここにいるんだよ。リリィが俺のことを信じてくれる限り、俺はあいつの傍にいて、あいつを護るためだけに存在している」

「い、意味が、分からない」

 本当はわかっている。十分すぎるほどだ。

 リリィも、ウーゴも、二人の「愛の言葉」に嘘偽りがないということを、ロトゥスはとっくに感じ取っていた。

 でも彼の心に巣くう靄は、振り払えずに残ってしまう。リリィに対する片割れの強い思いは、ロトゥスの感情が伴い少しずつ濃くなっていた。

 ウーゴが一歩間合いを詰める。

 それに並々ならぬ恐怖を感じたロトゥスは、次の瞬間走っていた。闇の中、ぼんやり輝く街灯を頼りに帰路につく。家に戻ったロトゥスは、布団にくるまりガタガタ震えながら朝を迎えた。



 カエルレアは目を覚ました。今日は、体が重く感じる。ちゃんと寝ていたはずなのに、どうしてなのだろうか。

(なんだか、変な夢を見た気がするわ)

 思い出そうと唸ってみるが、ぼんやりとしか思い出せない。

 どこか暗闇の中、蒼い瞳と睨み合っていたような。いやそれより前に、白い瞳と向かい合っていたような。それはどこかリリィにも似ていて、蒼い瞳の方はウーゴのもののようで。

 ぶるっと、カエルレアは見覚えのない寒気を覚え、思考を切り替えるとベッドから這い出た。

 『妖精ニュンペーのパン屋』の朝は早い。

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