第二章 ニンファエアの友情④
昼も過ぎれば、『
カウンターの椅子に座り、カエルレアは一人店番をしていた。父は奥の厨房に引っ込んで明日の仕込みをしており、母は買いだしと井戸端会議に花を咲かせている。
「暇ね」
ぼーと、カエルレアはカウンターに頬杖までついて虚空を眺める。
こんなにも暇だと、考えたくないことばかり思い浮かぶ。思わずため息をつき、カエルレアはそんな自分を戒めるように口を引き結んだ。そんな口から、ぼそりと言葉が漏れる。
「リリィ……もう一週間以上も会っていないわ。元気にしているかしら」
婚約者の王子もどきから傷つけられていないだろうか。ほんの一時だけだったが、あのときみせたウーゴの蒼い瞳は恐怖すら感じた。そんな目をしている男がまともなわけがない。
余りにも心配で仕方がなく、いますぐ会いに行って抱きしめたい気分なのだけれど、カエルレアはリリィに会うことにも若干の抵抗を持っていた。
「うぅ」
「これ、おいしそうだな」
彼女の呻き声に、快活な声が合わさったのはその時だ。
顔を向けると、そこにいたのは明るい赤毛を後ろで一つに結んだ、まだ十四歳前後と思われる少年。ショーウィンドウ越しにパンを眺めていた少年が、人懐っこい笑みと共に顔を上げる。
「お姉さん、おすすめって何?」
呼びかけられたカエルレアは、大慌てで営業スマイルを浮かべると店でも人気の商品をいくつか教える。
「むぅ、どれも食べてぇ……。けどギリふたつだな」
ひとしきり唸った後、少年は「これとこれをくれ」とメロンパンとフランスパンを指さした。
カエルレアは商品を紙袋に入れると封をして、少年からお金を受け取ると釣銭と紙袋を渡す。
「またのお越しをお待ちしております」
「……ねぇ、お姉さん」
少年は帰る様子をみせることなく、カウンターに身を乗り出すとカエルレアの顔を覗きこんできた。思わずカエルレアは一歩下がる。
「聞きたいことがあるんだけど」
「……な、何、何ですか?」
「そんなに驚かなくてもいいよ。ボクはただキミと話したいだけだからさ」
赤毛の少年は、目を細めると少し考える素振りをしてから言葉を続ける。
「うーんと。お姉さんって、昔からこの町に住んでいる人?」
「そうよ」
実をいうところ、カエルレアは五歳の頃にこの町にやってきたため、産まれてから暮らしていたわけではない。けれど物心ついてから、ずっとこの町で暮らしてきたことに変わりはないため、すぐにそう答えた。
少年は、彼女の返答に満足すると、頷きながら次の質問をする。
「じゃあ、知ってる? クローリスのお姫様のこと?」
「お姫様?」
最初誰のことだろうと訝しんだが、すぐに大好きな親友を示していることに気づく。リリィは、華族クローリスの愛娘だ。この町でお姫様といえば、彼女ぐらいしか思いつかない。
カエルレアは、最近のしがらみを思いだして言葉に詰まったが、それらを悟られないように、小さく頷いた。
「だよねー。えっと、それとさ、この町にある神話も知ってる?」
「お伽噺のこと?」
「そうそう。ボクここに来たばかりでまだ詳しく知らなくってさ。ボクお伽噺に興味があるから、知りたいんだよね。教えてくれない?」
「いいわよ」
少年に促されるまま、カエルレアはこの町――クローリスに古くから語られているお伽噺、女神フローラの御話を始めた。
彼女の話を、少年は終始「うんうん」と相槌を打ちながら聞き、途中気になることがあれば質問をして――として繰り返していると、不思議なことに言葉はすらすら出てきて、最後までつっかえることなく話し終えることができた。ついでに、春の祭典フローラリア祭で、領主の娘リリィが女神フローラとして歌を披露していることまで話していた。
話し終えてカエルレアが一息ついている間、少年は考え事をするかのように腕を組み、それからまた別の質問をしてきた。
「ね、アジサイって、この時期って咲いてると思う?」
突然話題が変わったので、カエルレアは頭を
「そうね、紫陽花の開花時期は七つの月の中ほどまでだから、もう見られないんじゃないかしら」
「そうだよねー」
「紫陽花が好きなの?」
「ん? 別にそういうわけではないんだけど、ちょっと久しぶりに眺めて、できれば摘み取りたいな、とか考えてるだけで」
「紫陽花って摘み取れるの?」
「ん、できると思うよ。こうやって、きゅっと摘まんでゆっくりと、小さな花をひとつひとつちぎっていくんだ」
少年は人差し指と親指を合わせると、きゅっと鍵をかけるように指を回した。
「それは花に対しての虐待行為よ」
「え? そうなの? 花占いの容量で摘み取って新しく繋げたらまた花を咲かせてくれると思ったんだけど」
なるほど、子供らしい発想だ。
十四歳そこらの少年らしく、彼はぷくっと頬を膨らませる。会話上手かと思えば、こうして子供らしい面を見せるのに、カエルレアは苦笑した。
それを目ざとく見つけた少年は、ますます口を尖らせる。
「別に、ボクはそこまでアジサイ好きじゃないし。ただ昔、ボクの邪魔ばかりしてきたから摘み取ってやろうと思っただけだし」
「邪魔って、変なの。ふふ」
「変じゃないよ。知ってる? アジサイってね、どこかに毒を隠し持っているんだ。その毒をそのままにしておくと、後からじわじわとボクら人間を蝕んで、殺しちゃうんだぜ。そんなの放っておけないから、ボクはいま迷っている。季節は終わっちゃったけど、花を咲かせる前に摘み取るか、それともこのまま放置して、来年開花の時期になったら綺麗な花を咲かせているところを、摘み取るか。やっぱり、この二択しかないよな。セタリアはずっと放置していて枯れるのを待てばいいって言ってたけどさ、ボクは早く摘み取りたくって仕方がないんだよ。枯れてから摘み取ってもつまらないし、できれば鮮やかな花を咲かせているうちに終わらせたいじゃん」
カエルレアは人懐っこい顔の中心に一瞬子供らしからぬ邪気を垣間見た気がした。けれど無邪気に笑うこの少年がそんな顔をするわけがないと、頭を振って疑念を追い払う。
ころころ表情を変えながら、そのあともアジサイが云々と一方的に話続けているのを、カエルレアは笑顔で相槌をうっていた。
暫くして話疲れたのか、少年はパンの入った紙袋を持つと、「摘み取るまではいかなくても、アジサイがいまどんな状態なのか遠くから眺めるのも悪くないよなぁ」、自分で答えを見つけ出したのか、どこかすっきりとした顔で店から出て行った。
少年が店を出ると同時に他のお客が来店したため、カエルレアは暫く少年のことを忘れていた。だけど後から思い出すと、この少年と話している間、カエルレアはここ数日わだかまっていた靄を一時忘れていたことに気づいた。
『
長身のセタリアは、少年と同じように後ろで黒く長い髪をひとつに結んでいる。彼の瞳は深い緑色をしており、夏に似つかわしいふかふかと柔らかそうなマフラーを首から掛けていた。
汗ひとつ掻くことなく、静かに佇んでいるセタリアは、まるでその場と一体化しているようで妙に存在感が無く、彼の前を通っていく通行人はセタリア目を向けることすらなかった。
赤毛の少年がひょうひょうとした足取りでセタリアに近づいてくる。その動作はまるで舞台の一部のように淀みがなく、自然と周りに溶け込んでいた。
「やけに長かったですね」
セタリアが問いかけると、赤毛の少年がむっとした顔を上げる。
他の部下の前ではあまりすることのないその表情に、セタリアはその時少年が少し苛立っていることに気づいた。
「そんなにあの少女と話すのは、楽しくありませんでした?」
「別に、面白かったけど、楽しくもなかった。というかつまらない」
支離滅裂の言葉に、セタリアは「おや」と細い目をあける。
「だって、あいつボクのこと子ども扱いしながら話すんだぜ」
「ああ」
納得した様子で、セタリアは頷く。
この少年はまだ十四歳なのだが、年相応以上の経験を培ってきているため、頭の回転もそれから武芸のほうの才能も秀でていることにより、彼を幼少時から知っているセタリアでさえたまにこの少年がもう少し年上だと思うこともある。
(こういうところは、やっぱり子どもですね)
ふふっと、セタリアは内心で笑う。この少年は時たま、こうやって子供っぽい部分を見せることがある。何も知らない一般人からすると、この少年はやはり見た目相応の子供以外に他ならない。
「何笑ってんだよ」
「いえ、なんでもございません。それよりも、ガーベラ。これからどうなさいますか?」
「ん? ……どうしようかなぁ。あ、フランスパン食べる?」
「いただきます。で、アジサイのことはどうなさるおつもりですか?」
「このメロンパン耳がさくさくしていて美味しいな」
「それは一口食べてみたいですね」
「これはボクのだ。あげない」
「残念」
「まあ、とりあえず遠くから一目アイツがいまどんな顔で過ごしているのか眺めたいけど、いまはいいや。それよりも、折角の休暇なんだから、クローリスでのんびりしようぜ」
「それでは、オレはおすすめスポットを探してきますね」
「いや、ボクを一人にするなよ。迷子になるだろ」
「それもそうでした」
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