第二章 ニンファエアの友情
第二章 ニンファエアの友情①
ニンファエア一家はもともと港町ローティス出身である。ローティスとは、妖精ローティスのお伽噺を託された港の小さな町で、町のいたるところに池がある。その池には様々な色合いの睡蓮の花が日差しと共に咲き、夜になると眠るかのように蕾を閉じる。そんな港町の夜は、いつも静かだった。
港町ローティスから、ニンファエア一家がクローリスの町に引っ越してきたのは、カエルレアがまだ五歳の時である。
クローリスは、この国の中で最もたくさんの花が咲くフローラのお伽噺を託された町で、様々な町から華族に連なる家系の者がやってきた。ニンファエアの血筋も、元をたどればローティスの華族に辿りつくことができる。クローリスで、人はたくさんの花や人と、出会いと別れを経験していく。
クローリスにやってきたニンファエア一家は、領主の屋敷を訪問することになった。
そこで、カエルレアはリリィと出会うことになる。
両親たちが難しい話をしている中、カエルレアは机を挟んだ向かいに座っているリリィ・クローリスに釘付けになっていた。
透き通るほど白い肌に、光を当てれば銀色にも見える白髪。それから髪にも肌にも負けないほどの白い瞳。着ているワンピースも、白。白。白一色。
ポカンと間抜けにも眺めていたカエルレアに、気づいたリリィが小首を傾げる。その仕草が、視線が、カエルレアの心を撃ち抜いたのは一瞬のことだった。
(かわいい。かわいいわ。天使かしら)
カエルレアは顔をほんのり赤くして、両手で頬を押さえる。
五歳のカエルレアがそうしてチラチラ視線を寄越してくるのに、不思議そうにリリィが再び別の方向に首を傾げる。それがますます可愛くって、カエルレアにとってリリィは一目惚れと言っても相違ないほどの感情を向けるに値する存在だった。
それからカエルレアは、六歳になり同じ学園に通うことになったリリィの友だちになる権利を見事に勝ち取り(もとよりリリィの人間離れした容姿により気後れして周りの生徒は寄ってこなかった)、それからずっと彼女の傍にいる。
長い間友人をやっているカエルレアは、リリィの誰でも受け入れてしまう純粋で危ういところを知っていた。
だからリリィのことは、自分が護ると、カエルレアは決めていた。
リリィを傷つける者は誰であろうと許さない。カエルレアが傍にいる限り、リリィに手出しする輩は排除しなければいけない。
そんなカエルレアはここ一週間ずっと悩んでいる。
問題は、隣町からやってきたリリィの婚約者ウーゴ・トランダフィルのことだ。
カエルレアの婚約話は、結構前から両親に聞かされて知っていたため、様々な葛藤を押しとどめながらリリィと過ごしてきたのだが、それがウーゴと顔を合わせたことにより爆発してしまった。リリィの前で、ウーゴを罵倒するかの如く吐き散らしてしまった。
後から後悔したが、もう遅い。リリィは、カエルレアのことをどう思ったのだろうか。嫌いになったりしてないだろうか。
だけど同時にもうひとつ気になっていることもある。
それは、リリィの婚約者ウーゴのことだ。
ウーゴがあの時カエルレアに見せた碧い瞳は、平穏な町で過ごす華族に為せるわざではないだろう。あの瞳は、まるで暗い闇夜に過ごす住人の輝きを秘めていて、お伽噺に相応しくない瞳だった。
危険だと、カエルレアの脳裏に警鐘が鳴った。だからそのあと、リリィがクッキーを持ってきて落とした際もうわの空で、リリィに挨拶することも忘れてその場を後にしてしまった。帰ってきてから、あのとき挨拶していればと思っても遅い。あれから一週間、カエルレアは悩み続けている。
自分はどうすればいいのだろうか。
リリィに嫌われていたりしないだろうか。
ウーゴ・トランダフィルのあの時の瞳は一体何だったのだろうか。
それよりも。
もっと重要なのは、これだ。
このままリリィが結婚してしまえば、友人であるカエルレアはもう彼女の傍にいられないのではないか。彼女はどんどん離れて行ってしまうのではないだろうか。
リリィ・クローリスのすぐ傍にあるはずの自分の居場所は、このままではなくなってしまうのではないだろうか。
(そんなのダメよ! 絶対にッ)
カエルレアは枕に顔を押し付けてじたばた足を動かしながら、今夜も悩んでいた。
だから、こんな夢を見ることになったのだろう。
カエルレアはお花畑で遊ぶ夢を見ていた。
春夏秋冬問わず様々な花の咲き乱れる花畑の中心で、フラワー・フェアリーに似た妖精が花弁や種を撒きながら飛び回る。
その花畑には池もあった。花畑に似つかわしくない泥の溢れる池の中心で、真っ白の睡蓮の花が咲いている。夜咲きの睡蓮だ。自分はここにいるぞ、とその花は泥の中から胸を張っている。
それをカエルレアは、「強く、
背後に気配を感じたのはその時だ。
カエルレアは、振り返ると思わず息を飲んだ。
視線の先にいたのは、人間離れした容姿をした男性。
幻想のような髪は地につくほど長く、美麗な容姿をした男性は、ぱちりと一度瞬きをする。その瞳も、幻想のような色合いを魅せていた。
『――初めてのお客さんだね』
頭に直接語りかけてくるような、どこか懐かしく、儚い声。
『新しいお客さんがここに来るのは、久しぶりのことだ。いつもは僕の愛しい白百合しか来てくれないからね』
「だれ?」
そう問いかけるが、男性はカエルレアを見ながら、その瞳は彼女を見ていなかった。
どこか虚空、いや遠くだろうか。その瞳は、ここではない別のところをずっと見ている。そのように見える。
『ふむ、どうやら君も悩んでいるようだね。いや違うね。悩んでいないと、この花園に迷い込んだりしない。君は……そうか、カエルレア。愛しいカエルレア、君の瞳を見せておくれ』
そして、やっと男性の視線が、カエルレアと交わった。
『――さあ、その瞳を開けるんだ、昼咲きのカエルレア。君は、夜にも綺麗な花を咲かせられるだろう。自分の望みを叶えるために、忘れ去られた半身をその身に宿すといい』
池で咲く白い睡蓮の花が、空に浮かび踊る。
それを遠くで眺めながら、カエルレアは目を覚ました。
カーテンの向こう、窓の外は真っ暗だ。いまは真夜中なのだろう。
カエルレアはベッドから起き上がろうとして、ふと自分の手を見る。日常的にみるその腕は、どこか固く、いつもより一回り太くなっているような気がした。
はらりと、前に垂れる金髪が――ない。
カエルレアはハッとして、慌てて寝台の横の棚に置いてある手鏡を手繰り寄せた。
鏡を覗くと、青い瞳を瞬かせる金髪の少年がいた。長くウェーブしていた金髪は短くなり、耳の上で切りそろえられている。自慢の赤い瞳は明るい青色に変わっている。
この少年は誰なのだろうか。
カエルレアは現実を受け入れることができずに、鏡を眺めて放心していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。