第一章 婚約者の秘密④

 金糸のように細い前髪を切りそろえ、横から後ろ髪は軽くウェーブさせて、赤いカチューシャをつけているカエルレア・ニンファエアは、リリィより幾分か幼く見えるものの二人は同い年だという。彼女の気の強くみえる真ん丸の赤い瞳は、いまだにウーゴを敵として捕らえていて離さなかった。

 口を真一文字に引き結び、何か言いたげにこちらを見ているカエルレアから視線を逸らすと、リリィと目が合った。

「どうした?」

 リリィの白い瞳がどこか淋しそうにウーゴに向けられていた。

「いえ、別に何でもありません」

 ふいっと視線は逸らされた。

 疑問に思いながらも、ウーゴはそれ以上尋ねることはなかった。

「あ、そうだ、私、クッキーを焼いていたんです。もってきますね」

 慌てたように立ち上がり、リリィがガーデンテラスから出て行く。

 丸いテーブルを囲んだ向かい側のカエルレアと再び目が合った。

「何か用かしら?」

 どこか険呑な雰囲気を感じる。そこまで俺のことが嫌いなのかと、ウーゴはその素直な反応に自身も素直な笑みを浮かべた。

「何ニヤニヤしているのよ」

「いや」

 ウーゴは笑顔を改めて、自然に見えるように爽やかな笑みを浮かべた。

「似合ってないわよ、それ。リリィを騙せたとしてもね、あたしは騙されないわ! 不自然すぎるもの」

「……そうかな、カエルレア。自分の笑顔に自信があったとは言わないけど、結構傷つく言葉だぞ、それは」

「そ、そんなたぶらかすようなこと言ったって、あたしには通用しないんだからね!」

「さすがにリリィの友人をたぶらかすような度胸、俺は持ち合わせていない」

「ふーん。リリィの親友じゃなかったらいいんだ」

「そういうわけじゃないけどね。というか、こっちの方が不安になるよ。こちらから、リリィに結婚を申し込んだわけだし」

「ふーん。あんたみたいな死んだ目をした男が、リリィを本当に好きだとは思えないんだけど。……リリィの方はそうじゃないみたいだけど」

「なんか言ったか?」

「なんでもないんだから!」

 顔を真っ赤にして、いまにも殴りかかってきそうなほど右手をきつく握りしめたカエルレアを、ウーゴは目を細めて眺めた。

(わかりやすすぎるな)

 リリィがどうたらという言葉はちゃんと聞こえていたが、ウーゴははぐらかした。

「で、王子」

「まだそう呼ぶのかい?」

「その口調気持ち悪いからやめてくれる?」

「……素の口調を気持ち悪がられるとは、いくら俺でも傷つくぜ」

「うざ」

 とても嫌な顔をされた。

「気持ち悪い」

「あまり俺を馬鹿にすると、後でリリィにチクるぞ」

「り、リリィは関係ないじゃない! あんたこそ、さっきのどこぞの王子様フェイスが崩れ果てているわよ! いまは何と言うか、厭味ったらしい極悪面」

 思わず顔を触る。

 リリィの前で自然に浮かべることができた爽やか笑顔は、カエルレアの素の反応に触れた影響か消えていた。あの笑顔の裏に隠されているのは、冷徹な顔だ。それを見てもなお、このカエルレアは、ウーゴに対して敵意を隠そうとしない。

 思わず悪戯心から、ウーゴは冷酷だと畏れられた蒼い瞳に力を入れて、カエルレアの瞳を見返してみた。

「な、なに、よ」

 ビクッと肩を震わせ、カエルレアが固まる。

 唇が震え、その口はさっきみたいにウーゴをコケにするような言葉を発しない。

 まだ瞳が鈍っていなかったのだと、ウーゴは安堵する共に爽やかな笑みに戻した。

 張り詰めていた空気が緩和して、息を吹き返した蛙みたいにカエルレアが呼吸をする。

(やりすぎた)

 五年間、あまりにも平穏な日々を送っていたものだから、加減がうまくできなかった。

 悪かったな、と思いながらウーゴは爽やかな笑みのまま、けろっとした様子でカエルレアに声をかける。

「どうしたんだ。まるで蛙みたいだぞ。……なるほど、だからカエル、レア」

「……ッ、あ、あんた。な、なんなの」

「ただの王子です」

「ち、違うわ。絶対に違う。さっきの目、何。こわ、怖かったなんて思わなかったけどッ。けど、普通じゃないわ。王子じゃないわ。トランダフィルの王子さまが、そんな目をするだなんて聞いたことないもの」

「ん? 目? 何のことだ。身に覚えがないんだが」

「し、しらばっくれるんじゃないわよ!」

「しかし本当にわからないんだけどなぁ」

「うぅ!」

 両手を握りしめて、恨みがましそうな目で吠えてくる。

 やはり、リリィの番犬だったか。

 机に頬杖をつき、ころころ変わる表情のカエルレアを眺めていると、香ばしい匂いが香ってきた。

 リリィがクッキーを持ってきたのだ。

 甘い匂いが鼻腔をくすぐり、匂いのもとを辿りながら視線をガーデンテラスの入り口に向けた。

 そこでは、どこか茫然とした顔をしたリリィが、お盆を両手に持ったまま固まっていた。

「どうした」

 一向に動き出す様子が無いので声をかければ、「あ」と声を出してから歩きだす。

「なんでもない、です」

 慌てて歩きだしたものだから、ガーデンテラスの入り口のサッシに躓き、リリィの体が前にぐらついた。

 危ない、と思ったときには体が動いていた。

 ウーゴは一瞬で間合いを詰めると、リリィの体が倒れる前にその体を抱きとめる。

「大丈夫か?」

「ッ、だ、大丈夫です。ありがとうございます」

 ほんのりとリリィの白い肌が赤くなる。

 リリィの純白の瞳が上目遣いになり、ウーゴを見た。

 どこか泣きそうにみえたが、肌が赤くなっているということは怒っているのかもしれない。あの状態だとリリィの顔面が地面に突撃してしまうところだったので結果的によかったのだが、女性の体を気安く触るのはいけないことだろう。

 リリィが落ち着いたのを見計らい、リリィの体を離すと、彼女の手を握り椅子まで誘う。

 腰を降ろしたリリィは、はっとして傍らの地面を見る。そこには、散らばったクッキーがあった。

「すみません。クッキー、食べられなくなりました」

「いや、別にいいよ」

「で、ですよね。私の作ったお菓子なんて、ウーゴには合いませんよね」

「いや、そうじゃなくってだな」

 何でこんなにもナイーブになってんだと、半ば呆れながらウーゴは王子さまを頭に思い浮かべて自身も爽やかな笑みになり、リリィの頭に手を置いた。

「リリィのお菓子は、これからいくらでも食べられるからね。俺ら、来月には結婚するんだから」

「そう、ですよね。いつでも食べられますよね」

(あれ、おかしいな)

 ここ三日間、リリィは爽やかな笑みを浮かべたウーゴの言葉に、心底うれしそうな笑顔で返してくれていたはずなのに。

 いまのリリィは、目線を落としてどこか淋しそうで、表情は陰っているように思えた。

 それが少しどころか結構気になり、理由を聞こうかどうか口を開いて閉じると、「あ!」と空気になっていたカエルレアが声を上げた。

「あたし、これからお父さまと買いものに行くんだったわ! リリィ、今日はありがとう! 今度、美味しいクッキーを食べさせてね! リリィのクッキーあたし大好きなんだから!」

 テンション高く捲し立てて、その場から慌てて消えて行った。

 その後姿を見ていたリリィが、シュンとして小声で囁く。その囁きは、ウーゴの耳に届かなかった。

「レアといる方が、ウーゴは楽しそうでした」

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