ホルンの"ほ"は「吠える」の"ほ"

小虎ことらくん」

「っわ!」


 そろそろ個人練習再開しようかな、そう思った瞬間、背後から突然声が聞こえてびくっとしてしまった。


「びっくりさせたみたいでごめんね」

「いえ、こちらこそすみません、ちょっと考え事してたので……」


 案の定、さっきおれの名前を呼んだのは楠瀬くすのせ先輩だった。だって、今この教室にいるのはおれと楠瀬先輩だけだし。倉鹿野くらかの先輩は、朝、熊谷部長や千鳥先輩と一緒に源内先生に呼ばれて行ったきり、まだ帰ってきてない。


 先輩にこんなこと言うのは失礼だけど、楠瀬先輩は気配がないからいつの間にかいなくなってたり、さっきみたいに近くにいたりしてびっくりする。倉鹿野先輩みたいに影が薄いのとはまた違うんだよね。……って、このパートは忍者か何かなんだろうか。おれは二人みたいじゃないと信じたい。


「何か用ですか?」

「グリッサンドのコツがあったら教えてほしくて」

「グリッサンドのコツ……ですか?」

「うん」


 グリッサンドのコツかぁ……。改めて聞かれると、どうアドバイスしていいか分からないなぁ。

 ちなみにグリッサンドっていうのは、音を区切ることなくなめらかに演奏する奏法のことをいうんだけど、説明だけじゃ分かりにくいよね。有名な曲だと、ラプソディー・イン・ブルーの出だしのクラリネットのアレとか。でもあれってポルタメントだっけ? あれ? ……でもまあ、あんな感じをイメージしてもらえれば分かると思う。


「そうですね……下の音はしっかり出して、上の音をめがけて、みたいな……。それから口を締めすぎないようにとか、スラーで音の跳躍を練習したりとか、あとはイメージですかね……」

「なるほどー、イメージかぁ。それが足りてなかったのかなぁ」

「倉鹿野先輩ならもっと分かりやすくアドバイスできると思うんですけど……。上手く説明できなくてすみません」

「ううん、そんなことない。ボク全然できないから、すごく助かる」

「……ちなみに今までグリッサンドがある曲の時はどうしてたんですか?」

「なんかそれっぽくごまかしてた?」


 逆にどうやってごまかすのか知りたい。

 っていうか、今思い出したけど、楠瀬先輩って中学の時はホルンじゃなかったんだもんなぁ。中学、高校の三年間で人数とかの関係で楽器が変わることもあるけど、中学から高校に上がって楽器が変わるっていうのも大変そうだなぁと思う。おれは中学一年からずっとホルンだから、よく分からないけど。


「グリッサンドに関しては、ボクがこけても倉鹿野先輩が――」

「呼んだ?」

「うっ、わぁ!」


 今度こそ危うく椅子から転げ落ちるところだった……。大げさじゃなく。楽器手に持ってたから転げ落ちなくて本当によかった……。


「ご、ごめんごめん……戻ってきたら、ちょうど俺の名前が聞こえたからさ」

「長かったですけどなんの話だったんですか?」

「今度の駅前でやるコンサートに関していろいろと」


 この人が影の薄い倉鹿野先輩。そういえば、倉鹿野先輩って副部長だったっけ……。だから呼ばれてたのか。納得。


「で、なんの話してたの?」

「ホルンのグリッサンドについて……ですね」

「小虎くんにアドバイスもらってました」

「あー、グリッサンドね! 楽しいよねー! 楽しいし、おいしくてホルンの見せどころ! って感じだよね! 聞かせどころ、のほうが正しいのかな? とにかく楽しくやるのが一番だよ」


 笑顔で楽しそうに語る倉鹿野先輩。倉鹿野先輩、いろいろ金管できるみたいだけど、なんだかんだ一番好きなのはホルンなんだろうなって思う。なんでって、ホルンのこと語る時が一番楽しそうだし。


「倉鹿野先輩、グリッサンドになるとめちゃくちゃ吠えるんだよね」

「そうなんですか?」

「うん。びっくりした記憶ある」


 ふんふん鼻歌を歌いながら去って行った倉鹿野先輩を横目に、楠瀬先輩が呟く。

 まあ、あれだけ語ってたし、そうなんだろうなってのはなんとなく予想がつくけど。でも、ホルンがそもそもそんなに目立つ楽器じゃないっていうのもあるし、倉鹿野先輩は2nd好きっていうのもあるから、ちょっと予想外ではあるかな。あんまり演奏では主張しないタイプだし。


 倉鹿野先輩と楠瀬先輩のグリッサンドで吠えるとこ、合奏で聞いてみたいから、いつか機会がくればいいな。


 楠瀬先輩も席に戻ったところで、おれも個人練習に戻った。




※グリッサンドとポルタメントは本や楽譜や音楽家によって認識が異なっていたりします

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