日曜日、朝八時の音楽室
土曜日や日曜日の部活は、いちばんはやく来るのはほとんど俺だった。
休みの日の部活はいつも大体九時にはじまるんだけど、それよりもはやく来て練習してる真面目な人もたまにいる。コンクールやアンコンの前は、三十分前にはもうみんな集まってたりする。
俺が時間よりもはやく来てるのは、練習したいからっていうのもあるけど、家が近いからっていうのがいちばんの理由。家でぼーっとして過ごすより、音楽室と準備室の鍵を開けて、ハモデとか出して、それでも時間が余ったら練習してたほうが有意義かなって。
「あ、おはよー。いつも早いねー。鍵はもういってるよ」
「おはようございます、ななちゃん先生。家、すぐ近くなんで……」
「そうなんだー」
学校に来たらまずはななちゃん先生のところに鍵をとりに行く。確実にいちばんのりではないけど、音楽室に行って誰もいなかったらまた戻ってくるの面倒だし。音楽室から職員室までは結構遠い。
今日はもう誰か来てるみたいだった。誰なのか予想はもうついてるけど。職員室を出てすぐに聞こえたサックスの音でやっぱり、と確信に変わった。
音楽室が近づくにつれて大きくなるサックスの音は、俺の知らない曲を奏でていた。朝に似合う、ゆったりとした曲。
「おはよう」
「……おはようございます」
俺が声をかけると、曲の途中で音が止んで振り返った。曲が終わったと思った瞬間に声をかけたつもりだったけど、まだ途中だったらしい。
今日のいちばんのりはやっぱり
弾くんの首にかけられているストラップの先のソプラノサックスは、学校のじゃなくて、弾くんの私物らしい。すごいなぁ。朝陽を反射してきらきら輝いてまぶしい。
「
「そう? 茅ヶ崎くんのほうがはやいじゃない」
「今日はたまたまです」
今日は……? 三回に一回くらいはたまたまなのかな……?
そんなわけで、パートは違うけど茅ヶ崎くんたちとはそこそこ仲はいい……と勝手に思ってる。朝来たら今みたいにちょっと他愛のない話はするからね。同じ吹奏楽部なのに、パートが違うとあんまり相手を知らないっていうのはよくあること。
「こんなにはやく来て練習してるなんて真面目だよね」
「練習? 練習はしてないですけど」
「そ、そうなの?」
確かに、今日吹いてた曲も今やってる曲とは無関係のものだったけど。練習中の曲だったり、そうじゃなかったりするけど、その前にはロングトーンとか簡単な基礎練習くらいはやってるんだと勝手に思ってた。
「じゃあどうしてこんなにはやく学校に来てるの?」
「決まってるじゃないですか」
突然唸り声が聞こえて茅ヶ崎くん――弾くんは一度口を閉じた。どうやら連くんが起きたらしい。
「うあー……変な夢見た」
「おはよ、れんれん」
「おはよー弾きゅん……と、影薄い副部長じゃん」
「お、おはよう……」
連くんは人の名前を覚えるのが苦手らしく、ほぼ全員あだ名というかその人の特徴で覚えてる。
影薄いのは自覚してるけど、面と向かって言われるとちょっとへこむね……。副部長だってことは覚えてくれてうれしい。覚えてなくても支障はないけどよく忘れられるんだよね。
「ってまだ八時かよ! まだ寝てられたじゃん……」
「起きちゃったんだし、楽器でも吹いたら?」
「そーする」
弾くんに言われて、大きな欠伸をしながら連くんは準備室に向かう。
金管は唇で音を変えるから、寝不足とか、寝起き直後に楽器を吹くのは、唇がむくんでねらった音を当てにくくなる。
連くんが準備室に入ったのを確認して、弾くんはおもむろに俺のほうへ向き直った。
「さっきの質問の答えの続きですけど、ぼくがこんなにはやくに学校に来てるのは、」
ああ、そういえばさっき質問なんてしてたっけ。答えを全部聞く前に連くんが起きて聞けなかったんだった。
そこでまたいったん口を閉じて、なぜかにっこりと笑うと俺に一歩詰め寄り、さらに顔を近づけてきた。
「サックスを吹きたいからです」
「……え?」
「サックスを、吹きたいからです」
え、と俺の口から出たのを、聞こえなかったと思ったのか、距離はそのままでゆっくりと同じ台詞を繰り返した。
聞き取れなかったわけじゃない。距離が近くてちょっとどきどきしてたから。
「……そっか」
やっとのことで出た声は掠れていた。
満足したのかくすっと――実際にそう声に出して笑ったわけではないけど――笑って、弾くんはベランダに向かった。
弾くんは外で吹くのが好きで、よくベランダとか屋上で吹いてる。調辺高は周りを自然に囲まれてるから、外でどれだけ音を出しても苦情がきたりっていうことはない。でも、外っていうのは反響するものがないから、自分の出している音がそのまま耳に届くんだよね。つまり自分の実力を思い知らされる。ホールとか、響くところで吹くと上手く聞こえたりするんだよね。
弾くんは自分の演奏に自信を持ってるし、実際すごい。中学校は強豪校だったって聞いたけど、弾くんの努力もあってこそ、だよね。
そろそろ自分の楽器とハモデを出そうかな、と準備室に行こうとしたら、ちょうどトランペットケースを持った連くんが出てきた。
「弾きゅんとなに話してたの?」
「これといって中身のある話はしてないかな……世間話みたいな」
なんとなく、連くんがいなくなった後に声をひそめて俺にだけ聞こえるように言ったから、連くんには聞かれたくなかったのかなって思って濁す。すると連くんはふーんと興味なさそうに俺の横を素通りして行った。
「でも、茅ヶ崎くん――弾くんって、本当にサックスが好きなんだね」
「弾きゅんはサックス大好きだよー。小学生の時からサックス一筋だし」
ひとつの楽器に一筋なのっていいよね。俺、中学の時金管全部やってたから、どれもこれも中途半端で。高校ではホルンに絞ったけど、ホルン以外の楽器をまかされることもまた何度かあったし、そのたびどの楽器もいいなってふわふわしてる。有牛もずっとトロンボーンらしいし、好きできわめてるって羨ましいというか、尊敬する。
準備室に行く途中、窓の外へ視線を向ける。こっちに向けた背中は気持ちよさそうに揺れていて、歌い方が自然で聞いてて心地いい。
楽譜を見ないでいろんな曲が吹けるってすごいよね。それとも弾くんのオリジナルだったりするんだろうか。
「おはようございまーす!」
「おはようございます」
「あ、おはよう」
ハモデを準備してたら、
「倉鹿野先輩いつもはやいですよね!」
「今日は茅ヶ崎くんのほうがはやかったよー」
「それでもはやいと思います!」
鞄を投げ捨てて、準備室に向かいながら猫柳くんが言う。猫柳くんは朝から元気だなぁ。
打楽器は準備が大変だから、ハモデを準備したら手伝おうかな。まだ時間あるし。
「あっ合歓木くん、ありがとう」
「……いえ」
そんなことを考えてたら、合歓木くんがスピーカーを持ってきてくれた。好きでやってるだけだから、後輩に手伝えとかは言わないし、手伝ってくれなかったからって怒ったりすることはない。でも、こうして自然と手伝ってくれるのは嬉しい。
合歓木くんとハモデを準備し終わって、ふぅと息を吐く。時計を見たら八時十五分。もう少ししたら、続々とみんながやってくる時間になる。
「ねぇ猫柳くん。打楽器は何を出すの?」
「あっ大丈夫です! まだ時間あるんで俺ひとりで全部出すんで! 先輩は練習しててください!」
「いいよいいよ。俺は家が近いからはやく来てるだけだから。チャイムって使う?」
「はい! 使います! すみません!」
「気にしないで」
後輩と他愛のない会話をしたり、少しまったりと準備をしたり。休みの部活がはじまる前の朝の時間が、俺は大好きだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます