茅ヶ崎弾という人間
「あー、
「なんですか?」
「今度のウインドフェスのことなんだが」
「はい」
……ほら、やっぱりね。
一応説明しておくと、ウインドフェスっていうのはそのまんま、来月にある吹奏楽祭のこと。それにうちも含めて合同で出ることになってた。
「サックスのソロ、悪いんだけど譲ってもらえないか?」
実力でいえば茅ヶ崎のほうが上手いんだけどとか当たり前のこと言ってるけど、そうなることは日曜日の第一回目の合同練習の時から分かってたよ。ぼくのほうが上手いから、ってあの先輩も言って譲ってくれたけど、納得してない顔してたし、こっそり舌打ちしてたのを知ってる。やりたいならやりたいって素直に言えばいいのに。素直に言ってくれたら譲ってあげたかもしれないのにね。たぶんだけど。
ウインドフェスは、コンクールみたいに優劣をつけるものじゃない。だから思い出作りにソロは他校の先輩に、ってことでしょ。ぼくは二年で、また来年があるから。
「いいですよ」
ぼくがあっさり引くと予想外だったのか、千鳥先輩は一瞬目を見開いた。
本音を言えば譲りたくないよ。たかがウインドフェスでもソロはソロ。ソロをぼくが他人に譲ると思う? たとえ相手が誰であろうとはいどうぞって譲るわけないでしょ? 聞く人だって上手いほうがいいじゃない?
演奏中、立ち上がってステージの前に出て、ソロがはじまるとドラムと伴奏がメゾピアノになり、ステージが暗くなると同時にスポットライトがあたる。観客の視線が自分に集中してるのが薄暗い中でもよく分かって、息を呑む音や思わず口から出た称賛のつぶやきまでもが、自分の堂々とした演奏にまじって聞こえる。
ソロが終わって、深々と頭を下げると一瞬間が空いて、ぱちぱちとまばらに聞こえ始めた拍手が一瞬で広まって、メゾフォルテに戻った演奏が聞こえなくなるほど割れるような拍手を聞きながら自分の席に戻る。何度やってもぞくぞくする。
……でも今回は譲ってあげるよ。ぼくってやさしいからね。
* * * * *
茅ヶ崎――今回は弟のほうな――のことだから、まさかあんな風にあっさりと引き下がってくれるとは思わなくて、あれから三日経った今でも俺は少し動揺していた。心配しすぎるあまりに見た夢だったんじゃないかと何度か思ったけど、あの日以降、茅ヶ崎は合奏で2ndをやっていたし、現実だったんだろう。
しかし、あっさり引き下がってくれたからといって安心はできなかった。ソロがないとサックスのソロがある曲にしてくれと先生に直談判に行くような奴だ。何か考えているに違いない。杞憂に終わればいいが……と考えていたらいつの間にか第二回目の合同練習の日になっていた。
その日の練習は、クラリネットとサックスの練習場所が近かった。
楽器を組み立てて、譜面台も組み立て終えて、基礎練習用の楽譜を開いたちょうどその時。クラリネットが音出しをする音に混じってアルトサックスの音が聞こえて手を止める。適当に音出しをしているわけじゃなく、スケールでもなく、ウインドフェスで演奏する曲の、サックスのソロの部分。
この音にこの歌い方は間違いない、吹いているのは茅ヶ崎だ。
気付くと同時に「あっ!」という声がして、反射的に視線を向けると窓から身を乗り出している数人の女子がいた。
「あの子めちゃくちゃ上手いよね。ちっちゃくて髪の長いあの男子」
「ねー。将来プロになるのかな?」
「どうだろー?」
「……あれ? サックスのソロって、うちの三年になったんじゃないっけ? 確かあの子って二年だったよね?」
「え? 違うよ。あの子だよ。だって先週あの子がやってたじゃん」
「先週そう決まったけど、最後だからって三年生に変わったって聞いたけど?」
そのはず……なんだけど。俺は確かに本人に言ったし、あの日以降の合奏で音が必要だと判断したらしいところは1stを吹いてたみたいだけど、ソロは吹いていなかった。
「でもあの子でもいいんじゃないの? 上手いし」
「上手い下手はおいといて誰でもいいけどさー、コンクールじゃないからやっぱ先輩がやるんじゃない?」
「まーそうなるよねー」
今、ベランダでソロの部分を吹いているのは、会話を聞いても間違いなく茅ヶ崎だろうけど、気になって俺も見に行く。
窓から顔を出して様子を伺うと、二つ隣の教室のベランダで、それはそれは気持ちよさそうに空に向かって歌ってる茅ヶ崎の姿が見えた。茅ヶ崎の構えているアルトサックスが、太陽の光を反射して眩しい。
「ソロって結局あの子がやるんですか?」
「いや……違う、けど……多分」
「ほらーやっぱり」
違う、とははっきり言い切れなかった。
まさかとは思うけど、俺や熊谷、先生に話をしても今回はどうにもならなさそうだから、ソロを吹く本人に直談判でもしたんだろうか。
……もしくは、本番ではやらないけど、勝手にソロの部分を練習しているだけか。練習するだけなら別にかまわないといえばかまわない、けど……。
おそらくは後者で、自分の実力を見せつけて一人悦に入っているんだろうな。そのメンタルは見習いたいような、見習いたくないような。
早く自分の練習に戻らねば、とは思いながらも結局茅ヶ崎がソロを吹き切るまでその場を動けず、最後まで聞いてしまった。背後から聞こえたまばらな拍手につられて俺も拍手する。
ソロを吹き終えた茅ヶ崎はこちらに気付いて振り向き、にこりと人当たりのいい笑みを浮かべると軽く頭を下げ、中へと戻っていった。
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