四月の夕暮れと冷たい緑茶

※二年前、有牛と響介が高一だった頃



「自分の意思で決めたらいいじゃん」

「わあっ!」


 ぼんやりとオレンジと紺色のグラデーションがかかった空を眺めながら物思いにふけっていたら、不意に頬に冷たいものが当たって響介は思わず大きな声を上げる。


「あ、ありがと……」

「時間はまだたっぷりあるといえばあるんだし」


 響介の隣に腰を下ろし、はいと響介に缶の緑茶を手渡した、響介と同じ制服を着たこの男子の名前は有牛といった。


「……そうだね」


 缶を受け取った響介は、すぐには飲まずにお茶らしい緑色にお茶と書かれた缶をぼんやり眺める。

 四月といえど夕方になるとまだ肌寒く、冷たいお茶でと頼んだのは数分前の自分だが少し後悔した。缶を握る両手が冷えていく。


 高校一年生の二人は小学校、または中学校からの付き合いはなく、高校に入学してから知り合ったため、まだ日は浅い。

 同じクラスといえど、タイプの違う二人が知り合うきっかけになったのはつい数日前、部活の見学がはじまった日のこと。有牛が音楽室へ向かうと、ドアに隠れるようにして中をうかがっている響介がいた。そんな響介に、君も吹奏楽部を見に来たのかと有牛が声をかけたことがきっかけだった。


「倉鹿野、中学は楽器何やってたの?」


 響介も有牛も、中学では――いや、中学でも吹奏楽部だった。二人とも高校でも吹奏楽部に入ろうと決めていた。


「いちばん長く吹いてたのはホルンかな」

「ふーん。一番ってことは、他にもやってたの?」

「うん。金管全般やってたんだよね。楽器決めた時はホルンだったんだけど、その後たびたび変わってね……結局金管全部やってたよ」

「ある意味すごいねそれ」


 そう言って響介は苦笑する。

 三年生が引退したなどの理由でバランスが悪くなったり、アンサンブルコンテストの関係で途中で楽器が変わるということはめずらしいことでもないが、約三年で金管すべてを経験したというのはなかなかにないことではないだろうか、と有牛は思う。


 ちなみに、今日の見学で先輩に何の楽器をやりたいかと聞かれた時に、響介は迷うことなく木管楽器を選んでいたので、てっきり木管楽器をやっていたものだと思っていた。高校では中学の部活でやっていた楽器とは違う楽器をやりたいという人もいるだろうし、有牛がそれについてどうこう言うつもりはない。


「いちばん長く吹いてたからホルン好きだし、高校もホルンでいこっかなとも思うけど、ちょっとしか触らなかったほかの金管もやってみたいなーとも思うし、木管も興味あるんだよねぇ」

「パーカスは?」

「パーカスは……ドラムが叩けそうにないから……憧れはあるけど」

「んじゃあえてのコントラバスとか」

「弦楽器はなおさら無理だよ……うちの中学じゃなかったし」


 吹奏楽で使用される主な金管楽器は、トランペット、ホルン、トロンボーン、ユーフォニウム、チューバ。木管楽器はフルート、クラリネット、サックス、オプションでオーボエ、ファゴット。ドラムやティンパニ、マリンバなどは打楽器。唯一の弦楽器がコントラバスだが、ハープが登場する曲も時々ある。


「でも、金管にするにしても、木管にするにしても、中音か低音がいいな」

「じゃあサックスいっとく?」

「サックスはかっこいいから憧れはあるけど、高校だから経験者がいるだろうし無理だよ……高校は経験者が優遇されるだろうし」


 知名度が高く、主旋律も多くてかっこいいからとトランペットやフルートなどの高音楽器に人気が集中する中、中低音に分類されるサックスは例外で同じように人気があった。しかし、同じく中音に分類されるホルンやトロンボーンなどは知名度の低さからか興味を持つ人は少ない。


「経験者が入部するかなんて分からないし、いたとしても無理かどうかなんてやってみないと分からないでしょ。もしかしたら選ばれる可能性だってあるんだし。倉鹿野は器用貧乏そうだしいけると思うんだけどな」

「……それって褒めてる?」

「褒めてるよ」


 器用貧乏と言われて褒め言葉だと感じる人がいるかは分からないが、少なくとも響介にとってはあまり嬉しい言葉ではなかった。

 さっきもいったように、楽器が変わるのは吹奏楽部ではそうめずらしいことではないが、すべての金管楽器をやっていたのだし、おそらく自分はいわゆる器用貧乏なのだろう、と響介は自分でも薄々思っていた。そしてどれも得意とはいえないし、上手くもなかった。だから尚更言われてもあまり嬉しくはない。むしろコンプレックスだった。


「だって俺、木管は見学でちょっと吹かせてもらっただけだよ? ずっと金管だったし、今日だってかろうじて音が出たレベルだし……」

「やりたいと思うなら頑張ればいいでしょ。それでも無理だったら今は諦めるしかないけど」


 きっぱり言うと、有牛は缶コーヒーを飲み干す。その隣で、響介は缶を転がしていた手を止める。


 逃げている、と言われれば否定はできない。有牛の言うように、やりたいと強く思うなら頑張ればいいのだ。中学の部活で、楽器を決める時にホルンになりたくて頑張ったように。

 頑張ろう、と思えないのはそこまで強く思っていないからだった。経験がないからやってみたいという好奇心や、やったことのない楽器への憧れに近かった。


「……やっぱり俺、ホルンにしようかなぁ」

「まだ時間はあるんだから無理に今決めなくてもいいんじゃないの?」

「本音を言うとまだ揺らいでるんだけど。……でも、やっぱり俺、ホルンが好きだなぁって思うからさ。もしダメだったらユーフォかな」

「まあ、倉鹿野が決めたんなら俺は何も言わないけど」


 ちらりと隣の響介を見やると、夕陽に照らされた横顔は笑っていた。その横顔を見て、第一希望がホルンで第二希望がユーフォという選択が響介らしいと思ったのを、有牛はなんとなく口にせずにのみこんだ。


 いちばん長く吹いていたからか、かたつむりと形容されるあのぐるぐるとした形も好きだし、あの角のない柔らかい音も好きだし、唯一ロータリーを押さえるのが左手だったり、夏場の練習ではベルの中に入れた右手が蒸れるホルン特有の特徴も好きだ。

クラシック以外では音色も相まってあまり曲の中で目立つことはない、曲の中での役割も地味なものが多く、知名度もそれほど高くはない、いってしまえば地味な楽器。


「まあ確かに、倉鹿野はホルンみたいな性格してそうだもんね」

「うん。よく言われる」


 時々例外はあるが、楽器ごとにこういう人間が多い、というのは全国共通のようで。ホルンは音色のようにおっとり穏やかな人が多い。

 自分から主張することはほとんどなく、表に立つよりは、裏で支えるほうが好き。人からもよく言われるし、自分でもホルン向きの性格だなと思うことはある。


「地味だもんね」

「……自覚してるけどはっきり言わないで……」


 自分が派手な人間だと思ったことはないし、なりたいとも思わないが、かといって地味だとはっきり言われるのはそれはそれであまり嬉しくはなかった。

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