やっぱりよく分からない
「
「うわあ!?」
先ほど手渡されたばかりの楽譜を眺めていたら、不意に背後から声が聞こえた。驚いた
「そんな驚かれると傷つくわー」
「す、すみません。考え事してたので……ぼーっとしてて」
鴨部は練習にはめったに来ないし、神出鬼没だ。苦手ではないけれど、なんとなく近寄りがたいと朔楽は感じていた。見えない壁が、鴨部との間にあるような。
「相変わらず真面目だね、鳩村くんは」
「……ありがとうございます」
昔から真面目だねとよく言われてきた朔楽にとって、真面目だと言われても正直あまり嬉しくはないが、貶したような言い方ではないので、少し間を空けてそう返す。
「それ今日配られた曲? ……ああ、もうじき文化祭やったなぁ」
早いなぁ、と朔楽の手から楽譜をするりと抜き取りながら呟く。
もうすぐ三年生の先輩は部活を引退してしまうから、毎日とは言わなくてももっと顔を出せばいいのに。合奏を除いて鴨部と一緒に練習した回数は、きっと両手があれば足りるほど少なかったように朔楽は思う。先輩も後輩も分け隔てなく仲のいい他のパートを見ては寂しいなぁと思うことが多々あった。毎日練習に来てくれたところで、人付き合いを苦手とする自分が、ましてや先輩と仲良くなれたとは思えないけれど。
「ん、この曲ソロあるんか」
「そうみたいですね」
「頑張れやー鳩村くん」
「あ、はい……って、え? 頑張るって……何をですか?」
「何をって、そんなんソロに決まってるやん。そんなボケ全然おもろないで?」
おもしろくないと言いながら、鴨部は声を出して笑う。
もちろんぼけたつもりはなかった。そもそも朔楽は一瞬で面白いことを思いつくなんて、高等なスキルは持ち合わせていない。
「ぼ、僕ですか? 僕がソロやるんですか?」
「決まってるやろ? 俺もうじき引退やで?」
「で、でも、引退だからこそ」
「何を言ってんの鳩村くんは。コンクールで1stだったし、先輩が引退してからはなんやかんやで俺がずっと1stやらせてもらってたやん。鳩村くんのほうが真面目に練習しとるし、上手いのになぁ」
今度は笑わずに言われた台詞に、朔楽は顔に熱が集まるのを感じた。
鴨部と一緒にした少ない練習の中で、朔楽は鴨部のある特徴に気付いた。会話を続けていくと、鴨部はだんだん関西弁になっていくのだ。出身は関西だったのだろうか。他の人と話していてもそうだったし、関西弁を隠す気はないようだが、話し始めや短いやりとりの時は標準語で話している。
会話が続くということはある程度は気を許しているのだろうし、関西弁の方が鴨部の素に近いらしくて朔楽も話しやすい。
「……僕、鴨部先輩のフルート、好きなんです」
「それほんま? ならありがとなぁ」
「先輩が引退したら、そしたら僕が頑張らなきゃならないの、分かってます。でも、最後だからこそ、先輩のフルートが聞きたいです。先輩のソロが、聞きたいです」
わがままで自分勝手な意見なのは自分でも分かっていた。合奏には顔を出すものの、個人練習やパート練習にはめったに顔を出さない。それでもたまに吹く鴨部のフルートの音色が、朔楽は好きだった。サボっていると言いながら絶対どこかで練習しているに違いないと思っているけれど、果たしてどうなのだろうか。
技術的にいえば、朔楽のほうが上だけれど、上手いと好きは別物。
「ほんま、鳩村くんにはかなわんわ。でもな、嬉しいけどな、ソロは鳩村くんが頑張りや。文化祭で鳩村くんのソロを隣で聞けたら、もう俺は心残りはないわ」
「えぇ……そんな、まだ高校生なのに」
寝癖でぼさぼさの朔楽の頭を鴨部がわしゃわしゃと撫でる。朔楽が小さく笑ったのを見て、鴨部もつられて笑う。
「ま、気ィ向いたらやるわ。でも期待はせんといて」
「……じゃあ、と言ってはなんですが……。無理に、とは言いませんけど、引退までの間、鴨部先輩と一緒に練習したいなー、なんて」
「なんやの、今日の鳩村くんえらい積極的やけど、なんかあったんか? まあ考えとくわ。……あ、せや鳩村くん。今日の練習場所どこなん?」
「えっ? 今日の練習場所? ……えっと、社会科準備室だったと思います」
「面倒やなぁ……遠いやんけ」
ぶつぶつと文句を言いながら去っていく鴨部の背中を見つめながら、さっきの答えが遠回しの「今日は練習に行く」ということに少し経ってから気付いて、思わず朔楽は階段を駆け上がった。
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