第三章 第五話


「なんであんなところにいるんだ!」


 鉄橋の上に立つ少女を見て、ハルトマンは息をんだ。


「家が……川の向こうだから……きっと」


 ハルトマンにしがみついた女の子が、小さな声で言う。


「そっか。ひとりで帰ろうとして」


 それで、ちゆうつかれたのか、足元を見てこわくなったのか、動けなくなったようだ。


「ここで待ってて。いいね?」


「はい」


 少女をその場にとどまらせ、ハルトマンは鉄橋に向かった。

 鉄橋は、鉄道用のもの。

 結構大きな橋で、鉄骨のすきから下を流れる川が見える。


「ねえ!」


 たもとまで来たハルトマンが声をかけると、小さな女の子は振り返って転びそうになる。


「あ、危ないから動かないで!」


 あおざめるハルトマン。


「私、お姉ちゃんの友だちだから」


 何とかその場に留まらせ、そ〜っと、女の子に近づいてゆく。

 だが、あともう少し、というところで。

 ピィーッ!


「うっそ!」


 とつぜん、川の向こう岸の林の中から、蒸気をき上げてしつそうする機関車が現れた。

 ロンドン行きの急行列車である。

 それが、真っぐに自分たちに向かってやってくるのだ。

 すでにハルトマンと機関車のきよは100mを切り、機関車は鉄橋にさしかかろうとしている。

 単線の鉄橋のど真ん中。

 げ道はない。


「わわわわわわわっ!」


 ハルトマンは女の子をひっかかえると、機関車に背を向けてもうスピードで走り出した。

 だが、エースと呼ばれるハルトマンも、ストライカーをいていなければつうの……もとい、普通とはちょっと違うが、少女である。

 機関車と競走して勝てるきやくりよくはない。

 ピィーッ!

 ひびわたる汽笛。

 だが、機関車の速度は落ちない。

 ハルトマンたちとの距離は、みるみる縮まってゆく。

 20m。

 10m。

 8m。

 7、6、5、4……。


「こうなったら!」


 走るハルトマンの頭とおしりに、使いダックスフントの耳と尻尾が出現した。


疾風シユトルム!」


 ハルトマンの固有魔法は大気とエーテルをあやつり、身体からだのまわりに風を発生させるもの。

 かすかに線路の上から、身体がき上がる。

 と、同時に機関車がハルトマンに追いついた。

 ガガ、ガガ、ガガ、ガガッ!

 そしていつしゆん後。

 ドンッ!


「くっ!」


 ハルトマンのきやしやな身体は、空高くね上げられた。

 全身ぼくと内臓れつで命を落としていても、おかしくないじようきようである。

 だが。


「し、死ぬかと思った〜っ!」


 ハルトマンも少女も、傷ひとつ負っていなかった。

 機関車の前面にぶち当たったかに見えたが、ハルトマンは風をまとってクッション代わりにし、機関車のちよくげきまぬかれたのだ。

 ザッブーン!

 女の子を抱えたまま、ハルトマンは川に落下し、白い水柱が上がる。

 そして。


「………………ぶはっ!」


 いったん川底近くまでしずんでから、ハルトマンは水面に顔を出した。


だいじようか?」


 うでの中の少女をづかい、声をかける。


「うん」


 目を丸くしたまま、うなずく少女。


「そっか」


 ハルトマンは少女の頭をグリグリとでてから、自分の姿を見てニッと笑った。


「水着でよかった〜」


 川岸では、少女の姉がこちらに向かって何かさけんでいる。

 妹が無事かどうか、気になっているようだ。


(あはは、あれじゃトゥルーデだよ!)


「お〜い!」


 ハルトマンは、そんな妹おもいの少女に向かって、大きく手を振った。



  * * *



「ええっと、とりあえず、ハルトマンさんが着ていった水着の代金をはらって……」


「あとはこのハルトマンちゆうの制服を持って、いつたん、基地に帰るしかないよね、芳佳ちゃん」


 結局、ハルトマンは見つからず。

 芳佳とリーネは、最初のブティックにもどってきた。

 カランカランという音のするとびらを開けて、店内に入ると、そこには……。


「二人とも遅〜い! まったく、どこほっつき歩いてたんだ〜?」


 ニヤリとしながら腕組みをして立つ、水着姿のハルトマンがいた。


「ハ、ハ、ハ、ハ……」


「ハルトマン中尉?」


 絶句する二人。


「私からはなれちゃじゃないか? まいになっちゃうぞ」


 ハルトマンはまったく困ったものだ、という様子でかたをすくめ、今身につけている水着の代金を店員のお姉さんに払う。


「はいは〜い、それじゃみなさん、一着ずつお買い上げということで〜。毎度、ありがとうございま〜す!」


 ぜんとする芳佳たちのわきで、店員のお姉さんがレジをチンと鳴らした。



  * * *



「リーネ、宮藤、たまの休みはまんきつできたか?」


 ゆうが空をあかねいろに染めた黄昏たそがれどき

 ミーティングルームのソファーに座っていたバルクホルンは、基地にかんした芳佳とリーネを見上げて微笑ほほえんだ。

 だが。


「……ん?」


 芳佳たちは、すっかりつかれ果てた表情。

 英気を養ったとは言いがたい二人の様子に、バルクホルンは手にしていた雑誌を置き、まゆをひそめる。


「どうした?」


「バ、バルクホルン大尉〜!」


「大尉ってすごい方だったんですね!」


 あのハルトマンを毎日相手にして、平気な顔でいられるなんて。

 宮藤とリーネは、そんなバルクホルンに今、改めて尊敬のまなしを向けた。


「な、な、何だ、二人とも?」


 思いもよらない好感度アップに、バルクホルンはげんな表情をかべる。


「さっぱり事情が分からんぞ?」


 と、そこに。


「お〜い、トゥルーデ〜! 新しい水着、買ってきたよ〜」


 まるで何事もなかったかのように元気なハルトマンが現れて、ソファーの背もたれしにバルクホルンにしがみついた。


「ほらほら、見て見て〜」


 さっそく新作水着をろうしようと、制服をぎ始めるハルトマン。

 バッ!


「じゃじゃ〜ん!」


 黒い制服が宙をい、柱時計に引っかかる。


「エ、エ、エ、エーリ……」


 ハルトマンを見つめるバルクホルンの顔が、こおりついた。


「ん?」


 みようにス〜ス〜する感覚。

 ハルトマンは首をかしげた。


「……ハルトマンさん、水着、ここです」


 芳佳がおずおずとかみぶくろを差し出した。


「あれ?」


「水着、着るの、忘れてます」


 今さら言ってもおそいが、リーネが小声で告げる。

 そう。

 今のハルトマンは、生まれたままの姿。

 一糸まとわぬ状態。

 所謂いわゆる、すっぽんぽん、だった。


「えへへへ」


 ハルトマンは頭をく。


「ま、いっか?」


「……エーリカ! エーリカ・ハルトマンちゆう!」


 顔を紅潮させたバルクホルンのぜつきようが、茜色の空にひびわたった。



  * * *



 そのころ

 ハルトマンがなくしたズボンは、というと……。


「ねえねえ、お母さん、あれ、何〜?」


 パブ『転んだうまてい』の前を通りかかった親子連れ。

 母親に寄りうように歩いていた男の子が、鉄製の看板に引っかかり、ヒラヒラと風にたなびく白い三角の布を見上げて指さした。


「ええっと……」


 返答にきゆうする母親。


「少年、あれはじゃな」


 そこに通りがかった老人三人組のひとりが、男の子のかたをポンとたたく。


「地上のすべてのおとこが心にいだく、夢の欠片かけらじゃよ」


「夢の……欠片?」


 首をひねる男の子。


「ウィッチーズに栄光あれ!」


 老人たちはかんるいむせぶと、白きロマンの一切れに向かって敬礼した。


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