第四章 雪中の笛吹き  ──またはサー二ャとエイラのカンタータ

第四章 第一話


 サーニャの、サーニャによる、サーニャのためのらしい歌!

 私は、そのばんそうをしたいんだ!


 楽器にれたこともないエイラ・イルマタル・ユーティライネン少尉がそんなとんでもない思いつきをしたのは、とある午後のこと。

 凍湖上に設営されたスオムス軍仮設基地の倉庫のすみに、積み重ねられた楽器のケースを見つけてしまったことに始まる。


「……これ、何だ?」


 ほこりかぶった黒いケースの山を見て、つぶやくエイラ。


「ああ、楽器ですね。軍楽隊や、しゆで演奏をしていた兵士や下士官たちが置いていったものです」


 そばを通りかかった整備兵が、しよう交じりに教える。


めいと呼べるほどの物はありませんが、どれもまだ使えますよ」


「……これだ」


 エイラのひとみがキラリと光った。


(楽器をこっそり覚えて、サーニャの歌の伴奏ができるようになる。そうすればサーニャ、きっとおどろくぞ)


 自分が演奏するとなりでうっとりとした表情でうたうサーニャ・V・リトヴャク中尉の愛らしい姿がのうぎり、エイラはとろけるようながおになる。


「あ、あの?」


 おそる恐る声をかける整備兵。


「い、いいや、何でもないんだ。……これ、借りていいか〜?」


「どうぞどうぞ。埃を被らせておくより、使ってやった方が楽器たちも喜びますよ」


 ここしばらく、積んである楽器に触れたものがいないことを知る整備兵はかいだくする。


「それじゃえんりよなく」


 エイラは片っぱしからケースを開けて、中身をかくにんした。


「ん〜、どれにしようかな?」


 トロンボーン、ヴィオラ、オーボエ、ファゴット、コントラバス……。

 中にはバンジョーやダルシマー、シタール、チター、ドブロギター、ハーモニカ、果ては三味線しやみせん、ムックリまであるが、エイラが名前を知っている楽器はわずかである。


「なあ、覚えやすいのって、どれだと思う?」


 エイラは整備兵をり返った。


「さ、さあ?」


 特に演奏経験がある訳でもない整備兵は首をひねり、つけ加える。


「確かウィッチの方々のらく室のしよには、ヴァイオリンやフルートの教則本が何冊かあったと思いますが?」


「……よし!」


 エイラはとりあえずヴァイオリンをためすことにして、そのケースを胸にきしめた。

 サーニャとおそろいのイヴニングドレスをまとい、ゆう身体からだらしてく自分の姿を思いかべながら……。



  * * *



「上達するまで、バレないようにしないとな」


 ヴァイオリンの秘密練習は、ナイトウィッチのサーニャがている時間、つまり午前中の早い時間に格納庫で行うことにした。

 他のウィッチたちや整備兵たちが遠巻きにする中、めずらしくおしとやかな足取りで現れたエイラは、教則本をめんだいに立て、ケースからヴァイオリンを取り出してあごの下にえる。

 エイラの音楽的なセンスはだれも知らないが、あのうたひめサーニャの友人である。

 周囲の目には、それなりの期待がこもっている。

 しかし。


「それ!」


 まつやにをつけた弓をげんに当てて、グイッと引いたいつしゆん後。

 ぎゅい〜ん、ぴょ〜ん!

 引っかけられた反動でエイラの手をはなれた弓が、左ななめ上方に向かって勢いよく宙を飛んでいった。


「……あ」


 しようした弓は、ちょうどはしに乗ってペンキをっていた兵士のわきばらに命中。


「ぐはっ!」


 手にしていたペンキのかんが、そのひように落下する。

 運の悪いことに、そこに誰かが連れ込んだらしい太ったねこが通りかかった。

 ふぎゃあ〜っ!

 ペンキを浴びた猫は驚いて走り出し、たまたま近くにいたウィッチの可愛かわいいおしりつめを立てる。

 みぎゃあ! バリバリバリ!


「きゃあ!」


 ウィッチは思わず、持っていたストライカー整備用のレンチを投げ出した。

 ゴンッ!

 レンチは放物線をえがき、発進ユニット上でストライカーのエンジンテストをしていた整備兵の後頭部をちよくげき


「ととっ!」


 バランスをくずした整備兵はコントロールパネルのレバーに手をかけ、グイッとたおす。

 ガゴン!

 ガッシャン!

 ストライカーユニットを支えていたフックが外れると同時に、エンジンが点火。

 ブワン、ブルルルルルルーッ!


「うわああああっ!」


げろ!」


「きゃあ!」


 無人のストライカーユニットはね回り、備品の箱、他のストライカーユニット、石油缶などを片っぱしからぎ倒してゆき……。

 どっご〜ん!

 ピキッ! ミシミシミシッ!

 10km先からもにん可能な火柱が格納庫の屋根を破って上がり、厚さ1mの凍湖の氷にれつが走った。


「ヴァイオリン……なんておそろしい」


 冷やあせをぬぐうエイラ。


「まさに音楽界のきよう


 凶器はしよう、あなたです!

 その場に居合わせた誰もがそう思ったが、それを口にできる者はいなかった。



  * * *



「……仮設とはいえ、格納庫ははんかい。ストライカーユニットの約半数が、割れた氷の間から湖底へ。原因はいったい何だ?」


 一時間後。

 さんじようを確認した隊長は額に手を当て、呼び出したエイラにたずねた。

 その足元では、身体からだの半分が緑に染まった猫が、ふんまんやるかたない顔でエイラをにらんでいている。


「いや、これは〜」


 姿勢を崩し、頭をくエイラ。

 幸い、あれだけのさわぎもサーニャにバレることはなかった。

 ベッドでじゆくすいしている時間だったし、他のウィッチや整備兵たちも、エイラがサーニャのために楽器を始めたことは想像がついている。

 だから誰も、えてサーニャに事実を告げることはなかったのだ。


「……まあ、サボタージュではないことは分かった。以後気をつけるように」


 隊長はあきらめたようにため息をらす。


「はっ! 以後は気をつけます!」


 エイラはビシッと敬礼すると、野良猫の首根っこをつまみ上げて隊長室を辞した。

 しかし……。



  * * *



「昨日は実に不幸な事故だったな〜」


 多少の失敗でりるエイラではなかった。

 夜間しようかい任務からもどってきたサーニャがいつものようにベッドをちがえてエイラのベッドに入り込むと、彼女がぎ捨てた服をきれいにたたんでやってから、オカルト的な風合いのい円テーブルの上にこっそりとカードを並べ始めた。


「前もってうらなっておけば、そんな事故もけられるって」


 しよう、的中率100パーセントのタロットでるのは、今日の自分の運勢だ。


「そもそも、格納庫で練習したのが間違いだったな。あそこはおんきようが悪すぎたんだ」


 サーニャを起こさぬよう、小声でつぶやきながらカードをめくると。


「……う」


 現れたカードの表に描かれているのは、逆さりになった男の絵。


けい者』は、停止、無進歩を示すカードである。


「練習、明日に回す……いいや!」


 躊躇ためらいをはらい、エイラは決意を固めた。


「サーニャのため、やるしかないんだ!」



 もろもろの事情で使えなくなった格納庫の代わりに、エイラが練習の場として選んだのはしよくりよう倉庫だった。

 ここなら、すい兵以外はめつおとずれないので、人知れずうでみがくにはピッタリである。


「よいしょっと」


 持って来た楽器はグランドハープ。

 何となく、ゆうそうだというだけで選んだものだ。


「……こうやるんだっけ?」


 ゆかに置いた教則本をのぞき込みながら、自分の身長ほどもあるハープをみぎかたで支え、ペダルに足を置く。

 だが、ハープの本体は35kg。

 慣れない身には、意外と重い。

 案の定。


「とととっ!」


 エイラはバランスをくずし、身体を左にかたむけた。

 そこに、ハープの本体がたおれ込んでくる。

 びよ〜ん!

 ハープの中音域のげんと弦の間に、エイラの首がはさまれた。


「おわっ!」


 小さなおしりをはね上げたり、可愛かわいこしをひねったり、何とか首をこうとするが、うまく行かない。

 かみが弦にからまっているのだ。


「ぷぷぷぷぷっ!」


 顔色が赤に、続いて青に変わった。

 動脈があつぱくされ、血流が脳に届かないのである。

 かすむ視界に、サウナのようせいさんのラインダンスがかんで見える。


「だ、だれ……か!」


 両手で宙をつかみ助けを求めるが、人の出入りが少ないからという理由で練習場所に選んだ食糧倉庫である。

 そう都合よく救い主は現れない。


(さ、酸素が……)


 エイラは床に座り込むと、右足をハープの柱、左足をきようどうにかけ、こんしんの力をめて押し上げた。


「くくくくくくくっ!」


 ネウロイとの戦いでは、決して演じられることのなかった形のとうり広げられる。

 あえのうさいぼう

 ゆがむ顔。

 張りめる弦。

 まる首。

 やがて。

 プチプチ!

 ビ〜ン!

 ちつそく寸前。

 エイラは絡まった髪を引きちぎるようにして、何とか首を抜くことに成功した。


「ぷは〜っ!」


 肺を空気が満たす喜びを、エイラは心からめる。


「……ハ……ハ……ハープとは……あいしようが悪い」


 それが、生死の境を彷徨さまよったエイラが出した結論だった。



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