第一章 第二話


 日没の30分ほど前からポツポツと落ち始めた雨は、夕食後に本格的な降りとなった。


「サーニャ、寒くないか?」


 切り立った岩場の間をうように飛びながら、エイラはサーニャをづかっていた。

 夏とはいえ、雨のせいで気温は急激に下がってきているのだ。


だいじようよ」


 と、サーニャはこのいんうつな天候の中、雨音に合わせるように歌を口ずさむ。

 この歌は、サーニャの歌。作曲家であるサーニャの父が、雨が続いて退たいくつそうにしていたむすめのために作った曲である。

 昼間とは別人のように、とは言わないまでも、サーニャのんだひとみはパッチリとえている。

 さすがは完全夜型のウィッチだ。

 片や。


「うう、エイラさん、タロットカードのうらないで分からなかったんですか〜、夜から大雨になるって?」


 情けない声でたずねたのは、昼夜関係なくボケとドジをつらぬく芳佳。

 飛行時のウィッチには、けいやくを結んだ使いの耳と尻尾しつぽが現れるのだが、芳佳の使い魔、豆柴──決して豆狸ではない──の耳と尻尾も、ぐっしょりれて元気がない。


「いや、さすがに天気は無理だな。っていうか、悪天候ぐらいで坂本しようが組んだ訓練メニューが変わるもんでもないだろ?」


 そう答えながらも、ジワジワと体温をうばぬかあめと、制服のズボン(注:パンツではない)がおしりに張りつくかんしよくに、エイラも不快さをかくせない。


「雲の上、飛べば濡れないんだけどな〜」


 エイラは低く垂れ込める雲をうらめしげに見上げる。


『おいおい、それじゃ訓練にならんだろ』


 インカムを通じて、坂本の声。

 ウィッチーズ基地のかんせいとうから、坂本は指示を出しているのだ。


『谷間に沿って、ちよう低空で飛ぶことで技術を磨けるのだからな』


「でも、この雨ですよ。……って、あわわ!」


 とつぜん、目の前にがけが現れ、芳佳は急せんかいした。

 たんにバランスがくずれ、未成熟な、いや、未熟な芳佳はついらくしかける。


「宮藤さん、失速!」


 サーニャがあわてて、せいぎよを失った芳佳の身体からだを支えた。りだが、ポニョンとした感触の胸が芳佳の顔に密着する。


「あ、ありがとう」


 ホッとため息をつく芳佳。

 芳佳は見通しのかない夜の飛行にようやく慣れてきたところ。いきなりこの悪条件は、ハードルが高過ぎる。


「坂本さん! 暗くて、こわくて、びしょびしょで、冷たいです。何かアドバイスを!」


『……落ちるな』


「……」


 的確で簡潔なアドバイスだ。


「こら〜! いつまでサーニャにくっついているんだ〜!」


 サーニャにきかかえられたままの芳佳を見て、二人を引きはがそうとするエイラ。


「う〜、放されたら落ちちゃうよ〜!」


 芳佳は必死にサーニャの胸にしがみつく。


(あ)


 エイラに引っ張られて芳佳の顔が動くたびに、えも言われぬ、うずきのようなものを胸に覚えるサーニャ。


「しょうがないな〜。ほら」


 エイラはごういんに芳佳の手をにぎった。


「これでいいだろ?」


「う、うん」


「ちょっとの間だけだからな。慣れたらひとりで飛ぶんだぞ」


 まるで、幼い妹に自転車を教えるお姉さんである。

 変人に見られがちなエイラだが、基本的にはめんどうのいい、性格のいい子。ただ、ほんの少し人見知りなところがあり、打ち解けて話すのに時間がかかるだけなのだ。



「……なあ」


 しばらくして。

 ゆるやかなジグザグをえがいて谷を飛びながら、エイラはポツリとサーニャに尋ねていた。


「坂本少佐、どうしてこんな訓練思いついたのかな?」


「……どうしてかな?」


 ハミングをやめ、首をほんの少しかしげて、サーニャは考え込む。


「まさか! 少佐、宮藤をナイトウィッチにする気なのか!?」


 もしも、宮藤がナイトウィッチになれば、当然、サーニャと組むことに。

 そうなると、自分がサーニャと組む機会がグッと減る可能性が高いことに気がつき、エイラはがくぜんとなる。


「それはないと思うわ」


 サーニャは目を細めた。


「坂本少佐、今回はむしろ、宮藤さんをエイラと組ませたかったんじゃない?」


「私と?」


「エイラは」


 サーニャはささやくような声で、自分の考えを説明しようとする。


「私とちがって、だれとでも上手に組めるでしょ? 坂本少佐、宮藤さんをエイラみたいなウィッチにしたいって考えているんじゃないかな」


「私みたい? そりゃ買いかぶり過ぎだろ?」


 スオムス空軍ではトップ・エースだったエイラだが、自分が人の見本となるようなウィッチだと思ったことは一度もない。

 だが、確かに。

 魔法を得意とする芳佳の場合、自由に組む相手を選べた方が、隊全体の戦力底上げにつながる。


「私だって……、エイラと組んでいるととっても安心できるし」


 そう言って、ずかしそうに目をせるサーニャ。


(よしっ!)


 我が人生にいつぺんいなし!

 エイラは心の中でガッツポーズを取る。

 その時。


「サーニャちゃ〜ん、エイラさ〜ん! あんまり速く飛ばないで〜、私、追いつけないよ〜」


 はるか後方を飛ぶ芳佳が、おくれまいと必死の形相で声をかけてきた。どうやら二人で話し込んでいるうちに、引きはなされたらしい。


「悪い悪い」


「ごめんなさい」


 二人は旋回して、芳佳のところへともどった。



  * * *



「そろそろ帰るか? もう訓練としちゃ、十分飛んだだろ?」


 真夜中をだいぶ過ぎたころ

 へとへとになった芳佳をり返り、エイラは言った。


「そ、そうしてもらえると、助かるよ〜」


 あんのため息をらす芳佳。


「坂本しよう、よろしいですか?」


 サーニャがかんせいとうの坂本にかくにんを取る。


『ああ。ご苦労だった、帰ってきてくれ』


「よかった〜」


 芳佳たちはせんかいし、帰路につこうとする。

 だが。


「?」


 サーニャの視界のはしに、チラチラとオレンジ色の光が映った。

 むなさわぎを覚えたサーニャは旋回して、光を確認する。


(あ……)


 地上でまたたくその光は、燃え上がるほのお

 山深いこのあたりに民家はないので、だんの明かりということはあり得ない。


「…………」


 やや高度を落としてみると、山道で車が横転し、火の手が上がっているようだ。


「宮藤さん、エイラ」


 サーニャは二人を呼び止めた。


「も、も、燃えてる! 事故だよ!」


「行こう!」


 芳佳とエイラは、事故車に向かって降下する。


「……」


 サーニャも引きまった表情になり、二人の後を追った。


だいじようですか!」


 着陸した芳佳は、車のそばに立っていた男に声をかけた。横転し、燃え上がる車の側面には、赤十字のマーク。

 どうやら救急車両のようだ。


「ウィッチの方ですか!?」


 顔をどろだらけにしてぼうぜんとたたずんでいた白衣の男は、芳佳たちの姿を見てホッとした様子を見せた。


「私は無事ですが、彼が……」


 男が指さした先には、に寄りかかり、苦しそうな表情で座っている、もうひとりの白衣の男性の姿があった。


「手当てしなくちゃ!」


 芳佳は男のそばに行き、の様子を見る。


「私はいいから、このケースを」


 金属製のケースを大事そうにかかえた白衣の男はうつたえた。


「このケースを、この先にある聖カテリーナ病院に届けてくれ」


 男はどうやら、両足を骨折しているようだ。


ほうっておく訳にはいきません」


 決して軽い怪我ではない。複雑骨折なので、このままでは感染しようになるおそれもあるのだ。

 芳佳は男の足に手をかざし、治癒魔法を使った。温かい緑の光が、男の足を包み込む。


たのむ」


 男はあえぎながら、なおも言った。


「幼い命に係わる話だ。この血液を待っている女の子がいるんだ」


「血?」


 芳佳は、男が差し出した金属製のケースにもう一度目をやった。


「あれって、血が入ってるのか?」


 エイラがもうひとりの男に事情を聞く。


「はい。この先にあるやまあいの病院に難病の女の子がいるんですが、とくしゆな血液型の子で、手術にはこの輸血用の血液が必要なんです。今日、いえ、昨日の夜に急にその子の容態が悪化してきんきゆう手術が必要になり、急いで血液を運ぶところだったのですが……」


あせっていたのとこの雨で、ぬかるんだカーブでスリップしてしまったんだ」


 芳佳の手当てを受けている男が、くちびるむ。


「このままでは我々のミスで、女の子ひとりの命が失われてしまう。頼む、このケースを」


「分かりました」


 十分とは言えないまでも、応急の手当てを終えた芳佳は、男からケースを受け取った。


「きっと、間に合わせます」


「お前、大丈夫なのか? もうかなりバテてたろ?」


 芳佳を見て、エイラはまゆをひそめる。

 訓練だけでもかなりろうしたはずのところに、ほうの使用。芳佳の体力は、限界ギリギリのはずだ。


「でも、行かなくちゃ! 命がかかっているんだから!」


「……エイラ、私たちも」


 と、サーニャ。


「そうだよな、このままって訳にはいかないよな」


 エイラもうなずいた。


「坂本さん!」


 芳佳はインカムでかんせいとうれんらくする。


『事情は聞いた! 行けるか、宮藤、サーニャ、エイラ!?』


 坂本は三人にたずねる。


「もちろんです!」


「……はい」


「軽い、軽い」


 と、三人。


『任せたぞ! 病院には私から連絡する!』


「はい!」


 芳佳はケースを両手で抱え、暗雲におおわれた雨空へと飛び立った。


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