第一章 守りたいもの  ──または、第3種接近遭遇と流された血

第一章 第一話


 そうからやってきた新米ウィッチ、宮藤芳佳が公式にネウロイ初げきついを記録したその日の夜。

 ロンドン市内の、とある病院での出来事だった。


「……あれえ?」


 目を覚ました少女は、周囲にだれもいないことに気がついて、ほんの少し、首をかしげた。


「お姉ちゃん?」


 ついさっきまで、姉がそばにいた気がしたのだが、それもまた、夢だったのだろうか?


こわいけど……楽しい夢……」



 夢の中で。

 少女はずっと、燃えさかるれんほのおの中にいた。

 ひとり、しようねつに囲まれてたたずみ、泣いていた。

 おそろしい赤い光が、街を、友だちを、家と家族を、灰にしていったのだ。

 だが。

 炎の中から、少女を救い出してくれた者があった。

 姉のトゥルーデだ。

 トゥルーデは自分の手をとって空にい上がると、炎に包まれた街を後にした。

 そうきゆうに浮かぶ白い雲。

 隊列を成して、ゆうゆうとゆく白鳥の群れ。

 そして、自分の前をゆく姉のりりしい姿。


(空を飛ぶって、こんな感じなんだ……)


 少女はいつの間にか、姉からはなれ、ひとりで大空を舞っていた。

 姉が飛ぶ姿は、地上から何度も見たことがあった。

 だが、自分で空をゆく感覚は、地面の上で想像しているのとはまったくちがう。


(こんなに自由で……こんなに気持ちよくって……こんなに……どく……)


 ストライカーユニットをいた時、姉がふとひとみぎらせた色の意味が分かったような気がする。


「そっか。……だから、大切な友だちと、しんらいできる仲間と飛ぶんだね」


 少女がそう言うと、姉は振り返り、ニッコリと笑った。


「ここ……どこだろう?」


 少女はベッドから起き上がると、窓辺に立って外をながめた。

 見知らぬ風景。

 ガスとういしだたみ……。

 大きな街だとは思うのだが。

 と、その時。

 少女の背後で、とびらが開く音がした。

 開いた扉の向こうの明かりに、制服の女性の姿がかび上がる。


「看護婦……さん?」


 知らない顔。

 だが、何となく、声には聞き覚えがあるような気がする。


「クリス……ちゃん?」


 窓辺に佇む少女の姿を見て、若いナースは目を丸くした。

 その手から、チェックシートのボードがすべり落ちる。


「今晩は」


 はじめまして、の方がよかったかな?

 少女はチラリと、そんなことを考える。


「ク、クリスちゃん……クリスティアーネ・バルクホルンちゃん、よね?」


 ナースはふるえる足取りで近寄ると、両手で少女のほおれた。


「く、くすぐったいです」


 首をすくめる少女。


「これは夢?」


 まだ信じられないといった顔つきのナース。


「ええと……たぶん、違います」


「お、お、お、落ち着いて! って、まず私が落ち着かないと!」


 ナースは胸に手を当てて自分に言い聞かせる。


「そ、そうよ! 先生! 院長! クリスちゃんが! クリスちゃんが目を覚ましました〜っ!」


「え? ぼう?」


 ろうに飛び出してゆくナースを見送りながら、首を傾げるクリス・バルクホルン。

 そのとんでもないボケっぷりは、姉の言葉を待つまでもなく、はるばる極東、扶桑の地から来たウィッチ、宮藤芳佳にそっくりであった。



  * * *



 ウィッチがほう力を使えるのは、思春期から成人するまで。

 まれに、この期間を過ぎても魔法力をできる者もいるが、たいていは二十歳はたちまでにその力を失う。

 第501統合せんとう航空団の副官、魔眼の持ち主として知られる坂本美緒しようも、例外ではなかった。

 もちろん、魔力がおとろえてきている自覚はあった。

 それゆえに、常に自分に対し、厳しいたんれんを課してきたのだ。


 クリスティアーネ・バルクホルンが、意識不明の状態からだつしたのと同じころ

 坂本は、上官、と言うよりはパートナーに近い存在である、ミーナ・ディートリンデ・ヴィルケ中佐の部屋をおとずれていた。

 その日の夕方。

 対ネウロイはんこう作戦に参加するために出港する扶桑の空母『あか』を、ミーナは『リリー・マルレーン』の歌で送り出した。

 窓辺に立つミーナがまとっているのは、その時のままの赤いドレス。

 かつてしたっていた青年が、ミーナがいつか大きなたいうたうことを夢み、わたすつもりでいたドレスである。

 実際はその直前、大陸からの市民脱出作戦として知られるダイナモ作戦の決行中、彼は命を落とし、ドレスはそのまま彼の車の中に残された。

 ミーナはそれを今日、ネウロイとの戦闘の舞台となった、ガリア北部、パ・ド・カレーあとで発見したのだ。

 こんな時間にミーナの部屋を訪れたのは、建前としては、芳佳が自分をブリタニアに届けてくれた『赤城』の見送りに行くことを許可してくれたことへの礼を述べるため。

 実際には、ドレスを見つけたことにより、決別したはずの悲しみと直面せざるを得なかったミーナ自身の気持ちをおもんぱかってのことだった。


「……あの人を失った時、本当につらかったわ。こんな思いをするくらいなら好きになんてならなければ良かった……ってね。でも……」


 昔話を語るミーナのひとみに、悲痛な色がぎる。


「……そうじゃなかった」


「そうか」


 かすかなまどいの色が、坂本の顔に過ぎる。

 かけがえのない人を失う辛さを、坂本は知らない。

 幸運だった。

 と、自分でも思う。


「でも、失うのは今でもおそろしいわ。それなら……」


 すっと上げられたミーナの手。

 そこには、じゆうにぎられていた。


「失わない努力をすべきなの!」


 月光にき上がるワルサーPPKのシルエット。

 銃口は、真っ直ぐに坂本に向けられている。

 しかし。


「……何だ?」


 坂本は銃を見ても、みようかんを覚えただけだった。

 ミーナには、トリガーは引けない。

 至近きよで人間をつ際の、殺すのだ、という断固としたはくが、その瞳にはない。

 今のミーナから感じ取れるのは、小さな子供が迷子になり、泣きじゃくっている時と同じ心細さだけだ。


(だが、何故なぜだ?)


 パ・ド・カレーではからずも、かつてのおもい人の残してくれたドレスを発見したことは、ミーナにとって辛い体験であったことはちがいない。

 しかし坂本の知る限り、ミーナはそれでどうようし、仲間に銃をきつけるような人間ではないはずなのだ。


「ずいぶんとぶつそうだな」


 坂本はおどけた表情を作ってみせる。


「約束して」


 ミーナは厳しい表情で言った。


「もうストライカーはかないって」


「それは命令か?」


 と、坂本。


「……」


(そうか)


 坂本はさとった。


(あれを、見られたんだな)


 あれというのは、日中の戦闘でのこと。

 芳佳がネウロイのコアをいた時に飛び散ったへんが、坂本のシールドをかんつうし、ほおかすめていたことだ。

 坂本のりよくは、もはやぼうぎよシールドをできぬまでにおとろえてしまっていたのだ。


「……ふ」


(心配されていたのは、自分の方だった、という訳か)


 しようする坂本。


「そんな格好で命令されても説得力がないな」


「私は本気よ。今度戦いに出たら、きっとあなたは帰ってこない」


「だったらいっそ、自分の手で、という訳か? じゆんだらけだな。お前らしくもない」


「違う! 違うわ!」


 頭をるミーナ。


「私はまだ、飛ばねばならないんだ」


 坂本はミーナを残し、とびらへと向かう。

 飛ばねばならないから。

 それは、人類をネウロイから守るため、などというすうこうな目的のためではない。


(私が飛び続けるのは、そう……)


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