第三話


 その夜。


「あ、ふるえが止まんないよ」


 かつそうに立った芳佳は、ゆうどうとうを見つめながらつぶやいていた。


「何で?」


 意外そうな顔を芳佳に向けるエイラ。


「夜の空がこんなに暗いなんて、思わなかった」


「夜間飛行、初めてなのか?」


「……無理ならやめる?」


 と、魔導針を発動させたサーニャも芳佳をづかう。


「て……つ……手つないでもいい?」


 芳佳は震える右手を顔の前に持ってきた。


「サーニャちゃんが手、つないでくれたら、きっとだいじようだから」


「……あ」


 サーニャは魔導針とっぺたをポッと赤く染めて、そっと芳佳の手をにぎる。


(こ、こいつ! 素で口説いてんのかああああっ!)


 ムッとしたエイラは芳佳の左側に回り込んで、ごういんに左手を取った。


(サーニャと手をつなごうなんて、十年早い!)


「むう、さっさと行くぞ!」


「うん」


 足元にほうじんを生み出すエイラとサーニャ。


「えっ!? ちょ、ちょっと、心の準備が! あうう、あ、あう、わっ!」


 三人はかつそうし、雲が厚く垂れ込めた空に飛び立っていた。


「手、はなしちゃだよ! 絶対、離さないでね!」


 空に上がってからも、芳佳は二人に何度も念を押していた。

 エイラが手を離したくてウズウズしているように見えるのは、気のせいだろう。

 ……気のせいでないと困る。


「もう少しまんして。雲の上に出るから」


 はげますように声をかけるサーニャ。


「……あ」


 目を合わせようとしないサーニャの尻尾しつぽが、楽しそうにクルリと巻いた。


「すごいな〜」


 雲の上に出ると、そこは満天の星だった。


「私ひとりじゃ、絶対こんなとこまで来られなかったよ」


 ようやく手を離すことができた芳佳は、ローリングしながら二人にお礼を言う。


「ありがとう、サーニャちゃん、エイラさん!」


 なおに喜びを表す芳佳に、しようするエイラ。


「いいえ。任務だから」


 サーニャも目を合わせないままそう答えるが、まんざらでもない表情だ。


「あ」


 サーニャの感情のふくが、だんだん読み取れるようになってきた芳佳だった。



  * * *



 1944年8月18日


 雲もわずかで、けるように晴れわたった、気持ちのいい朝。

 食堂のテーブルの上に置かれたおちよに、ペリーヌはしんの目を向けていた。


「……これは?」


 お猪口は、ペリーヌの知らない、みようねんの高い液体で満たされている。


かんです、ヤツメウナギの」


 答えた芳佳がかかえているのは、『肝油』と筆で書かれた紙がってあるいつかんだった。


「ビタミンたっぷりで、目にいいんですよ〜」


「……何かなまぐさいぞ」


 しんちようにおいをいだハルトマンは、疑念の表情をかべる。


「魚のあぶらだからな。栄養があるなら味など関係ない」


 その横で言い切るバルクホルン。


「おほほほほほ! いかにも宮藤さんらしい、ったいチョイスですこと!」


 いやみたっぷりに高笑いするペリーヌ。


「……いや、持ってきたのは私だが」


 芳佳の背後に立つ坂本が告げた。


「ありがたく、いただきますわ!」


 あたかも毒ニンジンをあおるソクラテスのように、肝油を一気飲みするペリーヌ。


「う!」


 たちまち顔面そうはくになり、もんぜつする。


「うええ〜、何、これ〜!?」


 ルッキーニも舌を出せ、などと遊んでいられる感じではない。


「エンジンオイルに、こんなのがあったな」


 シャーリーはたんのない感想を述べるが、エンジンオイルを飲んだことがある方が問題だとは、だれっ込まない。

 というか、突っ込んでいるゆうがないのだ。


「ぺっぺっ!」


 き出すエイラの横には、無言でこおりつくサーニャの姿。


「新米のころは、無理やり飲まされて往生したんだよな」


 みんなの反応に、坂本は笑って頭をいた。


「……お気持ち、お察しいたしますわ」


 まだ立ち直れない様子のペリーヌはつぶやく。


「……まずい」


 栄養があるなら、味など関係ないとごうしたバルクホルンの顔は、蒼白を通りして、灰色になりつつある。

 そのとなりには、きようがくに凍りつくハルトマン。

 さすがのWエースも、これには閉口の様子だ。

 しかし、そんな中で。


「もういつぱい!」


 ただひとり、じようげんでお代わりを要求するミーナちゆう

 その場に居合わせた坂本以外のウィッチ全員が、隊長への尊敬の念を新たにしたことは言うまでもない。



  * * *



「ねえ……。エイラさんとサーニャちゃんの故郷ってどこ?」


 朝食を終えた後。

 しよもどった芳佳はベッドに横たわり、め切られた部屋のし暑さから気をまぎらわそうと二人にたずねていた。


「私、スオムス」


「……オラーシャ」


「ええっと。……それってどこだっけ?」


「スオムスはヨーロッパの北の方。オラーシャは東」


 そべったエイラが顔を上げ、簡単に説明する。


「そっかあ。……あ、ヨーロッパって確かほとんどがネウロイにおそわれたって……」


「うん」


 と、こちらもベッド上のサーニャ。


「私のいた街もずっと前にかんらくしたの」


「じゃあ、家族の人たちは?」


「みんな街を捨てて、もっと東になんしたの。ウラルの山々を越えたもっと、ずっと向こうまで」


「そっかあ。よかった……」


 芳佳は起き上がった。


「何がいいんだよ? 話聞いてないのか、お前?」


 あきれたエイラも身体からだを起こす。


「だって、今ははなれ離れでも、いつかはまたみんなと会えるってことでしょ?」


「あのな! オラーシャは広いんだぞ」


 エイラは両手を大きく広げ、そのままって引っくり返った。


「ウラルの向こうったって、扶桑の何十倍もあるんだ。人さがしなんて、簡単じゃないぞ」


「うん」


「だいたい、その間にはネウロイの巣だってあるんだ」


「そっか。……そうだよね。それでも私はうらやましいな」


 芳佳はうつむく。


ごうじようだな、お前」


 エイラは再び身体を起こした。


「だって、サーニャちゃんは早く家族に会いたいって思ってるでしょ?」


 芳佳は顔を上げ、まっすぐにサーニャを見る。


「うん」


 ヌイグルミをき締めたサーニャはうなずく。


「だったら。サーニャちゃんの家族だって絶対、早くサーニャちゃんに会いたいって思ってるはずだよ」


「うん」


「そうやってどっちもあきらめないでいれば、きっといつかは会えるよ。そんな風に思えるのって素敵なことだよ」


「……あ」


 そう微笑ほほえむ芳佳に見つめられたサーニャのほおは、ピンクに染まるのだった。


「うわ〜、あせでべたべた」


 夕方になり、詰め所から出てきた芳佳はこぼした。


「じゃあ、汗かきついでにサウナに行こう」


 そう提案したのはエイラ。


「サウナ?」


「ほう、宮藤はサウナ、知らないのか? ふふん」


 エイラのひとみがキラリとあやしく光った。


「うう〜、これじゃさっきと変わんないよ〜」


 バスタオル一枚でサウナにほうり込まれた芳佳はもだえていた。

 真夏のノ《の》しまだって、これほど暑くはない。

 頭はのぼせ、流れる汗はまるでたきのようだ。


「スオムスじゃよりサウナなんだぞ」


 マッサージ用のしらかばの枝を手に、エイラはくつろいだ姿勢。

 エイラによると、ここには故郷から連れてきたようせいんでいるらしい。

 エイラの横には、きちんとした格好で座るサーニャの姿がある。


「サーニャちゃんって、はだ白いよね」


 そのうなじからかた、背中にかけての線。

 まるでマイセンの磁器のようなとうめいかんのある白さに、芳佳はれてしまう。


「あ」


 その視線に気がつくサーニャ。


「どこ見てんだ、お前!」


 エイラは割り込んで芳佳をにらむ。


「いっつも黒い服着てるから、よけい目立つよね〜」


「サーニャをそんな目で見んなあああああああ〜っ!」


 エイラのぜつきようが、サウナの外にまでひびわたった。


「こっちこっち」


 すべてをぎ捨てた姿のエイラは、サウナにりんせつする人工池に芳佳を招き入れていた。


「本当にだいじようなの?」


 芳佳はエイラの後に続きながら、ほとんどかくす必要性のない胸を隠している。


「サウナのあとは水浴びに限るんだ」


「確かに冷たくて気持ちいいけど……」


 この池が、設営班が造ったもので、外部からのぞけない構造になっていることは知っていても、はだかで外に出るのは、やはりためらってしまう。


ずかしがるなよ。女同士だろ?」


 照れられると、エイラのほうまでが恥ずかしくなってくる。

 サーニャや芳佳と比べると、ほんの少し大人な身体がなやましい。


「だって……」


 芳佳が口をとがらせたその時。

 どこからかサーニャの歌声が聞こえてきた。


 ラン、ラララ〜、ララ、ラララ〜


 声のした方に、しのび寄ってゆく二人。

 サーニャは大岩の上に背を反らすように座り、足先だけを流れにひたしていた。

 ゆうを背景に、そのりだが形のいい胸と、すらりと美しいのシルエットがき上がる。


「……なぜだろう?」


 岩場のかげからぬすみ見る姿勢のエイラは、小声で芳佳に同意を求めた。


「なんかこう……ドキドキしてこないか、宮藤?」


 エイラの顔がったように見えるのは、どうやらサウナのだけではないようだ。


「う、うん」


 そう言われると、芳佳もそんな気になってくる。


「…………」


 二人の気配に気がついたのか、サーニャは歌をめた。


「あ。あう、ご、ごめん」


 思わず謝る芳佳。


「何で謝るの?」


 サーニャは不思議そうな顔をして立ち上がる。


「いや、じやしちゃったから」


 芳佳は頭をいた。


てきだね、その歌」


「これは……昔、お父様が私のために作ってくれた曲なの」


「お父さんが?」


「小さいころ、いつまでも雨の日が続いてて……私が退たいくつしてあまつぶの数を数えていたら、お父様がそれを曲にしてくれたの」


「サーニャはお父さんのすすめで、ウィーンで音楽を勉強してたんだ」


 まるで自分のことのようにるエイラ。


「素敵なお父さんだね」


「宮藤さんのお父さんだって素敵よ」


 大岩の上に座ったサーニャは、となりに座る芳佳を見た。


「え? 何で?」


「お前のストライカーは、宮藤博士がお前のために作ってくれたんだろ? それだって羨ましいってことだよ」


 そう言うエイラは、芳佳の隣で気持ち良さそうにそべっている。


「へへへ」


 二人が父のことを評価してくれたようで、芳佳はちょっとばかり照れくさい。


「だけど、せっかくならもっと可愛かわいおくり物のほうが良かったかも」


ぜいたくだな〜。高いんだぞ、あれ」


「あははは」


 芳佳につられて、クスリとするサーニャ。

 そして、エイラも。

 三人は顔を見合わせて笑い出した。

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