第二話


 1944年8月17日 朝


「あら、ブルーベリー?」


 紅茶のお代わりをれにきたペリーヌがちゆうぼうで目を留めたのは、ザルに山のように盛られたブルーベリーだった。


「でもどうしてこんなに?」


 ザルは全部で三つ。

 そこに、さらにもうひとつ、ブルーベリーが山盛りのザルを持ってきた、エプロン姿のリーネが微笑ほほえむ。


「私の実家から送られてきたんです。ブルーベリーは目にいいんですよ」


 リーネの実家は、ロンドンではその名を知られたゆうふくな商家。

 送られたブルーベリーの量もはんではない。

 今朝、テーブルに出されたのは、そのごくごく、ごく一部である。


「いっただき〜!」


 と、ボウルいつぱいのブルーベリーを一気にかっ込むハルトマンは、夜間専従班ではない。

 単に食欲がおうせいなだけだ。


「確かに、ブリタニアでは夜間飛行のパイロットがよく食べるという話を聞くな」


 そう言ったのはバルクホルンだが、本人はそのうわさを信じてはいないようだ。


「芳佳、シャーリー! ベ〜して、ベ〜!」


 ひょこっと顔を出したルッキーニが二人にせがむ。


「え?」


「こう?」


 と、言われた通りにする芳佳とシャーリー。


「んべ」


 ルッキーニもいつしよに舌を出し、三人で見せっこをする。


「きゃはははははは!」


 ブルーベリーを食べてむらさきに染まった舌に、はしが転んでも可笑おかしいとしごろの三人はだいばくしよう


「……まったく、ありがちなことを」


 数粒ほど上品にブルーベリーを食したペリーヌは、真っ白なナプキンでくちびるきながら、そんな能天気むすめ三人組をけいべつの目で見る。

 だが。


「お前はど〜なん、だっ!」


 背後からしのび寄ったエイラが、ペリーヌの口に指をっ込み、左右にむに〜っと引っ張った。


「ひっ! ひきぃ!」


 紫色になった歯が、むき出しになる。

 花もじらうおとにとっては、かなりくつじよく的な姿だ。

 さらに、ちょうどその時。


「ん?」


 ペリーヌの前を、坂本が通りかかった。


「……何ごとも、ほどほどにな」


 坂本はペリーヌにあきれ顔で忠告する。


「ひ……ひきぃ……」


 なみだでワナワナとふるえるペリーヌ。


「ひひひ」


 と、エイラのほうは会心の笑みをかべている。


「な、何てことなさいまして、エイラさん!!」


 いかり心頭のペリーヌはエイラを追いかけた。


「ふふふふ、何てことないって〜」


 エイラは意にかいさない。

 昨日、サーニャに意地悪を言ったことへの、ちょっとしたお返しといった心境なのだ。

 一方。


「……おいし」


 サーニャは意外とブルーベリーが気に入ったようだった。


「さて、朝食も済んだところで」


 しよくたくが片付いた頃合いを見て、坂本は芳佳、エイラ、サーニャの三人に命じた。


「お前たちは夜に備えて……ろ!」


「え……?」


 今食べたのは夕食ではなく、朝食。

 芳佳は自分の耳を疑った。



  * * *



 サーニャの部屋は、本日付をもつて、臨時夜間専従員しよ、となっていた。


「さっき起きたばっかりなのに」


 うすぐらい部屋をわたし、ベッドにこしけたパジャマ姿の芳佳は不平をらす。


「何も部屋の中まで真っ暗にすることないよね」


「暗いのに慣れろってことだろ」


 とは、ベッドに寝そべり、タロットカードを並べているエイラ。


「ごめんね、サーニャちゃんの部屋なのに、こんなにしちゃって」


 ペンギンのようだが耳と尻尾しつぽがついている、ずんぐりとした正体不明のヌイグルミをいて横になっているサーニャに、芳佳は声をかける。


「別に……いつもと変わらないけど」


 サーニャは不思議そうに芳佳を見上げた。


「あ、そうなんだ」


 そう言われると、サーニャには暗い部屋が似合ってるような気がする。


「でも。……何かこれ、お札みたい」


 外光をさえぎるためにカーテンを留めている紙の一枚を、芳佳は手に取ってみた。

 札状の紙には、ほうじんえがかれている。


「お札〜?」


 身体からだを起こし、のぞき込むエイラ。


「オバケとか、ゆうれいとかが入ってきませんようにって、おまじない」


「……私、よく幽霊とちがわれる」


 あおけになり、てんじようを見つめながらサーニャは言った。


「へえ〜。夜、飛んでるとありそうだよねえ」


「ううん、飛んでなくても言われる。いるのか、いないのか、分からないって」


「あはは……」


 そういうことを言うのはだれだか、芳佳にも容易に見当はつく。


「ツンツンメガネの言うことなんか、気にすんな」


 エイラは再び寝転んでカードに目をもどす。


ひまだったら、タロットでもやろう」


「タロット?」


 芳佳はエイラを見た。


うらないだよ。私は未来予知の魔法が使えるんだ。ま、ほんのちょっとの先だけどな」


 エイラは芳佳とたいするように座り直し、七枚のカードを裏にして、縦に二、三、二枚の列にして並べた。

 芳佳はそのカードの中から、右上の一枚を手に取る。


「どれどれ……ふ〜ん」


 と、カードを見るエイラ。

 カードは太陽。

 描かれているのは太陽と、ユニコーンにまたがった少女たちなのだが。

 この太陽、心なしか、ペリーヌに似ている気が……。


「よかったな、今、一番会いたい人と、もうすぐ会えるって」


 エイラは占いの結果を告げた。


「え、そうなの?」


 と、表情を明るくした芳佳だが、すぐに視線を落とす。


「……あ。でも、それは無理だよ」


「何で?」


 エイラは不思議そうな顔をする。


「だって、私の会いたい人は……」


 そう、芳佳の父、宮藤いちろう博士は、このブリタニアの地で永遠のねむりについている。

 父の消息を求め、はるばる扶桑から海をわたってきた芳佳が見たのは、めいが刻まれた父の墓だったのである。


「そっかあ……」


 芳佳の口から父のことを聞いたエイラは、ってゴロンと引っくり返る。


「ん〜、そう言われてもなあ〜」


 困ったように微笑ほほえんだ芳佳は、かべのカレンダーに目をやった。


「……あれ?」


 8月18日。

 明日の日付のところに赤丸がしてあり、何かが書き込まれている。


(この日って……)


 サーニャが何故なぜ、この日に丸を付けているのかは、芳佳には分からない。

 だが、芳佳自身にとっても、明日は特別な日。

 喜びと悲しみが、同時におとずれる日であった。



  * * *



「夕方だぞ〜、起っきろ〜っ!!」


 なかなか寝られなかった芳佳たちが眠りについてからほどなく。

 とびらの向こうから、能天気なルッキーニの声が聞こえてきた。


「……ん?」


 目を覚ました芳佳は、いつしゆん、自分がどこにいるのか分からなかった。

 ベッドの上、身を横たえていたのは、おたがい逆向きになって眠る、エイラとサーニャの間。


「あう」


 芳佳はようやく、ここがサーニャの部屋兼臨時夜間専従員詰め所だということを思い出す。


(確かルッキーニちゃん、夕方だって言ってたけど……そっか、夕方なんだよね?)


 芳佳はエイラとサーニャをり起こし、ぼんやりした頭のままえてから、食堂へと向かった。


「何か暗いね」


 食堂で席に着いた芳佳は、リーネに話しかけていた。


「うん。これも暗いかんきように目を合わせる訓練なんだって」


 だんは電気がけられている食堂であるが、今の明かりはろうそくのみである。


「これは?」


 食後、差し出された見慣れないタイプのお茶。


「マリーゴールドのハーブティーですわ。これも目の働きをよくすると言われてますのよ」


 そうほこらしげに説明したのはペリーヌである。

 実はこのマリーゴールド、基地内にだんを作り、ペリーヌ自らが育てたものなのだ。


「あら、それって民間伝承じゃ……?」


 ポロリと口にするリーネ。

 リーネの知識では、マリーゴールドの目に効く成分は、経口ではなく、点眼して初めて効果の出るものである。


「失敬な! これはおばあ様の、おばあ様の、そのまたおばあ様から伝わるものでしてよ!」


 ペリーヌはふんがいし、たけだかに声を張り上げた。


「あう、ごめんなさい」


 身を縮ませるリーネ。

 こういう場合、往々にして事実を語る者よりも、声の大きい者のほうが勝つものだ。


さんしようみたいなにおいだね」


 芳佳はなおな感想を口にする。

 きらいな匂いではないが、お茶というよりも漢方薬に近い感じ。

 家がしんりようじよの芳佳には、ちょっとなつかしい。


「サンショ?」


 リーネはその音に、東洋のじゆつ的なひびきを感じる。


「芳佳、リーネ! も一回ベ〜して、ベ〜!」


 またもやひょこっと顔を出したルッキーニが、二人に舌を出させた。


「ベ〜」


「ベ〜」


 舌の色に変化なし。

 まゆをヒクヒクさせたルッキーニは、ガッカリしてさわぎ出す。


「……う〜、つまんな〜い!」


 せっかく、良かれと思って用意したハーブティーなのに、評判は最低。

 ペリーヌはず〜んと落ち込む。


「どっちらけ〜」


 さらにエイラのとどめの一言。


「べ、別にウケをねらった訳じゃなくってよ!」


 きっとり返り、断固こうするペリーヌ。

 一方。


「……まずい」


 サーニャも当然、マリーゴールドはお気にさなかったようだった。


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