44作目は再び太宰治の作品
『人間失格』太宰治著 新潮文庫 昭和27年初版
3か月ぶりの修行再開である。
以前にも書いたように、この「読む修行」に取り組まなければ絶対に読まなかった作品だ。
だが、前回の経験から非常に読みやすい文体であることは分かっていたので、かなり敷居は低くなっていた。
しかし、このタイトルである。
メンタルが良い状態でないとなかなかページを開く勇気は出なかった。それゆえ、読了が新緑の季節となってしまった。
ある日ふと書斎を見渡したら本棚の一角にひっそりとこの文庫本があった。
昭和55年5月の八十六刷、の横に、定価180円とある。時代が偲ばれる。
きっと大学生協あたりで買ったのだろう。
けれども、数ページで挫折してそのままになっていたのを実家から引越しの際に持ってきたのだと思う。
それくらい、太宰は苦手だった。
文章よりも、そのなんとも言えない物憂げな表現の中に、
これまた、なんとも言えない鋭い指摘や分析が
真綿に包まれて
次から次へと打ち込まれてくる感覚に襲われる。
誰もが通る青春時代の苦悩と挫折、などという言葉で片付けられない重さが、
太宰作品にはある。
なぜ生きているのか、自分に生きる価値はあるのか、という根幹の問い。
深く暗い沼の底に太宰は居た。
うっかりと忘れていたのは、この名作がこんなにも薄い文庫本だったことだ。
どこかで勝手にトルストイ全集なみの長編と勘違いしていた。
しかし、中に詰まって居るものの重みは、大差ないようにも感じる。
こんなにも純粋で、優しくて、人を傷付けることを極度に恐れながら、びくびくと生きている主人公。
彼が人間失格なら、きっとみんな失格だよ、と声を掛けたくなる。
すべての人間が罪人なのだ、と。多かれ少なかれ、それは誰にも言えることなんじゃないか、と。そう思う箇所がいくつかあった。
誰しもが心の奥に抱えている弱さを、彼は私たちに見せていく、
生まれ育ちを感じさせる品の良い言葉で。
読後の好みが分かれる作品かもしれないが、しかし、何度読み返しても文体の軽やかな語り口調とテーマ性の重さの対比は、なんだろう。
こんな重たい内容をなぜこんなにも軽やかに、羽根を纏った天女のような文章で書けるのだろう。
こんなにも暗い作品なのに、なぜ多くの読者を得るのか。
人は読書に何を求めるのか。
その答えの探求も含め、修行は続く。
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