第5作目も古典&同作者

『ある阿呆の一生』 芥川龍之介

 全音読了 20160919 11:48 音読時間約38分 恐らく一万字強


「えあ草子」http://www.satokazzz.com/books/

 で縦書き書籍風の画面で読了。


 選書理由:「良書500冊」は小説を換算すべし、とアドバイスを頂いてる。

 本作は一応「短編小説」と分類されている(https://ja.wikipedia.org/wiki)が、書き方はエッセイに近いので、『河童』にするかどうか悩んだ。

 しかし、いまの自分はまだ『河童』の鋭い視点に読む心が追いつかない気がしたので、こちらを選んでみた。

 また同作家を2作続けて音読することで、何某かの気づきや発見があるのではと考えたからだ。


 読み終えてみて、前作品同様に小説全体は暗い印象を受けるが、文章は短く読み易い。また、自然に関する描写、特に樹木や花に関する描写に、作者が一抹の、生きる光や希望を感じていたような印象を強く受けた。これは意外な発見だった。


 数多の批評にもあるように、本作品は遺書のようでもあるが、しかし、そこここに、まだ生きて居たい、こんな人生であってもどこかに希望を失いたくない、ともがき苦しむ姿が浮かんだ。


 作者の中では、常に愛と憎しみは表裏一体だった。苦しかっただろうと思う。

 天才であるがゆえに、その苦しみは凡人の想像を超えた域で彼を苛み、悶絶を繰り返したことだろう。


 作者の文章は、時に鋭く人の心を抉り出し、世間の見せ掛けの嘘臭さを断罪している。だがそれを行えば行うほど、全てが自分に帰着するという因果応報に、また苦しむ姿には、差し伸べる手さえ拒絶されるようだった。


 翻って我が身だが、本作が作者自身を「彼」という第三者で書いている点に強く惹かれた。

 拙連載『青春の大空』は修行を兼ねて初めて一人称で書いているが、それは本編『潮風に包まれて』の三人称神視点の大失敗を全面改稿すべく、主人公二人をそれぞれ一人称で書く目論みがあったためだ。


 だが、本作を読んで、やはり三人称で書くことも再検討したいと思った。

 そもそもなぜそれを書きたいと思ったのか、を今一度再考すると、技法がどうのという問題ではなく、どう書きたいのかをまず大事にして良いのではないかと思った。書きたいスタイルで書けるようになる、それを目指した修行ではないかと。


 そんなことをつらつらと考えながら、今夜更新予定の連載の推敲に戻ろう。


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