第3話 化学パネル

化学パネルの基調講演を行うのはホノニニギ博士だ。しかもこの会議には初登場ということで、頬が紅潮している。


「皆さんどうも。ホノニニギです。皆さんは、化学物質というと、農薬とか薬品の人体への影響を真っ先に考えられるかもしれませんな。なに、毒薬とか細菌兵器を考える。いやいや、それだけではないのですよ。そうした薬剤が地球全体の生態系に大きく影響しているのですわ」


「まあ、化学物質がこれだけ物騒になったのは、ここ二百年のことなのですがね。私が今日とりあげたいのは、例の『人類完全奴隷化計画』に関することなのですよ」


「その計画は、心理学と精神科医療が政治に利用された、あの暗い時代にはじまりました。まあ、今はもっと暗いとも言えますがね。彼らは精神病の薬を研究すると称して、人間の感情を操る物質を研究し、開発し始めたわけですな。幸福も不幸も、薬で管理できると。とんでもない奴らですよ、まったく」


「過酷な労働にも、ハッピー・ドラッグを使えば、楽しく働き続けるだろうという魂胆です。ある国など、浄水場からこの薬を入れた。これがまた、効果絶大だった。マスメディアの誘導もあって、人々は次々とエコノミック・アニマルになった」


「しかし、これは行き過ぎてしまった。薬なんて、本当はよく分かっていないのですからね。そして、この計画が漏れて『反・人類奴隷化計画』が始まった。ヒッピーとか、ニュー・エイジという奴ですね。要は反動です」


「ところがですね。どういうわけか、この対立する二つの計画、人類無能化という方向性で一致しているのです。薬物は一時的なもので、何世代もエコノミック・アニマルではいられません。副作用でおかしくなるからです。一方の新興心理学はもう無茶苦茶ですよ。潜在意識を変えればすべては現実化するとか、好きな事だけやればハッピーになれるとか。ネガティブを捨てろとか。無理な要求をしながら、上手くいかないとやり方がまずいと言う。そりゃ、上手くい行きませんよ。事実上マトモな事をしていないのですからね」


「年々こういう世界に巻き込まれる被害者が増えていますね。精神科医も製薬会社も市場拡大に必死です。なんでも病気にして抗鬱剤やら抗精神病薬やらを投与します。そして、自殺をしてしまったり、廃人になる人がどんどん出てくる」


「疲れている人に夢を売るビジネスも伸びていますね。あり得ない誘惑に負けて、カウンセリングやセラピーにはまっていく。脳内お花畑状態になればそれで終了です。一生を妄想の世界を過ごすことになります」


「前のパネルで私たちには人類の幸福には関与しないという倫理規定があるというお話がありましたね。それはその通りです。しかし、あまりにも無能化が進むと私たちにとって重要な人類の文明が維持できなくなる。なにしろ、今ではダーウィンの進化論よりも宇宙人のことを信じる人の方が多いのですから。あれ、それはそれで正しいのですね。失礼しました。ジョークですよ」


「話がそれてしまいましたが、薬物の世代を超えた影響と、生態系に与える影響は複雑過ぎるために調査も困難ですし、予測となるともう不可能です。我々はWHOを使って規制を行っていますが、技術革新によって化学物質の製造は簡単なものになりました。もう、打つ手がないのですよ。WHOも製薬業界の傘下に入ったようで、我々の影響力がどんどん小さくなっているのです」


「皆さん、人類は私たちの息子、娘ではないでしょうか。私もホノニニギという人間として生きてきて、人間の情がわかるようになりました。私はここに、宇宙倫理規定の改正を訴えたいのです。人類をわれわれの奴隷として利用するのではなく、次元は違うけれども対等なパートナーとして相互の幸福を目指すべきなのではないでしょうか。サルゴン議長、これは動議です」


ホノニニギ博士は泣いていた。聴衆の中からも嗚咽の声があがった。そして、パラパラと拍手が沸き起こった。拍手が大きくなったところで、サルゴン議長が演台の中央に立った。


「わかりました。宇宙倫理規定第21条第3項に関連する動議の採択は、すべてのパネルが終了したあとでやりましょう」


再び拍手が沸き起こった。サルゴン議長とホノニニギ博士は壇上で固く抱き合った。


「ということで現代の化学は倫理と深く関係するものでありまして、開発よりも倫理を先行させておく必要があるというのが、私の結論であります」


ホノニニギ博士は、まるで今までが演技だったかのように簡単に言うと、檀上をあとにした。

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