第7話 御子の守り手
私の人生は13歳の時に狂った。
私、ナツキ・ユグレはユグレ家の次女である。
ユグレ家はアルティア王国の高級貴族の血統だ。
アルティア王国のエール領という土地の管理を任されていた。
私が13歳の誕生日を迎えた2ヵ月後、私の人生は狂った。
私は御子様といわれる人物の世話をするために、人里離れた砦で奉公することになったのだ。
準備をする時間すら与えられなかった。
できたことといえば、私が馬車に乗り込む前に兄弟4人と母にいってきますを言うことくらいだった。
そうして、私は御子様の世話係になったのだった。
初日に御子様に合った。
父は私だけを部屋に残して偉い人と話をしに行った。
初めて見た御子様は、産まれて1ヵ月の赤ん坊だった。
御子様が急に泣き出した。
泣いている御子様を見て私は何もできなかった。
ただ、どうしていいかわからずにオロオロすることしかできなかった。
まだ、13歳になったばかりの娘だ許して欲しい。
高級貴族の娘はひたすらに甘やかされて育つ。
私も例外ではなかった。
赤ん坊なんて触ったこともないし、勿論泣き止ます術など持ち合わせていなかった。
御子様の泣き声を聞いて、メイド服姿の人が来た。
そのメイド服の人は40代くらいのおばさんだった。
泣いている御子様を抱き上げゆすって機嫌をとっていた。
おばさんは、私に嫌味を言うこともなく優しく優しく御子様をあやしていた。
少したってから、メイドがもう一人やってきた。
こっちは妙齢の女性だった。
そのメイドは私に建物を案内してくれた。
食堂、トイレ、執務室、中庭等々。最後に私が使う部屋を案内してくれた。
また声をかけにくるから、それまでこの部屋でゆっくり待っていて。そう言い残し妙齢のメイドは部屋を後にした。
私はすることもなかったので、ベッドに横たわった。
そして、眠ってしまった。
起きて、起きて。という声に目を覚ませば、御子様をあやしていたおばちゃんメイドがいた。
私はそのおばちゃんメイドと一緒に言われるままに食堂へ向かった。
食堂にはおばちゃんメイドと妙齢の女性メイド、おばあちゃんメイドと御子様がいた。
御子様は赤ん坊用のベッドで寝ていた。
そして、言われるがまま席に着き晩御飯を食べた。
誰も一言もしゃべらなかったので私も無言で食べた。
何を食べたかは記憶にない。
そして、食後にそれぞれ自己紹介をした。
おばちゃんメイドはニナさん
妙齢の女性メイドはアイルさん
おばあちゃんメイドはラニアさんというらしい。
私も失礼の無いように丁寧に自己紹介をした。
そしてニナさんは神妙な顔で話を切り出した。
内容としては、御子様のこれからについてだった。
私はそこで初めて御子様の残酷な運命について知った。
私は混乱した。そして怒りも覚えた。
6歳になったら魂がなくなって別人に入れ替わる。
こんな赤ん坊がそんな残酷な運命を背負ってるなんて考えられなかった。
そして名前を付けることすら許されない。
理解できなかった。
意味が分からなかった。
そんな私を見てニナさんは思った通りの子で良かったわ。と言った。
アイルさんもラニアさんもうんうんと頷いていた。
その言葉の意味すら分からなかった。
そしてニナさんは私にお願いがあるの。そう言って切り出した。
「この砦の管理と家事については、私達3人でやるわ。
だから、あなたにはあの子の残り6年間すべてを愛してあげて欲しいの。」
あまりにも残酷な言葉だった。当時の私は理解できてなかったけれど・・・。
私はその言葉に、はい。と頷いた。
私は料理も洗濯も掃除も何もできなかった。
だから、私は喜んで愛そうと思った。
私にはそれしかできないのだから。
そう誓った。
それからは、幸せな時間だった。
その次の日から私はがむしゃらに御子様に愛情を注ぎ続けた。
一緒に絵本を読んであげたり、歌を歌ったり、手を握ったり。指を掴まれたり。
0歳児に意味があったのかは分からないが、ただひたすらに愛情を注ぎ続けた。
それと同時に赤ん坊に対する知識を身につけていった。
御子様が2歳になる時には家事はまったくできないが、育児だけはプロフェッショナルといういびつな少女の姿がそこにあった。
御子様は元気な子供で、ほとんど大きな病気はしなかった。
なので苦労したという記憶は一切なかった。
ただただ、御子様が愛おしかった。
自分の子ではないが、他人の子供でもここまで愛情を注げるのかということを少女ながらに知った。
苦労はしなかったが、嬉しいことはたくさんあった。
初めて指を握られたとき、初めてお風呂に一緒に入れたとき、初めておしめを替えられたとき、初めて寝返りをうったとき、初めて何かをしゃべったとき、初めてお座りしたとき、歯が生え始めたとき、初めてハイハイしたとき、初めてつかまり立ちしたとき、つかまりながら、一歩歩いたとき、一人で立った時、一人で歩いたとき、そして初めて私のことを「ナーちゃん」って呼んでくれたとき。
すべてが嬉しい記憶だった。
夜泣きも大変だったが、苦ではなかった。
私は御子様を愛するためだけに存在していた。
御子様は砦を歩き回るのが大好きだった。
私も一緒に砦内を散歩した。毎日代わり映えのない景色だったが、御子様の成長が日々見られ、ただただ嬉しかった。
御子様は色々、いたずらもした。
私はその時にちゃんと怒ることもできたと思う。
私の母や乳母は私がどれだけ悪いことをしても怒らなかったが、私はしっかり考えて怒った。
頭ごなしにならないように、御子様の話を聞いてそれからしっかり怒った。
悪いことをしたら怒られるのは、当然のことである。うちの家が異常なのだ。
そして、3歳間近だったと思う。
御子様は大病を患った。顔が腫れる病気だった。
高熱が出て、お医者さんを呼んでの大騒動だった。
私は何もできなくて、ただ、御子様の手を握って傍にいて励ましてあげることしかできなかった。
御子様は20日近くも寝込んだ。
そして、私は16日目でリタイアした。
私自身が倒れたのだ。
お医者さんに心労だと言われた。
私はそれでも御子様の心配を死ぬほどした。
そして、別の目線からも見てしまった。
冷静になってしまったのだ。
今まで目を反らしていたことを見つめてしまった。
私たちにはあと3年しか残されていなかった。
胸にナイフが刺さったような痛みが体中を駆け抜けた。
わかっていた。こうなることを。薄々気づいていた。
泣いた。号泣した。
涙が枯れるなんて嘘だった。涙は悲しければ悲しいだけ出るのだ。出続けるのだ。
私は一日中泣いた。
そしてアルスという魔術師を呪った。
御子様にこんな呪いをかけた魔術師を呪った。呪った。呪った。
呪い疲れた。
呪っても意味の無いことだと悟った。
そこからはさらに不安が心を抉った。
私があと3年愛し続けても御子様は最後にはいなくなってしまう。
その事実だけが心をきつく締めつけた。
私はこのまま御子様を愛し続けてもいいのだろうか?
いなくなったとき、壊れてしまうのではないか?
いっそニナさんにここからはお願いしてしまうか?
そこまで考えて自分の意地汚さに嫌悪した。
自分の事ばっかりだ・・・。
あの子が一番辛いだろうに・・・。
私はベッドから動けないままだった。
もう頭の中はグチャグチャになっていた。
私は次、御子様に合った時今まで通りに接することができるのか。不安でいっぱいだった。
その不安で心がショートしていた。
そんな時、ニナさんが御子様を連れて私の部屋にやってきた。
私は緊張のあまりニナさんを睨み付けてしまった。
でも御子様はそんなこと気にしなかった。
御子様は私のベッドの傍にくると手をギュッと握ってくれた。
それから、私のおでこに手を当てて、大丈夫大丈夫と拙い言葉で励ましてくれた。
私はまた泣いた。御子様の前では泣かないと決めていたはずなのに、泣いてしまった。
御子様の行動は、私が病気になっている御子様にしていたことを真似てやっていたことだ。
それを思うと成長の嬉しさと、これからの悲しみとがごっちゃになり私はただ泣くことしかできなかった。
私が泣き終わるまで御子様は横で私の手を握り続けてくれた。
そして、私はもう一度誓った。
この子を最後まで愛し続けると。
そう誓った。
もう迷うことはない。
最後の一日をこの子と迎えると。
そして最後は笑顔で送り出してみせると。
そこから1年は怒涛の毎日だった。
御子様は非常に賢い子供だった。
読みを教え。書きを教え。算術を教え。
難しい本は一緒に読んだ。私が読んでひたすら御子様は聞いた。
このころにはお風呂も一人で入れるようになった。
4歳近くになるころには明確な意思をもちこれが面白い、とかこれは面白くないなど理知的な会話ができるようになっていた。親バカだが天才だと思った。
御子様が4歳になる時、その時が来た。
私たち4人で決めた。
御子様にすべてを打ち明ける。あと2年しか時間が残されていないことを。
自分が救世主の生贄になることを。
当然ながら、私が言うことになった。
自分で決めた。この責任は私が負うと。
ニナさんは私を気遣って、私から言おうか?と言ってくれたが断った。
ここで逃げたら残りの2年間、御子様とちゃんと話せなくなる。
そう思った。
だから覚悟を決めた。
終わってみたらあっさりしていた。
御子様は想像以上に聡い子供になってしまっていた。
それを聞くと悲しむどころかどこかホッとするような反応を見せた。
御子様が言うにはどことなく分かっていたらしい。
そして、自分だけが知らない秘密があることが怖かった。
そういった。
この子は本当に4歳なのだろうか?そう思った。
御子様は泣かなかった。
もしかしたら、部屋に戻って泣いたのかもしれないが、その時は泣かなかった。
それが救いだった。
もしここで御子様が泣いていたら、私も一緒に泣いただろう。
そして、彼を慰める言葉など持ち合わせていなかった。
ただ、次の日から御子様の行動は激変した。
読み書きはほとんどできるようになっていた。
意味の分からない単語は私に聞いてきた。
そして、私にある質問をした。
生きていく時に為になる本はどれか?と。
意味が分からなかった。
御子様は後2年で消えてしまうのだ。
何故そんな事を聞くのか聞き返した。
僕ががんばって勉強したら、救世主も賢くなるでしょう?御子様はそう言ったのだった。
私はギュッと御子様を抱きしめた。
御子様は私の想像なんか遥かに越えて賢くなっていた。
私はその成長を誇らしく思った。
もし、御子になっていなかったらこの国の要職にもつけるんではないか?と思った。
そして、そんな未来を想像して涙があふれそうになるのをぎりぎりで堪えた。
御子様はその日を境に別人のようにある作業に没頭していた。
御子様の目には明確な意思が見て取れた。
御子様はいろんなものを暗記していった。植物図鑑やら魔物図鑑、専門用語集などなど。
私が必要な項目を抜き出して書き。
御子様がそれを必死に暗記するという作業を延々繰り返した。
この行動に意味があるのかは分からないが、御子様がそうしたいといった。
それを尊重するのが私の役目だ。そう思ったのだった。
気付いたらもう、残り期間は半年になっていた。
御子様の成長速度は異常だった。
会話をしても10歳くらいの子と会話をしているみたいだった。
そして知能が高くなるにつれ、御子様は何故か私を避けるようになった。
避けるといっても、会話は楽しくするし日常生活に支障を来すものではなかった。
ただ、異常にボディタッチを避けるようになっていった。
無性に寂しい感覚に襲われた私は彼がお風呂に入っているところに侵入してやった。
すると大惨事になった。
当然のように全裸で入った私を見て、御子様は鼻血を噴き出して倒れてしまったのだ。
私は何がなんやら分からずに、とりあえず彼の鼻をバスタオルで包み、ニナさんを全力で呼んだ。
御子様はすぐに目を覚ましたが、顔を真っ赤にしたまま私の顔を見てくれなかった。
頭には今までの情景がフラッシュバックしていた。
今まで怒っても、悲しんでも、笑っても御子様は私の目をみてくれていた。
だが今はどうか、明確な意思で私の目からそらしている。
私はそれに気づいた、そして逃げてしまった。
初めて逃げた。
どうしていいか分からなかった。
自分の部屋に逃げ込んだ。
悲しかった。拒絶された。
今まで愛情を注ぎ続けた存在に私は拒絶された。
これからどうしていいか分からなかった。
私はこの5年間、彼に愛情を注ぐ為に生きてきた。
それをすべて否定された気がした。
気づいたら、また泣いていた。
私はずいぶんと涙もろくなったもんだなと思った。
よく考えてみれば、実家にいたときはほとんど泣いたことなどなかった。
というか5歳くらいからは一度も泣いてなかった。
しばらくしてニナさんが私の部屋にやってきた。
ニナさんは微笑んでいた。私はその表情にムッとした。
私がこんなに苦しんでいるのに、なんでこの人は微笑んでいるのだろうか?
私の悩みを聞いて一緒に苦しんでくれてもいいのではないだろうか?
私たちは仲間ではなかったのだろうか?そんな卑屈な感情が首をもたげた。
ニナさんは私のそんな思いなど無視して話はじめた。
私はその話を聞いて驚きのあまり、声を上げて驚いてしまった。
なんでも御子様は私を異性として好きになってしまったとニナさんに相談していたらしい。
ニナさんも初めは勘違いだろうと思っていたらしいが、真剣に話す彼を見て思い直したそうだ。
半年前の出来事らしかった。
正直なところ私は御子様を異性として見ることはできない。
私の愛情は親が子に向けるものと同じだろう。
私は考えた。
考えて、考えて、答えを出した。
時間はもう半年しか残っていなかった。
だから私は彼の恋人になろうとそう誓った。
異性として見れなくても演技はできる。そういう形で接しようと。
私も恋愛の経験はなかったが、話は聞いたことがある。本も読んだことがある。
それを真似しよう。
こうして私は御子様の恋人になった。
そこに彼の同意もなにもなかったが、きっと受け入れてくれる。
私はそこに疑問は抱かなかった。
それから3ヵ月。
私と御子様は恋人ごっこを続けた。
経験のない二人だったので、手をつなぐとかそんなレベルだったが・・・。
でも御子様は顔を真っ赤にして、恥ずかしそうに手をつないでくれた。
彼がそんな態度をとるからなんかこっちまで気恥ずかしくなってしまい、私も顔を真っ赤にしながら手をつないだ。
私も異性として見られるのは初めてだったのでそれが初々しさを出させてたのかもしれない。
でも、私はどうしても彼を異性として見ることはできなかった。
ただ、この演技を止めようとは思わなかった。
聡明な彼のことだからバレているかもと考えたが、彼があまりにも嬉しそうな顔をするのでそんなことどうでもよかった。
たまに、胸を触らせてあげた。
相変わらず鼻血を出したりして興奮していた。おませさんだった。
私は、エッチ。といって真っ赤にする彼をからかうのがいつもの流れだった。
異性としての好き。ではなかったが、彼に処女をあげてもいいかなと思うまでにはなっていた。
ただ、残念ながら彼の下半身は反応していなかったが・・・。
そんな少し刺激的なでも幸せな時間はすぐに流れた。
そして、3カ月前彼女らがやってきた。
この砦に私たち5人以外はお医者さんを除いてここ5年誰も入っていない。
その領域に彼女らは入ってきた。
リディア王女たちだ。
リディア王女は形容しがたいくらいかわいい少女だった。綺麗というよりかはかわいいというのが正解だろう。
年齢は私の二つか三つくらい下だった。
ただ、初めて合った時に圧倒されてしまった。
目から感じる意思の力というのだろうか、どれだけ険しい道を歩めば少女がこのような目になるのだろうか想像すらできなかった。
そして彼女らはボロボロだった。
話を聞いてみると3ヵ月程かけて首都からこの砦まで逃げてきたらしい。
特にエリスという近衛騎士が酷かった。
衣服はボロボロでところどころ破けてるし、その下からは血が固まったものが見えていた。
彼女らをお風呂へ案内して私は御子様を迎えにいった。
彼女らがお風呂から出るのを見計らって私は御子様を連れて王女の部屋へ向かった。
ノックすると、綺麗な声でどうぞ。と返事をしてくれた。
私はドアを開けると御子様とつないだ手に力をいれて一緒に王女の前で膝をついた。
王女はやめてください。とそういって私たちに椅子に座るように促した。
そして、彼女はいきなり謝った。
「ごめんなさい」
私はそれで悟った。
もう無理なのだと。
私はまだ希望はあるとどこかで思っていた。
救世主が召喚されるのは国が窮地に陥った時だ。
ならば国が窮地にならなければ、救世主が召喚される必要などないと。
このまま御子様との生活を続けていくことができると。
そんな儚い希望をどこかに持っていた。それにすがっていた。
だがそれは打ち砕かれた。
女王もきっとそう考えてくれていたのだろう。
私はその事実だけでこの王女の少女に好感を持った。
それから彼女は国のことを色々教えてくれた。
聞けば聞くほどに絶望的な状況であることがわかった。
もう救世主の力に頼るしかないと、私ですら思った。
御子様はその話を聞いて王女に穏やかに笑みを向けていた。
私はその表情をみて涙を溜めた。必死に必死に歯を食いしばって零れないように耐えた。
王女も思うところがあったのだろうか、少し目を潤ませたような気がした。
だが自分にはその資格は無いと言わんばかりに気丈にふるまっていた。
それからは、砦内がいっきに賑やかになった。
御子様はエリスやアルテなどに色々な冒険話を聞いて嬉しそうにしていた。
冒険譚というのはどの少年にも響くのだろう。
私の弟も冒険譚を聞くと、いつかしてみたいとそう言っていたことを思い出す。
それと同時に私の中に暗い影が現れた。
もう2ヵ月も無いのだと。あと2ヵ月も立たないうちに御子様は消えてしまう。
冒険などできるはずもなかった。ただ憧れだけを抱いて消える。
そんなことを考えてしまう。自分が憎かった。
ただ、一つ思いついたことがあった。
これが御子様に最後の思い出になればいいなと思った。
私は意を決して王女のもとに向かった。
私は彼を砦の外に出してあげたかった。
今まで一度も外の世界を見たことのない彼に山を・・・世界を見せてあげたかった。
王女は難しそうな顔をしていたが、最終的にエリスとフォクシーさんを護衛につけることを条件に許可してくれた。
こうして、私と御子様、エリスとフォクシーさんでピレニー山にピクニックに行くことになった。
御子様は目を輝かせて喜び、私もそんな御子様を見て幸せな気持ちに浸った。
御子様は色々な草花の名前をあてたり、これは薬の材料になるとか色々な知識をエリスやフォクシーさんに話していた。
エリスとフォクシーさんは目を丸くしていた。
私は誇らしかった。どうだ、御子様は偉いんだぞ。必死に救世主のためにいままでがんばってきたんだぞと言ってやりたかった。
が、やめた。
彼もそんなことを望んでいないだろうし、こういうのは黙っていた方がかっこいい。
王女が考えていたような襲撃などは無かった。
楽しいピクニックだった。
それからは穏やかな日々が続いていた。
御子様は毎日色々な人と話すために砦内を動き回っていた。
当然私もついてまわった。
小さいときに、一緒に砦内を散歩したことを思い出す。
御子様は特に王女と話をしていた。
王女はそんな御子様を仕事中でも優先して相手をしてくれた。
御子様は王女と話をしていると楽しそうだった。
嫉妬した。が、私は恋人なのだ。部屋に帰ったらほっぺたにキスして驚かしてやろうそう思った。
そうこうしているうちに最後の一日になった。
私は一人で部屋で泣くことが増えていた。
ここ一週間は毎日泣いていた。
でも決して御子様の前でだけは悟られないように恋人ごっこを続けていた。
最後の一日も御子様の行動は変わらなかった。
王女のところで話をして、エリスと話して、アルテと話して、フォクシーさんと話して、カースさんと話した。
そして、お昼ご飯をたべた。
そこからは、メイド達と話をした。
ここからは私の同行は許されなかった。
ニナさん、アイルさん、ラニアさんと一人ずつ話をした。
内容はわからないが、きっと今までありがとうというやつだろうか・・・。
私は部屋でまた泣いた。
泣き疲れた時には、御子様のお話しは終わっていた。
調理場をのぞいてみたらニナさんもアイルさんもラニアさんも泣きながら料理をしていた。
手は震え、鼻水をすすりながら料理をしていた。
震えた声でニナさんは、もうすぐ料理ができると伝えてくれた。
これが、最後の食事になるのだろう・・・。
私は涙を堪えて御子様を迎えに行った。
御子様の部屋に行くと手紙を書いていたところだった。
私は邪魔をしないように、ベッドに向かい縁に座って息を殺して待った。
御子様は、書き終わったのかこちらをむいて、おまたせ。といった。
私は御子様と手をつないで食堂へ向かった。
食堂には、王女御一行の姿はなかった。
ニナさん、アイルさん、ラニアさんがいつもの席について私たちを待っていた。
気を使ってくれたんだろう。
私は心のなかで感謝しておいた。
食卓にはかなり豪華なものが並んでいた。
見たことの無いような食材まであった。
きっと、あの王女のことだから内緒で調達しておいてくれたのだろう。
これが最後の晩御飯。
私と御子様は自分の席についた。
そして、神に感謝をし、食べ始めた。
おいしかった。
食べたことのない食材。ニナさんはエビと言っていたがすっごく大きかった。
プリプリの触感に潮の匂い、今まで食べた食事の中で一番おいしかった。
御子様も同じようで、おいしい。おいしい。といって口いっぱいに頬張っていた。
フキンで御子様の口の周りを拭いてあげる。
御子様はありがとう。といってまた口いっぱいに頬張る。
そして、また私が拭いてあげる。
それを何度か繰り返した。
「ナーちゃん?」
御子様が私を見て表情を硬くしていた。
私の両目からは涙が流れ落ちていた。
止まれ。止まれ。と何度も押しとどめようとしても止まらなかった。
なぜあと4時間我慢できないのか。
この日のために笑って送り出そうと色々考えていたのに。
それを実行できない自分の不甲斐なさが嫌になる。
御子様も泣いていた。
声を出さないように両手で口を押さえつけていた。
もう無理だった。我慢なんてできなかった。
この子だって我慢していたのだ。
賢いこの子のことだ自分が泣けば私が困るでも思っていたのだろう。
私は声を出して泣いた。
こんな幼い子に気を使わせた自分が情けなくて、でもそんな優しさが心を強く締め付けて、このまま死んでしまうのではないかと思うくらい胸が痛かった。
私は御子様を強く抱きしめた。
抱きしめたらこの痛みが少しマシになるかと思った。
でも、全然痛みはマシにならなかった。
むしろもっと痛くなった。
色んな記憶がフラッシュバックしてきた。
この6年間の幸せな思い出たちが。
初めて指を握られたこと、初めてお風呂に一緒に入れたこと、初めて寝返りをうったこと、初めて何かをしゃべったこと、初めてお座りしたこと、歯が生え始めたこと、初めてハイハイしたこと、初めてつかまり立ちしたこと、つかまりながら、一歩歩いたこと、一人で立ったこと、一人で歩いたこと、私のことを初めて「ナーちゃん」って呼んでくれたこと、病気を看病したこと、一緒に本を読んだこと、文字をおしえたこと、初めて喧嘩したこと、怒ったこと、一人で泣いたこと、すべてを告げたときのこと、一緒に色々暗記したこと、散歩したこと、一緒に育てた花が咲いたこと、散ってしまったねって二人で悲しんだこと、ピクニックにいったこと、他にもいっぱいいっぱいいっぱい・・・
足が震えて立ってられなかった。
一緒に地面に座り込み支え合うようにして泣いた。
それ以外この感情の処理の仕方が分からなかった。
何時間泣いたかもわからない。
抱き合ってお互いの温もりがそこにあった。
それだけが全てだった。
私は泣き疲れた。
御子様は既に目を腫らして眠っていた。
私は御子様をお姫様抱っこし、持ち上げた。
ニナさんと目が合った。
彼女達も目を腫らせていた。
私は何も言わずに、目だけで挨拶して御子様の部屋に移動した。
御子様をベッドに寝かせた。
時間はあと2時間くらいだろうか、最後の瞬間には立ち合いたい。
そう考えながら御子様の手を握った。
すると御子様は優しいちからで握り返してくれた。
はっとして顔をみると御子様は目を開けていた。
そしていつも通りの優しい笑みを私に向けていた。
どこまでも穏やかなそんな笑みだった。
「ナーちゃん一つだけお願いがあるの・・・」
「なーに?」
私はできるだけ優しく答えた。
なんでもやってあげる、あなたの為なら私の人生の全てをかけてやってあげる。
御子様は腫れた目をしながら二ーっと笑った。
「救世主様のお世話もしてあげて欲しいの」
「え?」
「救世主様はね、きっと一人で寂しいから・・・だからナーちゃんお願い。救世主様を守ってあげて」
なんでこんな事を言うのか理解できなかった。
あなたはもうこの世からいなくなってしまうのに、なんで・・・
「ナーちゃんがいたら救世主様も大丈夫だから・・・お願い・・・」
もう出なくなったと思った涙があふれ出していた。
私は涙を見せないように御子様に覆いかぶさった。
最後は泣かないようにしようと思っていたのに・・・。
「ナーちゃん泣いてもいいよ?」
もう我慢できなかった。
御子様は私の頭を撫でてくれていた。
優しく優しく子供をあやすように撫でてくれていた。
「ナーちゃん」
「うん」
「ありがとう」
「・・・うん」
「僕を育ててくれてありがとう」
「うん」
「少しだったけど外の世界をみせてくれてありがとう」
「うん」
「勉強教えてくれてありがとう」
「うん」
「僕はナーちゃんが好きです」
「うん」
「僕はナーちゃんに育ててもらえて幸せでした」
「・・・」
「それから」
「・・・」
「それからね」
「・・・」
「・・・」
「ごめんね」
これが私と御子様の最後の記憶だった。
私が目を覚ますと御子様はいなかった。
時計を探すと3時をまわっていた。
そのあとはただ、呆然と天井を眺めることしかできなかった。
私は御子様の言葉を聞いたあと、感情に任せるまま泣いた。泣いて・・・眠ってしまった。
色々言って上げたい事もたくさんあったのに。
何も言ってあげられなかった。
もう御子様はこの世にいない。
私は抜け殻になった気分だった。
私と御子様の6年間は終わった。
なにも残っていない。
終わってしまった。
何も頭に浮かばなかった。
ただただ天井を眺めていた。
コンコンと部屋がノックされた。
私は返事をしなかった。
ドアを開けてフォクシーさんが入ってきた。
「早朝に馬車が到着します。馬車に行き先は伝えてあるのでそのまま乗ってください。」
フォクシーさんはそれだけ言うと部屋から出て行った。
これが彼女なりの優しさだろう。
救世主とやらは召喚されたんだろうか。
あの子の体に他の人が入ってるなんて想像したくもなかった。
合わないように馬車に乗ろうと。そう思った。
帰って、あの子がしたかった外の世界を代わりに見てまわろう。そう思った。
天井から勉強机に視線を落とすとそこに白い何かがあった。
私は勉強机におぼつかない足つきで近づき、近くのロウソクに火を付けた。
そこにはなーちゃんへと書いた手紙があった。
私は丁寧に封を開け中身をみた。
『泣き虫のナーちゃんへ
ナーちゃん。
ぼくの事を育ててくれてありがとう。
それと一緒にいれなくてごめんなさい。
ナーちゃんはぼくの宝物です。
だからナーちゃんは幸せになってください。
僕は今日で終わりだけどナーちゃんはまだまだ色々なことができます。
だから僕の代わりに幸せになってください。
ぼくがいなくなったら悲しんでくれるかな?
でも、ナーちゃんを悲しませたくないので悲しまないでください。
ぼくはいっぱいいっぱい勉強して、救世主様に知識を渡します。
もし、それと一緒にぼくの思い出も残っていればナーちゃんは寂しくないかな?
そう思っていっぱいいっぱい勉強しました。
もし何も残ってなくても、
僕はどこかでナーちゃんを見ています。
だから一人じゃないよ?寂しくないよ?
ナーちゃん最後のお別れです。
6年間ありがとうございました。』
ポタポタと手紙が濡れた。
あの子は結局すべて私の為にやってくれていたのだ。
いっぱい勉強していっぱい覚えて・・・
すべて私の為に・・・
もう一枚手紙があった。
そこには『救世主様へ』と書かれていた。
「ナーちゃん一つだけお願いがあるの・・・」
「救世主様のお世話もしてあげて欲しいの」
「救世主様はね、きっと一人で寂しいから・・・だからナーちゃんお願い。救世主様を守ってあげて」
「ナーちゃんがいたら救世主様もきっと大丈夫だから・・・お願い・・・」
これが、最後の彼の願いだった。
何も迷いはなかった。
気付いたら私はフォクシーさんの部屋に向かって走りだしていた・・・
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