女川町篇

駅前レンガ道

生まれ変わるまち

 ――まもなく終点、女川です。お降りの際はお近くのドアボタンを押してお降りください。乗車券、運賃、整理券は駅係員にお渡しください。また、お降りの際は足下にご注意ください。今日もJR東日本をご利用くださいましてありがとうございました。まもなく終点、女川です。



 西陽を浴び、すべてのものから長い影が伸びている

 石巻駅から女川駅まで約三〇分。石巻線の終点だ。


 リンコンリンコンと鳴るベルの音とともに、電車は速度を落としてゆく。学校帰りの高校生がわいわいおしゃべりを楽しんでいた。


「女川駅のような終着駅は全国でも珍しいんだ」

 二両編成最前ドアの前に待機して停車するのを待ってると、三ツ葉が興味深いことを言い出した。


「珍しいの? 特にそんな感じはしないけど」

「そうだな……降り立ってみれば気づくと思うよ」


 列車が停まり、三ツ葉がボタンを押す。わたしたちを先頭にぞろぞろ乗客が降りていった。


 女川駅のホームはとても細かった。三ツ葉と手をつないで両手を広げたら一番ホームから反対端まで届くんじゃないかな。


「んー、なんか、特に違いはない気がするけど……」


 高校生の集団がわたしたちの横を過ぎ去った。レールの端に白黒のバッテン標識がついた車止めがある。これも新宿駅で見たことがあった。


「終点女川駅からはどこへも乗り換えができないんだ。文字通り終着駅、というわけだ」


「それ、珍しいの?」


「私たちは多くの列車を乗り継いでここまで来たよね。宇都宮、郡山、仙台、どこも終点駅だけど、別の場所に向かう列車があった。のぼりかくだり、どちらかへは行ける。けれども女川は違う。車止めの標識が示すように女川駅は行き止まりにある。この駅に辿り着いたら、改札の外に出るほかない」


「三ツ葉さ、やっぱ詳しいね。女川のこと調べてないんじゃないの?」


「調べてないよ。ただちょっと石巻線が気になってさ。ちょっと資料を漁っただけだよ。一面二線だと思ってたのに、一面一線で実のところ驚いてる」


 イチメンイッセンがなにを意味するのか不思議だったけど、尋ねたら止まらなくなりそうな気がしたからやめとこう。


「とにかく、だ。私の知ってる女川はここまでだから、あと依利江、案内よろしく」


「え、わたし?」

「だって依利江が誘ってくれたから旅を一日延期させたんだ。本当は今ごろ最後のまち、名取の旅を終えて電車に乗ってるはずなんだけど」


 今日は日曜日。〈被災地あるこ~東北ちょこっとふたり旅~〉その最後の一日だった。昨晩、わたしが発案した女川寄り道を急遽組み込んだため、最終日は明日月曜日になった。名取からなら四時過ぎの電車に乗れば日付を跨がずにわたしたちの故郷まちまで行ける。


「女川さんぽ、わたし主導なの?」

「発案者ですから」


「ならもっと早くに仙台出たかったんだけど」



 仙台を発ったのは今朝……とは言いがたい時刻だった。グロッキーな三ツ葉に付き添ってあげたのが誰だったか身に刻んでもらいたいもんだ。


 そのあと石巻で途中下車して、おやつどきのブランチをとり、今に至る。陽はとっくに傾いて、色を橙に染めている。


「ごめんごめん。だからエスコートしてよ」


 と言って三ツ葉はお姫様の挨拶みたく、浅葱色あさぎいろのTシャツの裾をつまんでお辞儀した。


 こういう演技をいとも簡単にしてしまえるから、本当ずるいと思う。


「もう、行くよ三ツ葉!」


 ホームにいたって始まんないから、気持ち早足で歩きだした。



 隣には三ツ葉がいる。


 改札のない改札を抜けると、わっと視界が広がった。

 レンガの敷き詰められた広場に街灯と細身の街路樹がずうっと続いていた。その先は水平線だった。うっすら紫がかった空と海が見えた。


「これは……」


 三ツ葉が言葉を失った。わたしは声すら出なかった。新しさというものを嗅覚で感じ取った。


 広場の左方向に高低差のある青い芝生が敷かれていた。芝生の手前になぜか手押しポンプがぽつんと置いてある。


「井戸だ!」


 ふらっと引き寄せられてしまう。魅惑のハンドルを手に取ると、水圧の重みを味わいながらこきゅこきゅ上下させた。澄んだ水がドババと溢れ出てきた。


「見て見て! 冷たいよ!」


 三ツ葉は二、三〇メートル離れたところから眺めていた。


「いや……依利江さ」

 その声は呆れというか諦観というか、とにかく三ツ葉は苦笑していた。


「最初に驚くの、そこ?」

「だって井戸だよ? わたし、トトロでしか見たことない!」


「ええと……そこが依利江というかなんというか。普通はさ、この景観を驚くもんでしょ」


 三ツ葉の言う通りだった。ここはありとあらゆる被災地というイメージと遠くかけ離れた場所だった。

 真新しい駅舎は白木色で、街灯の暖色がレンガ道をじんわり照らしている。レンガ道は途中横断歩道を挟み、その先も数百メートル続いてる。

 横断歩道の先は通りの両脇に漆黒色の建物が連なっていた。でも陰気な雰囲気はない。間接照明が効果的に使われてて、道全体が隠れ家の喫茶店みたいな空気を抱えていた。


「わたしだってびっくりしたよ。だってこんなきれいなまちなみ、初めてなんだから! びっくりして、びっくりの代表がこれだよ!」

 ポンプの頭をぽぽんと叩いた。


「こんなのある駅、普通はないもん! 普通じゃないの象徴だよ!」


 面白い出迎えだった。このまちはどこか違う。

 いや、どこもかしこも違うのは一目瞭然なんだけど、もっと根本的な〈違う〉があるに決まっていた。


「それもそう、なのか?」

 三ツ葉は腕組みして首を傾げた。


 街灯には縦長のフラッグが下がっていた。〈START! ONAGAWA〉というスローガンが書かれていた。



 それからレンガ道の先を行くことにした。歩行者信号の音響装置がぴよぴよ鳴いている。横断歩道を渡った先がシーパルピア女川と呼ばれる商業スペースだった。


 シーパルピア女川。石巻のドーナツ屋さんが教えてくれた場所だ。もっと早くに着いていたらあのお兄さんと再会できたのかもしれない。



「左手側にスーパー、右には……すごい、薬局だ。閉まってるけど」


 三ツ葉は三ツ葉で変なとこに驚いていた。


「薬局で驚くなんて、三ツ葉もわたしと変わんないじゃん」

「観点が違うよ、観点が。薬局が商店街の玄関にある。つまりここから地域密着を目指していることが推察できる」


「うーん、なんでだろ」

「少し考えてみればわかるさ。観光客は普通ドラッグストアなんて行かない」


「え、わたし行ったよ?」

「え?」


「気仙沼で。日焼け止め。三ツ葉に買えって言われたやつ。小さい薬局で」

「ああ……そうなんだ」


 完全に勢いをそがれた三ツ葉は二、三度わたしを見てまばたきをした。それからわざとらしく空咳の素振りをみせた。


「……それは例外だとして、観光客目当ての商業施設だったらこんな目立つ場所に薬局があるわけがないんだ。薬局があるってことは地元の人も利用する商店街だってことだ。地元の人が利用する商店街。地域振興を考えるにあたって、これほど心強いものはないだろう」


「なんか、観光客いっぱいってほうが盛り上がってる感じするけど」


「その側面もある。口コミで広がったり、根強いファンが生まれたり、なにより活気が出る。活気があるように見えればさらに人はやってくるだろう。とはいえ観光客に頼りきるのはリスクがある。昨年五月、箱根で噴火があったろう?」


 そんなニュースが流れてたような気がする。地元だったから不安だったけど、いつの間にか忘れてた。


「箱根というバリューがあるからよかった。それが地方のまちだったらどうだ。もう次はない。だから地元の人が利用する商業施設は安定感が違うんだ。女川、面白いまちだ。発見が目白押しじゃないか……」


 ひとり頷く三ツ葉がちょっぴりおかしくて、わたしはスキップしながらシーパルピア女川を散策した。



 ちらほらと人通りがある。スマホを片手に歩いたり立ち止まったりを繰り返していて、奇妙にも見える。ただこの動きには覚えがあった。ポケモンGOをやってるんだ。この場所には強いポケモンが出現するんだろう。


 レンガ道の終点はガードフェンスだった。海側の陸地は低地になっていて、その向こうに黄昏色に染まった三陸の海が続いていた。決して広大なわけではない。山と山に挟まれ、まるで手首のようにほっそりとしている。


 波打ち際から見たらどんなふうに映るんだろう。いつかこのガードフェンスが取り払われたとき、波に触れたいと思った。


 風は穏やかで、うっすら潮の味がする。


「うみ」



 口ずさむと、体中がそわそわしだして、うんと伸びをした。両手を掲げ、つま先立ちで、胸をぐぐっと反らして欠伸した。


「あっ、依利江」

「ふぁい?」


 ぴぴ、ぱし。



 振り返ったら、ファインダーに見つめられていた。

 いたずらっぽい顔の三ツ葉がひょっこり顔を現した。


「……撮った?」

「撮った」


「この姿を?」

「ああ。両手を上げて背伸びしたまま振り返ったおとぼけ姿をね」


「やだやだ、消して」

「感動したら撮るんだって、教えてくれたのは依利江だよ。今私は心の底から感動してるんだ」


 ぴぴ、しゃしゃしゃしゃしゃ。


 彼女は駆け足で後退しながら連写を決めた。俊足に敵うわけもなかった。

 三ツ葉のカメラには毎秒八コマの連写モードが搭載してる。つまり彼女が一秒間逃げればあの小さな箱のなかに八人のわたしが収まるというわけだ。


 それは、困る。


「いい顔だよ、依利江」

「えっ」


 いい顔が、毎秒八人のいい顔が三ツ葉のものになってしまう。


 本当に、困る。



 だから仕返ししてやろうとスマホを手のうちに忍ばせた。


 三ツ葉は上機嫌に鼻歌を歌いながらレンガの腰かけにひょいとのぼった。さっきの写真をチェックしてるらしい。

 その背中に向けてレンズを構えようとすると、軽くターンをしてわたしを見た。


「どうしたの、依利江?」

 その逆光の笑顔が背後の商店街と山と相まって幻想的だった。


 ううん、なんでもない。ぎこちなく答えると彼女は満足そうに「そっか」と返事をし、隣り合って歩き出した。


 シャッターチャンスを逃してしまった。けれどもまだ反撃を諦めたわけではない。まちなか交流館沿いに駅舎方面へゆく。三ツ葉はのんびりおしゃべりをしていた。虎視眈々と隙を狙うわたしは口数が減ってって、相槌ばっかになっている。


 建物に囲まれた中庭からはコーヒーのいい香りがした。〈CLOSE〉の看板が下がった喫茶店から漂ってるらしい。いかりのマークがおしゃれだった。


「いい香りだ」

 三ツ葉が深く息を吸った。


 チャンスはここしかなかった。


 彼女の三歩後ろで立ち止まり、レンズを向ける。


「ねえねえ、三ツ葉」

「なに?」


 ピピ、カシ。


「あっ」


 声を上げたのはわたしだった。スマホの画面にはしたり顔をした三ツ葉が映っていた。


「ズルい!」

「はは、依利江の考えることなんてお見通しさ」


 三ツ葉が笑った。


 ピピ、カシ。


「あ、撮ったな!」

「隙を生じぬ二段構えは戦いの基本だよ。三ツ葉だってしてたじゃん」


「く、不覚!」

 悔しがる三ツ葉。



 ピピ、カシ。

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