どこかで揺れてる即興歌

 会計はわたしがした。釣銭を受け取り、店員の大きすぎる「ありがとうございました」を背に、夜の仙台に降り立った。


 アーケード街は人で溢れていて、ひときわ活気に溢れていた。どこからともなくギターの音色と女性の歌声が聞こえる。路上ライブでもしてるんだろう。ライブが成立するだけの通行人がこのまちにはあるようだ。



「ごめん」

 耳元で謝罪するのは、肩に掴まる三ツ葉だった。

「ホテルまでちょっとだからそれまでの辛抱よ」


「どんくらいかかりそう?」

「んと、一五分くらい、かな」

「むり……」


「六〇分でも徒歩圏内でしょ?」

「状況を考慮してくれ」


 三ツ葉のかすれた悲鳴を聞き流しつつ、一歩一歩踏みしめて進む。くたびれた三ツ葉は重たかった。この調子じゃ三、四〇分はかかるかもしれない。どっかで飲みものでも買おう。



 ギターの音がちょっとずつ大きくなった。街路の隅に空間があった。空間の中心にギターを提げた女性がバラードを奏でている。

 黒髪ボブカットで、頬をチークで染めている。ベージュ色のワンピースの胸元には紅の造花が飾られてて、胸を強調する格好だ。黒色のブーツのつま先にフタの開いたギターケースが置いてあって、千円札が一枚と五円玉があった。


 バラードは聞き覚えのない曲だった。たぶん、この子のオリジナルソングなのだろう。心地のいい音色はやさしげで、夜の風に合っていた。


 通行人はことごとく無関心で過ぎ去っていく。聴衆は四人の若い男性だけだった。わたしと同じ年代の学生だろうか。路上にしゃがみ、シンガーの胸をじっとり見上げながら笑い声をあげていた。アルコールが入ってるようで、歌と関係ない話で盛り上がっていた。



 歌い手から数歩離れた場所に自動販売機があった。

「のど渇いたでしょ? ちょっと休憩しよ」


 すると三ツ葉はちょこっと首を縦に動かし、うぅと言った。


 曲が終わった。バラードの余韻を感じる間もなく指笛が鳴った。四人の聴衆が待ってましたと言わんばかりに歓声を上げ、囃したてた。男性の一人が、苦笑いを浮かべる女性シンガーに向かってアンコールと叫んだ。


「それじゃあご期待に応えまして……。でもこれが最後ですよ」

 引きつった声が曲名紹介をする。英語のタイトルだった。


「これは海のどこかを旅してる、私のお父さんのために作った曲です」


 がしゃこん。アクエリアスを三ツ葉に渡した。わたしは綾鷹を買った。キャップを捻ると同時にギターがイントロをかき鳴らした。


 さっきのバラードをうってかわった曲調だった。歌いだしは明るく弾むサビだった。



   あなたに捧ぐ即興歌 メロディーはどこだい?

   旋律を求む情動が彷徨える曖昧

   いつか忘れてしまうのだろうか?

   忘れたことも忘れて



 澄んだ歌声から予感めいたなにかを抱いた。

 ペットボトルのキャップを捻った体勢のまんま、立ち尽くした。



   ちまたに溢れる流行歌 メロディーはどこだい?

   旋律を囃す熱狂はもう来ない会えない

   いつか忘れ去られるのだろうか?

   忘れたことも忘れて


   ごらん

   広い大空見上げれば 世界はつながってる

   only pray for... only pray for...?

   イメージできない 伝わらない


   ぼくだけが刻む哀傷歌 メロディーはここだ

   旋律は胸の衝動に身をまかせ

   将来 いつか思い出に

   いつか歌おう

   そのためにimprovise...



 聴き取れたのはサビとCメロだけだった。あるいは共感したとこだけが刻まれたのかもしれない。


 これは三ツ葉を歌った曲なんだと思った。


 けれども残響は聴衆に遮られた。

「さすが!」

「かわいいよ!」

 囃したてる声援は、どこかズレている。


 あの人たちはたぶんライブを見てただけなんだと思った。透明な歌声と音色をBGMに彼女のひらめくワンピースを目で追いかける。それで満足なんだ。わざわざ歌の中身まで覗き見る意味もない。


 あるいは心のなかを知って幻滅したくないのかもしれない。きれいなものはきれいなまま留めておきたいから。彫刻の中身が気になって砕く人がいないように。


 でも、ひとりくらい彫刻の中身を覗きたくなる人がいてもいいんじゃないかな、なんて。


 そんなことを思いつつ、いつの間にかカバンから財布を取りだしていた。

 三ツ葉はひとり、頭を左右に振りながらアクエリアスを飲んでいる。わたしがいなきゃ、転んじゃいそうだ。一刻も早く宿に戻らないといけない。


 でも。


 小銭入れから硬貨を掴みあげ、彼女の足下にあるギターケースにそっと投げ入れた。



 視線が合う前に、言う。

「あ、っと……好きです、その曲」


 心からの声だったのに口にした途端、この子を憐れんでる自分が垣間見えた。陸前高田で抱いたあの感情が湧きあがった。


 投げ入れた硬貨は、もしかしたら高田の罪滅ぼしのためだったのかもしれない。


「ありがとうございますっ」

 歌を奏でるための口から出てきたのは、歌声みたいに純情な言葉だった。

 その声を聞けただけで投げた価値はあった。そんな気がした。


 お辞儀をしてその場をあとにした。彼女を囲う男たちはいつの間にか人ごみに紛れて消えていた。


「三ツ葉、大丈夫?」

「んん……着いた?」

 少し目を離しただけなのに、この人はなにを思ったんだろう。


「もう、飲みすぎだよ」

「違うんだ依利江、言い訳させて。飲みすぎたんじゃない。だってビールと日本酒二合しか……私、三合はいけるんだ」

「二合を一緒に飲んでたんだよ。もう、キャパ知ろうよ、キャパ」

 それに加えてわたしは一ノ蔵を飲んでいる。


 とにかく、言い訳できる程度には回復したってことだろうか。にしては今すぐにでも倒れてしまいそうな感じもする。

 手を引いて歩きだすとちゃんと付いてくる。もう肩を貸さなくても平気そうだった。


 まあ、こんな日があっても悪くない。



「今日も楽しかったね」

 思いつくまま三ツ葉に言い聞かせる。返事は期待していない。ただちょっと話したりない心地だった。


「今日ね、ずっと旅してたいって思っちゃった。もうこのまま、おうちに帰らないでさ……。こうしていろんなところをめぐってくの。そのうち旅先で友達ができてさ、うちでご飯食べてく? なんて言われちゃってさ。友達の家族と食卓を囲んじゃったりして。

 そんなのありうるのかわかんないし、自分にできるとは思えないけどさ、ほんのちょびっとだけ、そういう旅も面白そうだなって考えちゃったんだ。

 三ツ葉はそういう旅もしてきたのかな。いろんなとこ旅してるからさ。いつか、そういう話も聞きたいな。今日みたいに話してくれるだけで、すごく楽しい」


「今日……充実してた」

 独り言をしてたら、呂律の回らない声が返ってきた。


「私も、単なる移動日だと思ってたんだ。今朝までは。……けど、こんなこともあるんだなって」

「なにが起こるかわかんないよ。だって旅だもん。明日の名取も、すごく楽しみ」

「名取、ねえ」

 三ツ葉は首を傾げた。相変わらず乗り気じゃないらしい。



 旅のしおりでは広大な平野が津波に呑まれたと書かれていた。その映像が衝撃的だったとも。被災地を知るために、名取のこともたくさん調べたんだろう。

 その努力が仇になってしまったんだから、乗り気じゃないのもムリはなかった。


「女川、行く?」

 考えるより先に口が動いた。


「おにゃ、おながわ……?」

 三ツ葉はうつろだった目をぱちくりさせた。


「遠野でさ、教えてくれたんだ。なんかね、東北じゅう探してもあんなとこはないって。全部違うって!」

「ぜんぶって、全部? 依利江は調べたの?」


「なあんにも!」

 なぜだかわかんないけど、わたしの声はとびきり明るかった。


「三ツ葉は調べてるよね?」

「いや、女川は触れてないよ。原発があるから」

「ならさ、行ってみようよ! なんかたぶん、すごいんだよ! 新しい発見があるかもしれないし!」


 わたしのリアクションを見た彼女の背筋がすっと伸びた。我に返ったように思案する。

 それからひとつの結論に至ったみたいで、三ツ葉は小さく頷いた。


「依利江らしい発案だ。いっつも突発的で無計画な企画ばっかで」

「それ、褒めてないよね?」

「褒めてる褒めてる。依利江には特別な嗅覚があるんだ。今は信じてみたい」


 顔は青ざめたままだけど、三ツ葉は美しい笑みを浮かべた。

「ま、大抵はずれだから、ほどほどに期待しとくよ」

「うう、やっぱ褒めてないじゃん!」


「女川って案は素晴らしいと思うよ。石巻を経由して行く必要があるってところが特に。そうだな……ちょっと寄り道してもいい? 〈かぎかっこ〉でランチでもしてさ」

 なんか腑に落ちないんだよなあ。



 まあ、いつものことだ。

 わたしが三ツ葉を誘うことも、三ツ葉がその誘いに乗ることも。


 けどなんか、とても新鮮だ。口先じゃ冗談っぽく言ってるけど、本心はすごく楽しみなんだろう。


 スマホを取り出した三ツ葉は、わたしの隣で電車行程を調べだした。



 今夜は風がある。歌声のやんだ商店街からは、歌の代わりにどっかで揺れてるコードの、から、から、という音が聞こえた。

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