ビア・バー

水曜日のネコ



   φ



 ゆぽっぽのあとで、再びまちへ繰り出した。シーパルピア女川入口の案内板を見つめる。


「ご飯が食べられそうなのは、クラフトビールの〈ガル屋〉か、〈バー・シュガー・シャック〉かな」

 どちらもお酒がメインの店らしかった。

「ビールかウィスキー……ってこと?」


 もっとこう、海鮮丼専門店みたいな、観光客用の店舗があると思ってた。シーパルピア女川にはまだ未完成の区域が残されてる。もしかすると海側の建設途中のとこにオープンするのかもしれない。


 ともあれビールバーか普通のバーか、二択問題だ。


「ビールバー、行ってみる?」

 なんとなく提案してみた。


「〈ガル屋〉か。どうして?」

 理由なんてあってないようなものだ。


「んと……最初に目についたほうだから?」

「なぜ疑問形」


 さすがに自分でも適当に答えすぎた。少し考えてみれば選んだ理由の端っこくらいは説明できる気がする。


「その……普通じゃなさそうなとこだったから、かな。うちの地元、バーはいくらでもあると思うけど、ビール専門ってとこはなかったと思う。それが女川にはある。それってすごそうじゃない?」


「言われてみれば」

 思案顔で頷く。松本にもあるのだろうか、と呟いた。


「うん、行こう。私もバーは初体験だ。当然ビールバーもね。依利江のチョイスだし、面白い発見があるに違いないさ」

「んもう、勝手にハードル上げないで」


「期待外れでも依利江を責めやしないよ。期待に応えられなかったお店が悪い」

「それはそれで心苦しいんだけど……」


 なんてことを話しながら、内心ドキドキしている自分がいた。



 バー。


 なんかすごく大人の気分になる。常連さんたちがカウンター席に座り、暗くてネオンな光のなか「いつもの」と言ってカクテルを頼む。そんな独特の空気がありそうな気がする。


 でもビール専門の酒場ってどんなところだろう。片手がフックな船長が子分を従えてタルジョッキをがぶ飲みしてる妄想がひろがるものの、そんなの現実にはありえないだろう。


 ともあれ、三ツ葉とだったらなんだって挑戦できる。そんな気がする。





 まさか本当にタルだとは思わなかった。

 ジョッキではない。テーブルがだ。


 海賊船に転がってそうな、あるいはドンキーコングがぶん投げてそうな、タルだ。


 店内に入ると軽快なジャズが迎えてくれる。壁には巨大な紅色のキリンラガーの旗がさがっていて、なんともオシャレ空間だ。メニューと思しき巨大な黒板がカウンターの上部にさがっている。


 カウンターテーブルに若い女性が立っていて、キッチンの店主と話していた。わたしたちが入るとちらっとこちらを見る。


「いらっしゃい。お二人?」

 店主の言葉に、わたしたちはこくんと頷いた。


 扉から数歩入って、立ち止まる。椅子がない。いわゆる立ち飲みバーというものなのだろうか。


「どこでもいいよ。椅子がなくてごめんね。カバンは端っこに置いてくれればいいからさ。ま、別に誰も盗まないよ」


 彼のフォローが入る。言われるがまま動き、巨大なタルの前で三ツ葉と目を合わせた。


「あ、あの、わたしたち、バー初めてで……」

 小さな声で、店主に伝えた。まあ、そんなの言わなくても自分らの動きを見ればわかりそうだけど。


「おおそうなのかい。それは嬉しいなあ」


 店主の男性が笑った。もじゃもじゃの髪の毛に黒縁のメガネ、それから無精ヒゲをアゴにたくわえている。歳は二〇代後半から三〇代前半か。紺色無地のTシャツ姿というラフな格好だった。


「まーそんな改まんなくてもいいよ。うち、ゆるーいとこだから」

「そうそう。ここはね、のんびりビールとおつまみ食べるとこだから。マスターとだらだらお話しながらねー」


 カウンターの女性が軽くジョッキを掲げた。そのさまがよく似合ってる。先客の女性はショートカットの格好いいお姉さんだった。薄地の白ブラウスにラインがくっきりのジーンズパンツ。垂れ目に顎のほくろがとても艶美だ。


「ま、ラフな感じだからさ」

 マスターの口からだと説得力があった。自ずと肩の力が抜けていく。



「じゃ、なんか頼もっか」

 そう言って三ツ葉がカウンター上のボードを見上げた。


「たくさんある……」

 ツァイトガイスト、ビタービッチ、ピクルスサウザンド……。オシャレな名前すぎて、なにがビールでどれがおつまみかわからない。


「オススメのビールはありますか」

 わたしが戸惑う一方で、三ツ葉がしれっとマスターに尋ねた。たぶん三ツ葉もなにがいいかわからなかったんだろう。でもこうやってスマートな方法を選べるのは、場数の違いなんだろうなあ。


「うーん、そうだなあ。〈水曜日のネコ〉は飲みやすいよ」

「それ、おいしそうだね、三ツ葉」


「じゃあそれ二つお願いします。依利江、おつまみ決めていいよ」

「わたし? ええと……」


 わたしにも選ぶ権利を与えてくれる。あるいは単に三ツ葉も迷ってるだけなのかもしれない。だってどれも魅力的なおつまみなのだ。


 優柔不断な自分は、三ツ葉と同じ手段を選択した。


「マ、マスター、なにか、あります?」


 マスター。一度は言ってみたいセリフ、第一位。……いや、第六位くらい?


「どうだろうなあ」

 わたしの問いに苦笑を浮かべ、髪を掻いた。


「どうですか、オススメ教えてくださいよ」

 と、カウンターでビールを飲んでいた女性に話を振った。


「……ここで私ですか?」

 女性はとすんとジョッキをタルテーブルに置いた。


「そうねえ、この前食べたスペイン豚の生ハム、おいしかったんだけど」

「今日は切らしてますね」


「そういうときに限って……! スモーキーでおいしいのよ、ここの。ならポテトサラダかなー。ビールと案外合うの。ポテトサラダ」


「ポテトサラダ! そうします! ポテトサラダ!」

「じゃあそれと、スモークチーズを」


 三ツ葉は別のオーダーだった。私と一緒のを頼むと思ったんだけど、そんなことはなかった。



「ねえ、二人は初女川?」


 マスターが厨房で作業を始めると、お姉さんがジョッキを持ってタルテーブルに向かった。大人の余裕があって、なんだかすごくドキドキする。


「はい、わたしたち被災地を旅してて」

「へー、やるねえ」


「女川、なんかこう、すごいです!」


 これではまったく思いの丈を伝えられてない気がするけど、お姉さんは楽しそうに「だよねー」と言った。「なんかすごいってなっちゃうよねー」とも言った。うんうんと頷いている。


 三ツ葉はわたしとお姉さんの話に相槌を打つだけで積極的に話に入り込もうとはしなかった。おしゃべりなわたしが目新しいのかもしれない。別段居心地悪そうにしてるわけでもなさそうだった。


「あ、マスター、私も〈水曜日のネコ〉お願いしまーす」

 お姉さんは空のジョッキをカウンターに置くついでに言った。


「オススメって言われたら飲みたくなっちゃうよね」

 と言ってお姉さんは笑った。白い歯がちらっと眩しかった。


「あの……お姉さんはここの常連なんですか?」

「私? あー、どうだろ。常連予備軍、みたいな? ここまだ二回目なんだ」


「元ボランティアなんすよ」

 ジョッキを三杯手にしたマスターがやってきた。〈水曜日のネコ〉だ!


「マスターどうも!」

 お姉さんが意気揚々と受け取った。


「はい、かんぱーい!」

 ジョッキを配ると、お姉さんは軽いノリでジョッキを近づけた。乾杯する。もちろん三ツ葉とも。



 二口、三口、四口飲んだ。


「ぷあぁ」

 やっぱりビールは息を止めて飲む最初が最高においしい。生きててよかったと思っちゃう単純なわたしを褒めてやりたいくらいだ。


「あら、すごくフルーティ」

「オレンジピールが入ってるからフルーティなアロマになるんですよ」

 お姉さんの感想に、マスターが補足を加えた。


「甘酸っぱい香りがいいですね」

 三ツ葉の一言に、わたしはジョッキに鼻を近づけた。ちょっと青りんごっぽい香りがする気がした。


「そうそう、それときれいな黄金色してるでしょ。ホワイトビールっていうんです。だからまずは目と鼻でじっくり味わうといいよ。いきなりごくごく飲んじゃうのはちょっともったいないかな」


 マスター、あと数秒早くオススメの飲み方を教えてほしかったです。わたし、半分近く飲んじゃったんですが。


「ま、すっきりしてて女性向けなビールです。あ、ポテトサラダとスモークチーズ、お待たせいたしました」


 おつまみがやってきた。と同時に、ガル屋の入口が開く。


「おう」

 新たな客はずんぐりした中年の男性だった。短い挨拶を済まし、カウンターの前に立つ。

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