旅の途中だから


   φ



 子供たちがレンガ通りの裏で遊んでいた。


 ちっこい車型のおもちゃを乗り回している。ひとりが乗って、もうひとりが後ろから押している。残りのひとりは、はしゃぎ声をあげながら追いかけていた。

 建物の一角が明るい。バー以外でも開いてるとこがあるらしい。どうやら英会話教室をしているみたいだった。親が英会話をしているあいだ、子供たちは外で遊んでるみたいだった。

 今、駅前通りには大人の数より子供の数のほうが多い。不思議な光景だった。


 建設途中の一画はガードフェンスで囲われている。経済成長期のようなスピード感はないけれど、のんびり確実に建てられてくさまが、なんだかとても女川って感じがした。



 三ツ葉は駅前の横断歩道の前に立っていた。そのシルエットを見て間もなく、信号は青に変わる。

 彼女は振り返らず、道路を渡ろうとした。


「みつば」

 その声は届かない。もっと大きい声を出さなくちゃダメだ。


「三ツ葉!」

 お腹から声を出した。彼女の足が止まった。


 その影めがけて駆けだした。


「待って! ……まって」


 間もなく自分の体力を呪いたくなる。この旅でたくさん歩きまくったけど、ほんの数十メートル走っただけで息が上がった。

 お酒が入ってるせいだろうか?

 違う、そうじゃない。

 最後に全力疾走したのって、大学入学式の朝だったと思う。

 完全なる運動不足のせいだった。



「なにしてんの」

 見かねた三ツ葉が近寄ってくる。信号は点滅し、やがて赤色になった。


「や、だって……先行っちゃう流れ、だった、から」

「私の名前呼んだ時点で止まってるよ。なんで走ったのかを訊いている」

「や、えと、なんで、なんでだろ……」

 彼女の盛大なため息が聞こえた。


「深呼吸でもしな」


 言われるまま大きく息を吸って、吐いた。うっすら木の香りがした。



「あの子……木梨さんと話さなくてよかったの?」

 落ち着いてから、彼女はそんなことを尋ねた。


「うん」

「いや、行ったほうがいいよ。行かなきゃ後悔するよ」

 三ツ葉は念を押すようにそう言った。


「だって……もう二度と会えないかもしれない。その可能性があることを、依利江も私も知っている。そうでしょう?」


 彼女の言葉は戒めとも言えた。わたしたちはこの旅で……いや〈あの日〉から、そのことを深く刻まれてしまった。



 でもわたしが伝えたいのは、そこじゃなかった。


「旅の途中だからだよ」

 真正面から、告げた。


 三ツ葉は言葉を呑みこみ、じっとわたしの目を見つめた。



「松実とはこれからも会えるよ。三ツ葉は会えないかもしれないって言うけど、わたしは違うって思う。だって再会できたんだから。もう何度だって行けるよ」

 このまちを歩いて、不安なんてなにひとつない場所のように思えた。

 なあんて言ったらみんな笑うだろう。でも本当にそう思ったんだ。


 はたから見た人間の浅はかな第一印象に過ぎない。

 本当は山積みの課題に追われてるに違いない。

 消えない傷に沈むことだってある。

 そんなの想像できる。当たり前だ。

 元ボランティアのお姉さんも、ガル屋のマスターも、社長さんも、そして松実も。

 無知なわたしにぶちまけたいことは山ほどあるだろう。


 でも全部全部、内輪の問題なんだ。女川を歩いて不安を感じなかったのは、身内の問題をひけらかして、嘆いて、同情を誘うようなことをしないからなんだと思った。


 女川はそういう意味で、精神的に独り立ちしている。だからわたしも、なにひとつ気兼ねすることなく、また遊びに行きたいと思えた。



「松実とはいつだって会える。でも三ツ葉と一緒の、は、たったの一度しか味わえない。松実のとこへ行くのは、松実に会うための旅をするときだよ。だからわたしは、三ツ葉と一緒に故郷へ帰りたい」


 旅は間もなく終わる。


 けれど終わったわけじゃない。

 まだ、続いている。


「三ツ葉、わたしね、楽しみなんだ。三ツ葉と旅ができる今が!」



 女川駅前の信号が青になる。


「ねえねえ、明日の名取市はさ、なにがあるかな?」

 小鳥がさえずる音響装置の鳴き声が、わたしたちを駅へと導く。


 三ツ葉は前を向いた。

「そっか」


 顔を拭い、ぽつんと呟いた。

「そうだよね」


 横断歩道を一歩踏み出した彼女は、すこしだけ声を大きくした。


「仙台に着くまで、心ゆくままレクチャーしてあげよう」

 三ツ葉は話すだろう。名取のこと、たくさん、たくさん。


「なにせあの日一番印象に残ったところがあのまちなんだから。事前調査は完璧だよ」


 わたしは追いかけるように一歩、二歩と進む。


「どこから語ろうか。名取市というのはね――」


 追う背中はすぐに追いついて、彼女の右隣を歩く。


 暖色の街灯が足下を照らしている。旗が夜風に吹かれてなびいていた。



 三ツ葉の話は続く。わたしはうんうんと頷きながらまだ見ぬ名取の地に思いを馳せた。


 そこでわたしはなにを見るんだろう。なにを見たって三ツ葉はきっとわたしの言葉を受け止めてくれる。三ツ葉もきっと、名取を名取として見た画を撮る。三ツ葉がどんな思いでシャッターを切ったのか、訊いてみようと思った。



 レンガ道の先には女川駅がある。駅員さんに切符を見せた。ホームには終電が停まっている。二両編成の石巻行気動車がエンジン音を唸らせながらそこにあった。


 ここは石巻線の終着駅だ。行きが終着駅ということは、帰りは当駅始発だ。



 ……女川はそういうまちなんだ。

 ロングシートの座席に座ると、ほんのりアルコールの眠気に襲われた。

 三ツ葉の子守歌が頬をなでる。

 夢うつつのなか、わたしと三ツ葉と松実の三人でおしゃべりするひとときを思った。

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