アルコホールをかたむけて
「ちょっと考えちゃった。面白い話を聞いたね。東京のカッパ話とは大違いだ」
「それと比べられると、ちょっと」
自分でもうまく話せたのが不思議に思えてくる。今度はちゃんと伝えられた。
「本当に、素晴らしい体験だよ。依利江のは」
「うん。今度また一緒に行こ! 冬……までにお金の工面ができる気がしないから、春にでも、さ!」
「うん……」
わたしの期待とは裏腹に、三ツ葉は再び上の空になった。お酒だけが進む。左隣の席にサラリーマンの三人組が座った。店内は賑やかでいろんな会話が飛び交っていた。
「依利江さ、写真、撮ってる?」
「写真?」
顔を上げる。三ツ葉はじっと手の内の水面を眺めていた。
「撮ってるよ」
「今も、好き?」
「下手くそだけどね。好きだしたまーに見返すよ。いろんなことあったなって」
「私は、どうなんだろう」
「え?」
「写真撮るの、好きなのか、わからないんだ」
でも。
「好きで撮ってるのか、目立ちたいからなのか、見捨てられないようになのか、わからないんだ」
「三ツ葉……」
その話を聞くのは怖かった。三ツ葉のウエストポーチにはオリンパスの一眼レフが入っている。
「一千年。いいヒントを得たよ」
「今ので?」
「ああ。でもどうしてそれがヒントといえるのか。伝えるには少々手間がいる。そうだな……私も過去話をしようか」
「被災地を旅した思い出話?」
「いやいや。本当の過去話さ。依利江と会う前の話。会って間もないころの話、そして、この旅に依利江を誘ったいきさつだ」
「面白そう。聞かして聞かして!」
「聞かせよう。あれは幼稚園に通ってたころの話……でもその前に」
三ツ葉は店員を呼んだ。
「その、頼んじゃって平気なの?」
「平気もなにも、昔話は酒のつまみにちょうどいいんだ」
なんか、すごく平気じゃなさそうだった。明日引きずらなければいいんだけどなあ。
「ずっとね、中途半端な生き方だったんだ」
空の徳利をくるくるいじりながら、彼女は語りだした。
「小さいころから人と同じようにはなりたくなかったんだ。学校も嫌いだった。先生も苦手だった。はたから見たら問題児だったと思うよ。人と違うことばっかやってたからね。どれだけ迷惑かけたんだろう。迷惑かけたくてかけたんじゃないんだ。なにをすればいいのかわからなかったから、人に迷惑をかけることもしてしまったんだ」
「親から注意されなかったの?」
「されたさ。めちゃくちゃ怒られたこともあった。母の真似して包丁持とうとしたときとかね。でも怒られたあと、どうして持っちゃいけないのか確かめたくなるんだよ。それで指を切って、泣いたっけなあ」
「よく生きてこれたね」
「自分でも不思議だよ」
三ツ葉は笑ってたけど、あんまし笑えない。
「とにかくいろんなことを自分でしたかったんだ。自由になりたかったから、中学を卒業したら働いてもよかった。まあ結局、働き出したらその世界のことしか知れない気がして高校に入ることにしたんだけどさ。高校生という経験は一度しかできないわけだし。でも高校生らしいことは毛嫌いしてね。部活とか恋愛とか、いわゆる青春を謳歌するってやつをしとけばよかったかなって、今は思うよ。中途半端なままだったんだ」
「三ツ葉も後悔があったんだね、高校で」
「依利江ほど壮絶なものじゃないよ。あれはあれでよかったって割り切れてる。そもそも人と接するより学びを得るほうが性に合うんだ。包丁で指切ったときも沸騰したヤカンを両手で持とうとして火傷したのも、後ろ歩きして転んで頭打ったのも、知識を得たい欲望に飢えてやったことだったんだろう」
「ほんと、なにしてるの、子供んころの三ツ葉……」
タイムマシンがあったら覗いてみたい。きっと今よりボーイッシュな子だったんだと思う。気になる。
間が空いたタイミングで雅山流如月がやってきた。さっそく三ツ葉は杯に注ぎ、唇を濡らした。
「うまい。大吟醸らしい甘味だ。でもこのお酒は複層的な甘味で、季節のように移りゆくのが面白い」
「さっきのとは違う感じなの?」
「全然違うよ。飲んでみればわかる」
まったく違う味だった。飲むとホッと一息洩れてしまうおいしさがあった。
「こうしてお酒を語れるようになったのも、子供時代の延長線上にあるんだ。知識を披露して一目置かれる快感を物心つく前に覚えてしまったんだろう。一般ウケする知識が雑学だった。文芸学部創作学科を選んだ動機にもなった。創作するにはあらゆる知識が必要だから、この学科なら自身の願望に応えてくれると思ったんだ」
「そんな理由で入る子、他にいないと思うよ」
「人と同じようにはなりたくないってこと」
「わたしは推薦で入っちゃったからなあ」
「依利江はよく似合ってると思うよ、創作学科。というかここ以外じゃレポート書くところから苦戦してたんじゃない?」
「それは言える」
「依利江の書く作品は好きなんだけどな」
「みんなほどうまくはないよ。わたしのは可も不可もない、マイルドテイストストーリーだから」
推薦で行ける大学はいくつかあった。どうせ入るなら少しでも自分の得意なものがいいかなって思ってここを選んだ。創作といっても撮った写真に言葉を載せる程度のお遊びだけど。他の学科生みたいに、大昔から小説書いてたり、純文学作家目指してたりするわけじゃない。
「マイルドなのは依利江っぽさを押し殺してるからじゃない? 依利江が本気出したら、先輩とも張り合えると思うよ」
「そうかなあ。別に張り合う必要はないと思うけど」
「強要はしないよ」
「三ツ葉の作品、風景の描写がきれいで好きだよ。憧れちゃうなあ、ああいうの」
「憧れ、ねえ」
「そうだよ。憧れちゃうよ。会ったばっかのとき、三ツ葉がすっこい大人びて見えて、すごいなって思ったもん。高校生に毛が生えた程度の人ばっかなのに、三ツ葉はオーラすごかったよ。一匹狼っていうのかな? ずうっと先を見通してるようで、大学のことなんて眼中になさそうだった」
「学校嫌いだから」
彼女はニッと笑って、杯を傾けた。
「振り返ると当時の私は強く人に当たってたんだって思うよ。高校時代に培った知識と優越感がそうさせたんだろう。人のこと言えないけど、みんな世界が狭すぎるんだ。文章のなかで生きてるような奴もいるし、依利江とは別の意味で創作学科以外じゃやっていけない奴もいる」
「三ツ葉、結構いろんな人から声掛けられてたけど、最近は一目置かれた存在になってる感じする」
「あえてそうしたんだ。そもそも仲良しグループ作るのが目的で大学通ってるわけじゃないし。依利江くらいだよ。今も昔も同じように接するの。私からしたら不思議で仕方ないくらいだ。そっけない対応したこともあったのにさ。遊びに誘ってくれたし、互いの家に行ったこともあった。それも私に憧れてたから?」
憧れ。その要素は多分にあった。わたしからしたら超人なんだから、そりゃ近づけたら嬉しい。
けど憧れだけが理由じゃない。
「だって、友達付き合いで失敗したくなかったんだもん」
「……ああ、そっか」
中学時代、距離感を誤り親友から絶交と言われてしまった。高校時代、場を取り繕うことに身を削いだ結果なにも残らなかった。
大学。もうあとがなくなってしまった。
「わたし、たったひとりでいいから仲良くできる友達が欲しかったの。お互いの悩みを相談しあえるような、そんな人。だから入学ガイダンスで隣の子に声をかけたの」
「それが私だった」
「わたし、これでも結構頑張ったんだよ」
「だからいつも一緒にいようとしてたのか」
それから三ツ葉は唸り声をあげた。
「それにしては、うわべだけの会話ばっかだった気がするんだけど」
その指摘が胸に突き刺さった。
「だって、コミュニケーションの仕方、わかんなかったんだもん! だてに取り繕いの高校三年間過ごしてないよ!」
「ああ、申し訳ない。依利江が不器用なのはもう知ってる。私が伝えたかったのは大学入学間もないころに、依利江を意識した決定的な出来事があったってことなんだ。そうでなくちゃ他の人と同様とっくに距離を取ってるさ」
「ならそう言えばいいのに!」
つくづく三ツ葉は不器用だと思う。わたしとおんなじくらい!
「まあまあ。あれは大学入学から二ヶ月が経った梅雨のことだ。依利江はもう忘れてるだろうけど、生田緑地に行ったんだ。食堂で突然行こうって言いだしてさ」
「それ覚えてるよ」
生田は川崎北部にある地名で、神奈川県民から田舎田舎と揶揄されている。三ツ葉のアパートもその付近にある。生田の名を冠する生田緑地は文字通り緑にあふれた公園だ。
「三ツ葉ん家から歩いて行ったんだよね。スマブラも飽きてきた頃合いだったから」
「スマブラ?」
「やってたじゃん! スマッシュブラザーズ3DS! なんでそういうのは忘れるかなあ」
「ゲームはコツがわかっちゃえば、依利江なんて相手にならないからね。張り合いないのは忘れるんだ」
「ひどい!」
「それに、なんでもかんでも私と一緒にしたがってたからひとつひとつの印象が薄いのさ。今なら真意も理解できるけど、そのときはまたいつもの突発的な企画なのかと」
たしかに三ツ葉と一緒にいろんなことをしまくったのは認める。最近じゃ期末レポート提出お疲れさまでした会を池袋で開いたし。特に三ツ葉と会って間もないころはドトールや映画館、ゲームセンターなどなど、思いつくとこはあらかた制覇した。チョイスが中学生っぽいのは、わたしの経験がそこでストップしてるからだ。
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