岩手県の話をする。それはおそろしい持久戦だ。忘れないとは言わない。
4日目 25日(木)気仙沼市最終日
八時前に起床した。天気がいい。妙な空腹感を覚えつつ、部屋の外に置かれていた朝食を食べる。ご飯に納豆、味噌汁、味付海苔、卵焼……。和風な品ぞろえだった。
相変わらず三ツ葉はうつらうつらしていて、焼き魚を何度かご飯の上に落としていた。
歯磨きをしに踊り場まで行く途中で、若女将に出会った。若女将は布団を抱えて廊下を歩いていたけど、わたしを見かけるときらきらした笑顔であいさつした。
最終日にして初対面だった。もっといろんな話ができたらよかったけど、これはこれでいい旅の思い出になるだろう。
部屋に戻り、髪を結わえながら天気予報を耳にする。仙台は今日も暑いらしい。
「今日は忙しくなるよ。陸前高田に寄りながら、一気に釜石まで行く。陸前高田は奇跡の一本松で有名だね。釜石は日本でも有数の製鉄所がある場所だ」
「釜石って、天気予報どこらへん見ればいいの?」
「岩手県の南東部のまちだから、んーと、これだと宮古市を参考にすればいいんじゃない?」
ちょうどお天気のお姉さんが岩手県の話をしていた。
岩手県は前線の影響で大気が不安定となり、夕方以降一時間に三十から五十ミリの局地的な激しい雨が降るでしょう。
「あまりいい天気じゃなさそう」
「電車が止まんなきゃ予定通り行く予定だから」
まあ、三ツ葉だったらそう言うと思ってたよ。
荷支度を終え、階段を踏みしめながら降りる。番頭室から女将が顔を出した。三ツ葉が会計を済ます。
「女将さん」
靴を履いてから、女将の顔を見た。
「三日間、とても楽しかったです」
「ありがとうございます。ここにはなあんにもございませんし、このまちもしばらくは、ご覧の通りなあんにもないとは思いますが」
「いえ、そんな……」
とっさに出た言葉だった。昨日の朝似た会話をしたばかりだった。
ごめんなさい、役立たずで。謙遜が強烈な自虐に聞こえてしまった、あの女将の表情と重なった。
「復興は二十年三十年っていうけど」
女将は話を続ける。
「そのころにはもうあっちへいってるだろうし……二十年後じゃもう数え年で百だしね」
無言で耳を傾けた。
「でも、きっとそのときでもまだ無理なんだろうね。そもそも、次男三男が東京や仙台に行っちゃって。長男が独身じゃ、ねえ」
その「無理」は、わたしの抱く「ムリ」とは根本から違っているような気がした。
そして女将は――この言葉を使うのは、未熟なわたしにはあまりにも大きすぎて不相応だけど――女将は、このまちを愛しているんだと悟った。
復興。
再び興すこと。一度衰退したものをふたたび盛んにすること。
リアスアークの洗礼を受けたわたしは、それを軽々しく口にはできない。
復興は、おそろしい持久戦だ。
熱意や義務だけじゃ、決して長くは続けられない。それだけじゃ疲れて倒れてしまう。逃げるしかなくなる。
疲れたままやり続けたって、すがりつくのは〈かつてのもの〉……。熱意や義務に浸っていた日々だけ。今や消し炭になってしまったものを思い返しただけで、余計
女将の言葉を聞いて、持久の原動力は愛着だと、そう思った。
わたしにとっての愛着は金港館であり、リアスアーク美術館だ。
人と触れ合ったり、自分だけのなにかを見つけたり、思い出が増えていったら、どんどん愛着は増していく。愛着が湧けば、人はそこへ惹かれ寄せられていく。
愛着が薄れた地元の人たちを女将は心配しているように、そう感じた。
「戦争があって、津波があって……」
別れ際、女将の唇はかすかに震えていた。
「あの日ね、私両親から結婚の話があがったときのこと思い出してたんです。実家は福島で、親から『北に住む人は馬鹿ばかりだ』ってね。でもこうして嫁いで。そしたら津波で流されてしまって、旦那には先立たれて……。私はなんのために生まれて、なんのために嫁いだんでしょうかね」
「だって、だってここに来たから会えたんじゃないですか」
間髪なく、言葉が出てきた。
「嫁いで来たから、会えたんじゃないですか」
わたしの声だった。ただ、ちょっと震えてたけど。でも、わたしの声だった。
「女将さんが、女将さんだったから、会えたんじゃないですか。この出会いを、だって、わたしは、無駄にしたくない、から……。会えてよかったと、心の底から……!」
そのあと、女将はどんな顔をしてたんだろう。困ったふうな顔をしてたような気もするし、はにかんでいたようにも思える。
ほとんど顔を合わせられなかった。めいっぱいお辞儀して、また女将も深々と頭を下げていた。
感情がどんどん
金港館を出たとき、三ツ葉の手を強く握りしめた。
三ツ葉はなにも言わないでくれて、ただそっと握り返してくれた。
その手はひんやり冷たくて、でも更地の東浜街道はうだるように暑くて、肩にのしかかるバッグはぐいぐい喰い込んだ。
潮の風が帽子をなぞるように目尻を拭った。その味を、わたしは覚えた。
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