アゴラと割れたアスファルト。正面は番頭、窓枠にはっぴ。魔法瓶と一緒に。
僅かに残った建築物は風化していて、一階が空洞になっている。建物は居住者を待ち望んでいるというより、解体されるまでの余生を怠惰に過ごしてるみたいだった。
気仙沼市魚町地区。昔歴史の資料集で見た古代ギリシャのアゴラの遺跡みたいだった。平べったい土地に石柱みたいな建物がちらほらあって、割れたアスファルトの隙間から背の高い雑草が生えている。船の停泊所がある。気仙沼湾内にある大島への連絡船があった。
「なんか、南三陸町と雰囲気が違うね」
「そうかもしれないね。この付近はかさ上げせずにまちづくりを進めていくみたいだよ」
「かさ上げしなくていいの?」
「地ならし程度はするかもしれないけど、そこは地元住民との話し合いで決まるんじゃないかな。魚町地区は景観を極力壊さないって決めたらしい。依利江、宿までもうすこしだよ」
どこもかしこもかさ上げをするわけじゃないんだ。と思いつつ、疑問が浮かぶ。
「もうすこしって、ここ、津波が来てるんだよね?」
「そうだよ。駐車場とモルタルフレームの崖、うん、間違いない、ここの道を左に」
なにを確認したのかは定かでないけど、三ツ葉は食堂のある十字路を曲がった。わたしもその後ろを付いていく。
「あったあった。金港館。今日泊まる旅館」
三ツ葉は指をさして言ってるけど、どこにそれがあるのかわからなかった。丘から突き出る竹林を指して言ってるのか、その手前の二メートルあるコンクリートの土台を言っているのか、土台から伸びる階段を言ってるのか。
指先に沿って五度確認して、やっと道の先にちょこんと立つ電柱に〈金港館〉と書かれた看板を見つけた。
わたしにとっての旅館は、ジブリで千尋が働いてた湯冶場のような、巨大で木造で湯気がわんさか上がっているようなものを想像していた。
金港館はコンクリートみたいな外壁で、パッと見た感じ二階建だった。丘に寄り添うように建つ姿は、旅館というより民宿と言ったほうが近いかもしれない。そんなことを思ってたら、三ツ葉は入口の引き戸を開けていた。
「ごめんください、今日予約した岳ノ台です」
玄関の両脇に下駄箱があり、左側面に階段がある。正面は番頭室で、窓枠にはっぴが掛かっていた。階段と番頭室のあいだに廊下があって、奥からぱたぱたと人の気配がした。背の低い年を召した女性の方が迎えてくれた。女将だろう。
「岳ノ台様、ようこそおいでくださいました」
女将は恭しく腰を折った。小さいながらも耳に通りやすい声をしている。
「雨降られる前でよかったです」
涼しげな笑顔を浮かべて三ツ葉が言った。
「あら、降るんですか。お客様は桐の間ですから……ああ、大丈夫ですね。ご案内いたします。さあ、おあがりください」
なにが大丈夫なんだろう。靴からスリッパに履き替えて階段を上がる。女将は一段一段、踏みしめるように歩いている。
「申し訳ございませんねえ、足が悪くて、ゆっくりでないと……。こちらがお手洗いです。その隣が浴室です」
金港館内部は不思議な形をしていた。二階の廊下の先は二手に分かれていて、右奥へはいくつか部屋があるみたいだった。女将は左手側の短い階段をのぼる。
四段ほどのぼると洗面所のある踊り場があり、階段は左に折れてまた数段続いている。三階は赤絨毯の敷かれた細い廊下で、両脇に部屋がいくつも続いている。
「桐の間でございます」
きし、きし、と八歩歩いたところがわたしたちの部屋だった。六畳半一間、イグサの香りのする和室だ。
「お夕飯はいつ頃になさいますか?」
「もうできてるんですか?」
「それが、今は弁当でして」
「お弁当」
「ええ、以前は私が作ってたんですが、あれからもう……」
女将は申し訳なさそうに眉を落とした。
あれ、ずいぶん聞き慣れてしまった。
「今すぐでも大丈夫ですか?」
「ええ、魔法瓶と一緒にお持ちします。それでは、ごゆっくりなさってください」
お辞儀をして、ふすまが閉まる。
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