河北新報を読む三ツ葉。ワイングラスの梅酒。皿の上のマンボウ。

 脱衣所を出ると、三ツ葉は広間のソファで新聞を読んでいた。


「お待たせ」

「どんだけ長風呂なのさ」


 新聞をたたむ三ツ葉は呆れていた。

 あのあと、大浴場とサウナ、露天風呂を三巡した。三ツ葉は一巡目の大浴場で上がってしまった。


「髪の手入れに時間がかかるの」


 そう言い訳すれば三ツ葉も言葉に詰まる。髪とか肌とかのケアを言ってきたのは向こうだし。


「にしたって、さすがに一時間待ちは長すぎ。夕食の時間過ぎちゃったから、さっきフロントにお詫びしに行ったって件、報告しとく」

「え、時間指定あったの?」

「フロントの話聞いてなかったの?」


 そのときの記憶はない。


「ご、ごめん」

「謝罪はホテルの人にしてください。私は読みたかった河北新報かほくしんぽう読めたから」


 ソファから立ち上がった三ツ葉はエレベーターへ向かった。その背中を追いながら安堵の息をついた。平常運転に戻ってる。ひとりで風呂にいる間、変なことを言ってしまったのではないか、内心怯えていた。

 冷静になって考えると、成人した女同士で流しっこなんてマンガでしか見たことがない。周囲の人から奇妙な目で見られていたかもしれない。考えれば考えるほど顔が熱くなっていった。


 浴衣姿の三ツ葉を見て、わたしの行動は最悪でなかったのはわかったし、こうして不安な気持ちを抱いている自分も平常運転に戻っているのだろう。



 五階の和食処に移動する。

 時間が遅くなってしまったからか、客は少なく、食べ終えた食膳の並ぶ席が目立つ。


「こちらのお席にどうぞ」


 深々とお辞儀されて案内された席は和食処の一番奥だった。四つ掛けのテーブル席で、一面においしそうな海鮮の品々が並んでいる。


「こちらがアワビの踊り焼きでございます。下の火が消えましたら食べごろでございます。ふたを開けて、お好みでレモンとバターをかけてお召し上がりくださいませ」


 銀の皿とふたのなかに、あの高級食材とされるアワビが眠っているらしい。ゆらゆら揺れる青色の炎に心ときめかしながら、火が通るのを待つ。


 三ツ葉はウェイターに一言添えて、撮影を開始した。近くから遠くから、ローアングルハイアングル、連写しまくっている。ちょっと鼻息が荒い。

 わたしもこっそり撮影をする。食べる前から客を楽しませるように食材が添えられ、皿が並んでいる。一種の彫刻作品みたいだった。お造りなんてその最たるものだと思う。


「ワイングラスに入ってるの、なんだろう?」

「食前酒の梅酒みたいだよ」


 食前酒。聞き慣れない単語に唸ってしまう。食前酒も初めてだし、ワイングラスに入った梅酒というのも初めてだった。

 このホテル、庶民が立ち入ってはいけないんじゃないか。そんなバカ丸出しの疑問が生じる。


「酢の物、これマンボウだって」

「マンボウって、あの泳いでる?」

「泳いでんじゃない?」

「食べられんの?」

「タコと和えられている。タコは食べることができる。従ってマンボウも食用可」

「そんな三段論法求めてないよ」

「いいから乾杯しよ」


 ワイングラスを手に取って、見つめ合った。


「これからの友情に」


 三ツ葉に返す。


「乾杯」


 グラスが触れ合った。


 マンボウを早速食べてみた。鶏肉のような、まぐろのような、ゼラチンのような、正直言ってどう形容すればいいのかわからなかった。こりっとしたタコにマンボウの脂が絡まり、酢味噌のしょっぱさと相まっておいしい。


 他にもホタテの刺身、銀鮭のエスカベッシュ(マリネとなにが違うんだろう)、ハマグリのお吸物、様々な料理があるけど、どれもおいしい。貧弱な語彙で、同学科生に笑われてしまうかもしれない。

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