20mの高台にいる人が流される。山から来た。better。

「あすこの道を右に曲がると、戸倉小学校があったんです。今は高台に移設されましたが、もともとは海から三百メートルの平地に建てられとりました」

「何階建てだったんですか?」


「三階建てです。昭和五三年……一九七八年に建てられた鉄筋コンクリートの学校です。体育館は震災の十日前に完成したばかりで、卒業式もそこで行われる予定だったんです。津波で屋上まで全部水没しました。


 小学校の先に戸倉中学校も……。そこは二十メートルの高台に建てられておりますが、そこも一階部分は水に浸かりました。あすこは避難所になっとりまして、生徒や住民二百名がおったようです。しかしながら、校庭も五メートルの津波が押し寄せ、流されてしまった方もいらっしゃったと聞きます」


 二十メートルの高台にいる人が流される。想像力に乏しい頭が、二階から目薬とか、対岸の火事とかの類義語だと勝手に解釈する。

 しかし男性の見る先に高台(というより丘に見えた)があり、頂上の平たい部分に学校らしき建物があるのも確認できる。


「小学校のお子さんたちはどうだったんですか?」

「戸倉小ですか? 当時学校にいた児童は全員助かったようです」

「屋上まで水没したのに、ですか?」

「高台に避難したんです。国道を挟んだ先に、丘見えますか?」

「はい、陸側ですよね」

「そこに五十鈴いすず神社って小せえ社だげの神社があるんだが、そこに避難したんです」


 男性はちょっとずつなまりの入った言葉遣いに変わっていった。


「神社の手前の、ちいと窪んだとこにある住宅、すこの一階部分まで波来てな。戸倉中同様、ここも避難場所だったみてえで住民の何人かもそこにやってきたようです。学校は現場の判断でちいとでも高ぇところへ移動したんですね。

 ただ、教員がひとり、家族の身を案じて高台を降りてすまった。学校は強く止められなかった。その先生は途中で波につかまり、残念ながら亡くなりました。


 すっから波が来たとき、住宅のある避難所に留まった人もいたようです。境内からだと海が見えんので、避難所で波の様子を監視すてたんだろうな。それが、波は住宅の後ろからやってきたんです。当時は『山から来た』と言ったそうです。逃げ遅れてしまい、数名は流されてしまいました」


「山から来た、それはつまり、海から直接来た波より、丘の裏手にまわった波のほうが勢いがあったってことでしょうか」

「そうとも考えられます。波がどこから来てくれるかなんて、人間にはわかりっこねえ。境内の周囲はすべて波に浸かり、小島のようになりますた。……」


 まるでファンタジー小説の読み聞かせみたいだった。あるいはノアの物語を聞いているような。たしかノアの船は山にひっかかったんだっけ。

 ファンタジーに置換して聞き入れられたらどれだけ気が楽になったろう。津波を知らない人が聞いたら、きっとシャレの利いた話を持って来いと笑い飛ばしておしまいだ。

 明治の津波のあととか、あるいはそれ以前の時代、この地に腰を落ち着かせた流民のなかに、わたしと同じ反応を見せた人がいるような気がした。



 話は続く。BRTは反対から来るバスの待ち合わせをしているらしく、しばらく駅に停車していた。

 淡々とした説明にめまいを覚えながらも、言葉の一つひとつが頭のなかを反響する。

 九一人の児童が助かったのは奇跡ではなかった。日々の積み重ねが実った結果だった。

 あらゆる状況を想定した防災訓練の徹底。綿密に検討を重ねた避難マニュアル。日頃から行ってきた地域住民との交流。リーダーを中心にした情報収集と迅速かつ〈ベター〉な判断(ベストを尽くして決断が鈍るよりもいいのだ)……。


 これを奇跡と呼びあらわして褒め称えてしまったら、わたしも三ツ葉も男性も、先生も児童も亡くなってしまった方も、誰ひとりとして救いがない。

 BRTが発車する。専用レーンのトンネルに突入した。窓の数センチ先に壁がある。すれすれを走っている。


「戸倉地区で亡くなられた方のほとんどが避難した人でした。当初警報は六メートルってことだったんで、丘の中腹とか、家の二階で安心してしまった人もおったんですね。ま、こっから見ればわかりますが、二十メートルの高台というのは高いんです。二階建一軒家の土台から屋根の先っぽまで、八メートルと言います。津波は二軒分越してしまうんです。安心しちゃゆかんのです。遠く遠く、ではないです。高く高く、逃げ続かんとならんのです」


 男性はこう締めくくった。

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