依利江都会への憧れを知る。赤い鉄骨と10トンダンプ。殊勝なる宣言。

 トンネルを抜ける。


 車窓からは、三陸の海が一面に広がっていた。西陽が照る青い色をした水面に、黒い浮きが規則だって浮いている。その向こうに深い緑色をした小島が浮いている。他にも小さな島が点在している。


「あの一番目立つ小島が〈あおしま〉です。俺ね、汽車から見るこの風景が一番好きで。気仙沼線が開通した春、小学二年の息子と乗ったわけですよ。そしたら海をずうっと見ておりました。俺も、あんときは童心に還ったなあ。このレールを辿れば仙台に行ける、東京に行ける……。そう思うと、我が子が幸せもんに思えた」


 男性は遠くをじっと見つめて、そんなことを言った。東京を見つめているのか、少年時代を見つめているのか、それはわからない。

 都会への憧れというのは、こういうのを言うんだと思った。

 わたしにとっての電車(どうして彼が電車のことを〈汽車〉と呼ぶのかまでは不明だ)は、単なる移動手段に過ぎなくて、一時間に何本もやって来て、地元は東京の一部分みたいな感覚があった。


 トンネルを抜けると世界が一変する、みたいな感動もない。そもそも東海道線も小田急線もトンネルが少ない。密集した住宅街が延々続いて、ちょっとずつ高層ビルが生えだし、いつの間にか東京に入る。

 要するに電車にありがたみもあこがれもない。だから男性の目になにが映っているのか、気になったのだった。



 五分ほどの専用レーンの区間が終わり、BRTは再び国道を走る。間もなく視界が開け、大きく開けた入り江が姿を見せる。


 この光景を見るまで、わたしのなかの南三陸町は、錆色の瓦礫と、途方に暮れる人々の歩く姿で止まっていた。男性の話を聞いてますますその光景を浮かべたけれど、今目前にあるのは、乾いた色をした土の山だった。

 BRTはこの土山の間を通り抜ける。10トンダンプが窓のすれすれを入れ違う。瓦礫の姿もないし、建物の姿はもちろん、人の姿もない。


「志津川地区の塩入という場所です。この周辺が旧市街で、もともと町役場や民家が密集していたんですが、流されてしまいました。残ったのは防災庁舎だけです。ご存知かもしれませんが……」


 信号のある丁字路に差し掛かると、右手に赤い鉄骨が剥き出しになった建築物が目に見えた。

 その姿は、以前見たことのあるものだった。三ツ葉には知らないって言っちゃったけど、ちゃんと記憶に残っている。というより、わたしはこれが町役場なんだと思っていた。


 正式名称、南三陸町防災対策庁舎。三つある本庁のひとつらしい。なのでわたしの勘違いも大間違いってわけじゃない。木造二階の行政第一庁舎、鉄骨二階の行政第二庁舎、そして鉄骨三階の防災対策庁舎。三つの庁舎は隣接していたみたいだけど、この鉄骨を除き、全部流されてしまった。

 BRTは左折する。迷路みたいに曲がりくねった谷あいを走った。


「献花台がありますので、よかったら案内しましょう」

「ありがとうございます」


 三ツ葉が礼を述べる。防災庁舎は有名らしいので、そういった施設があるのだろう。


「ところで……志津川へは観光ですか? もう遅いですが」

「観光もそうですが、宿泊です。今日はそのままホテル観洋へ」

「ホテル観洋ですか。いいですねえ。そうすると送迎バスの時間を確認しないと」

「歩いていきます」

「え、歩いて!」


 男性が大声を上げたので、体がびくっと動いてしまった。


「え、歩いて……。その荷を持って?」

「はい。歩きながら街並みを見てみようかなって」

「ハァ……殊勝だなあ」


 その様子を見て、本日の宿泊地がどこにあるんだろう、という当然の疑問が湧いてくる。たしか、小さな岬に建つとか言っていた。


 地理に詳しくないけど、岬がどんな場所なのか、知ってる。海の、突き出たところだ。一方BRTは今入り江にいて、どんどん陸側へ走っていく。わたしの見当が違っていないのであれば、どんどん遠のいているのではないだろうか。


「ねえ三ツ葉、あの、ホテル観洋ってどこにあるの?」

「え、さっき通りすぎたよ」


 通りすぎた。


「え、いつ」

「トンネルを抜けたあたり。ほら、島がきれいだったでしょ。そこ」

「いや、そこって、何分前の話を」


 距離的に陸前戸倉駅のほうが近かったような。田舎のひと駅って山手線のひと駅とワケが違うんじゃ。

 男性は憐れんだ目をして「殊勝だあ」と呟いた。いや、ちょっとよくわからないです。



 まもなく志津川駅に着いた。周囲は盛り土がされておらず、開放的だった。

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