第25話 訪問者



 ざぁざぁと音を立てて斜めに降る雨がレンタルラボの窓を打ったその日、コーヒーショップライフテクノロジーズは重苦しい雰囲気に包まれていた。


 いつかの教員公募の時と同じ、薄っぺらい封筒に入ってきたA4の紙切れ一枚。それもいつかと同じように、定型文で書かれた文章の中段に太字で強調された『不採択』の三文字。


 俺達の提案は首都圏生命科学グラントの選考に落ちた――


 こういう時はせめて落ちた理由でも書いていてくれれば、少しは言い訳でも考えられるのだろうが、そこには何も書かれていない。正直、期待していただけに落胆は大きい。封を開けた俺も、いつも飄々としている崎村でさえも口を開かない。飯島は眼鏡を外し、無言でハンカチで拭いている。斎木は溜まっていた伝票の整理をしているが、俺達のいつもと違う様子を察してか、声をかけないようにしている。


 しばらく沈黙が続き、キーボードを叩く音と雨の音だけが響く。



「おーい、お客さんだよー……って、うわっ……何か雰囲気悪い?」

 そう言いながら所用で郵便局に行っていた愛理が扉を開けて入ってくる。俺は「ああ、何でもない。ありがとう」と言いつつも、いつもより力のない声だったのかもしれない。すぐに斎木のデスクに向かい、ひそひそと何があったのかを聞き出している。

 俺は(いつまでも引きずってても仕様がないな)と、天井に向けてふーと息を吐き出してから太ももを掌で軽く叩いて立ち上がり、客がいるというレンタルラボの玄関先に向かう。

 そこには上下ビジネススーツ姿の背が低い白髪の年配の男が一人立っている。

「えっと、どのようなご用件でしょうか?」

 挨拶を済ませ要件を聞くと、男は「社長さんはいるかな?」と威厳のある低い声で言う。俺は「ああ、おりますよ。ちょっとお待ちください」と奥の崎村を呼ぶ。


「やぁ、私のことを覚えているかな?」

 崎村はぼさぼさの頭に手をやり、えっと……と考え込む素振りをする。それに合わせていつものようにフケが舞う。人前で頭を掻くなと言っているのだが、一向にやめる気配がない。

 男は崎村の様子を見て破顔しながら、答えを待っている。自分のデスクからのぞき込んでいた飯島の方が先に気づいたらしく、「あ!」と声を上げる。

「あの時の……首都圏生命科学グラントの審査会で質問してきた人!!」

 飯島の声を聞いた崎村の顔が険しくなる。おそらくさっきの通知文のこともあるのだろう、俺も警戒するように男の方を見る。

「……何の御用でしょうか?」

 崎村が尋ねる。

「はは、そんなに構えなくてもいい。首都圏生命科学財団のときはあまり話も出来なかったからね。少し話をしたいだけだよ」

 男はふっと小さく笑うと上着の内ポケットから取り出した名刺を崎村に渡す。その肩書の部分を見た崎村が驚く。

「D社研究開発事業部!? それに部長って、辻井と同じ!?」

 混乱している崎村に向けて、男は穏やかに話す。

「元、だがね。今朝、定年でただのオヤジに戻ったんだよ。 ……さて、ちょうどいい時間だし、中に居る皆さんも一緒にお昼でもどうかな? この辺に座敷のある寿司屋があるんだが――」

「あ、三郎寿司ご存じなんですね」

 聞き耳を立てていた愛理が勝手に応える。それを聞いた男は優しい表情になる。


「ああ、もちろんだよ。此処は……このレンタルラボが建つ前の此処は、私たちD社の社員が二十年通い詰めた職場があった……私の人生の大半の舞台だったんだからね」



二十五、  訪問者



 三郎寿司に入ると、いつものように店の名前の書いた帽子に眼鏡をかけた店主が「いらっしゃい!」と威勢よく声をかけてくる。雨だったせいか、昼時だというのに奥の座敷席が空いていて、俺達五人と男で席に着く。愛理が俺達の代わりに手早く注文を女将に伝える。

「……それじゃぁ改めて、高井たかいだ。よろしく」

 崎村がそれに応えて俺達を一人ずつ簡単に紹介する。その間に女将がおしぼりを人数分運んでくる。

「この店も変わらないな。この店が出来た時はそれはD社の連中でよく来たものだ」

「あら、お客さんD社の人なんですか?」

 女将がそれぞれにおしぼりを配りながら会話に入ってくる。

「ええ。本社と工場が移転するまではここに。昔来ていた時は白髪の大将が怖くてね」

「ああ、先代の。もうだいぶ前に死んじゃったんで、今はうちの人が継いでます」

 そう言って女将が声をかけると、カウンターの奥で店主が頭を下げる。

「……そうですか。私が定年になるくらいなのだし、あれから時間は経っているんですねぇ」

 高井がしみじみと言うと、店主に呼ばれた女将がカウンターの方に戻る。何を話していいのかわからずにいた俺達だったが、女将が離れたのをきっかけに崎村がようやく口を開く。

「あの……今日は何を?」

「ああ、勿体付もったいつけたようになってしまって、すまなかったね。いや、歳をとると、どうにも話が長くなってしまっていかんな。今日君たちを訪ねたのは、もちろん首都圏生命科学グラントの話と、それと一つ、”お願い”があってね」

「お願い?」

 崎村が聞き返す。

「ふむ。さっき言ったばかりで申し訳ないが、話を長く話すのは年寄りの特権ということで、少し昔話に付き合ってもらうとするかな」

 高井はテーブルに両手を付き、目を細めて息を大きく吸う。




「今から何十年も前の、君たちによく似た――本当によく似た二人の若者の話だ」




(続く)

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