第24話 進捗報告


 公設試・T産業技術センター バイオ計測機器室。


「……やっぱりダメだな。蛍光使った細胞内代謝の測定は、現行のままだと解像度が低すぎる。コンフォーカルを使うとか、ある程度の細胞の数を用意して”マス”として測るにはいいけど、俺達の目指してる一細胞シングルセルでは多分、無理」

 共焦点レーザー顕微鏡コンフォーカルのモニターを見ながら飯島が崎村にため息と一緒に話しかける。

「カナダのS社が作ってる先行機器も、細胞数は少ないとは言え、そこはマスだからなぁ。でもマスで測ってしまったら、本来の目的とは合わないし、やっぱりあの段階で蛍光系を外したのは良かったんだろうな」

 頭の後ろで両手を組んで、共焦点レーザー顕微鏡用の椅子の背もたれに体重をかけるようにのびをしながら、飯島が続ける。

「怪我の功名、みたいな感じだな。結果としては、その部分を後回しにしたおかげで、その他の大きさや形態、局所環境下での”ふるまい”の計測についてはだいぶ目途もついたし」

 崎村が襟足の部分を掻きながら応える。共焦点レーザー顕微鏡用のスペースは暗室にしてあるため、ハッキリとは見えないがおそらくまたフケが積もっているのだろう。飯島は「頭掻きながらこっち寄るな」と手で追い払っている。


 D社との提携が失敗し、竹ノ内研究室との共同研究契約を解約した頃から、首都圏生命科学グラントの申請書類を作る期間を除いて、崎村と飯島はT産業技術センターに入り浸って実験を行っていた。自分たちの会社にろくな実験機器がないせいもあるのだが、驚くことにバイオ系の機器に限ってしまえば、ほとんどの機械が全くと言っていいほど使われておらず、それ故に予約ががら空きであるため、毎日、直行直帰でT産業技術センターでの実験を続けるようになっていた。


「そうだな、あとはこれを製品に落とし込むための試作品作りに、どっかのタイミングで展示会とかに出してかないとな」

 飯島が機器の電源を落とし、使用簿に使った時間を記録する。

「ちょうどいい時間だし、中務なかつかささん誘って昼飯でも行こう。ひょっとしたら筐体組んでくれるところを教えてくれるかもしれないしな」

 崎村はそう言うと飯島を促して、バイオ計測機器室を後にした。




二十四、  進捗報告



 二か月前――首都圏生命科学グラント締め切りから二日後、T大学産学連携プラザ二階レンタルスペース内、竹ノ内研究室サテライトラボ。


「……S社のキットと機械使ってもシングルだと難しいか……どうする、佐藤?」

 諸住もろずみは一緒にコーヒーショップライフテクノロジーズを辞めてT大学竹ノ内研究室に戻った同僚である佐藤にそう切り出す。

「ああ、それなら大丈夫。その蛍光検出系のところはから、諸住君は別のパート……そうだな、マイクロデバイスの改良を進めてよ」

 佐藤はそれを笑いながら返す。

「うん? ああ、元々俺はそっちが専門に近いし、それはそれでいいけど……大丈夫か? 結構厄介な実験だと思うけど」

 諸住の心配にも「大丈夫、大丈夫」と佐藤は表情を崩さない。

「まぁ、今週末の竹ノ内先生への進捗報告にはS社機器でのデータ出して、アドバイスもらうか。じゃぁ、俺は先に帰るぞ」

 佐藤は「お疲れ」と自分のパソコンのモニターを見ながら、振り返らずに手を振る。もう一度、「じゃあな」と声をかけ、サテライトラボを出る。


 サテライトラボを出て、諸住が節電のために灯りが飛び飛びに落としてある薄暗い廊下を歩いていると、正面から見覚えのある女性が歩いてくるのに気づく。

「あ、中村先生」

 諸住に気づくと、中村もにこっと笑顔を作って返事をする。

「あら、諸住君。今、帰り? お疲れ様。佐藤君はまだラボかしら?」

 諸住は「ええ」と返すと、何かの違和感を覚える。中村は「ありがとう」と軽くお礼を言うと、諸住が歩いてきた方向に向かって歩いていく。

(……あ、そうか。中村って動物室入るから香水しないんじゃなかったけ?)

 そうは思ったものの、諸住はそれ以上は特に気にも留めず、帰路を急いだ。




二十四の二、  三日後――T大学大学院工学研究科バイオエンジニアリング専攻・竹ノ内研究室会議室。


 研究室の他の大学院生やポスドクの進捗報告と同じように、竹ノ内研究室の会議室で、竹ノ内教授や中村助教をはじめとした研究室のメンバーを相手に、諸住がこれまでの研究の進捗状況の発表を終える。

「……あの、竹ノ内先生。蛍光を使った検出系のところですが、S社の機器やキットを使ってもシングルセルでの結果は芳しくなかったのですが、どうすればいいでしょうか?」

 諸住が最後にそう竹ノ内におずおずと尋ねる。竹ノ内はいつも通り腕を組んだまま返す。

「ああ。その点については、佐藤君も実験していると聞いているから、彼の進捗報告プログレス聞いてからでもいいんじゃないかな?」

 諸住は「はい。そうですね」と応えると、(佐藤も同じ結果だろうし、あとで二人まとめて聞いてみるか)と思いながら自分の席に戻る。


「それじゃぁ、次はサテライトラボの佐藤君。お願いします」

 司会の中村が佐藤に演台に来るように促す。

 佐藤は短い挨拶と背景の説明イントロダクションを話した後で、ここ数週間の実験データをスライドで順々に説明していく。諸住も事前に聞いていた結果だったために、ぼんやりとスライドを眺めている。時折、大学院生から質問の手が上がり、それに佐藤が答えている。


 そして、そのスライドを表示した瞬間――諸住の呼吸が一瞬止まる。目を見開いて、そのスライドに載っている二種類の細胞の蛍光顕微鏡の写真を確認する。

「う、嘘だ……こんなハッキリと差が出るなんて……」

 思わず口をついて出る。周りの大学院生やポスドクも、それを聞いてざわざわとしている。同じくそれを聞いた竹ノ内が睨むようにして諸住の方に向き直る。

「諸住君、『嘘だ』とは聞き捨てならないな。佐藤君が引き継いでデータを出したからと言って、僻みは良くない」

「い、いえ、そういうわけでは……」

 演台の佐藤も険しい顔で諸住を見ていて、諸住は「すいませんでした」と消え入るような声で言う。ただ一人、演台の一番近くの席に座っていた中村だけが諸住の方を見ずに、不敵な笑みを浮かべている。


「まぁ、焦る気持ちはわからなくもないがね。君がこちらに戻ってきてからずっとつまずいていた実験が、担当が変わった途端に動き出すのだから。諸住君も他人のことは置いといて、もっと頑張って実験しないといけないんじゃないかな。それとも、あのコーヒーなんとかっていう潰れそうなベンチャーに帰るつもりかな?」


 竹ノ内が馬鹿にしたような口調でそう言うと、薄暗い会議室のなかで、大学院生やポスドクたちの笑い声が上がる。


「……さて、佐藤君の結果を見る限り、S社の測定系も十分ワークしそうだし、クロスライセンスを進めて、D社の方で試作品を作ってもらうとしよう。佐藤君、中村先生と一緒にこの結果を論文にする準備を進めて下さい。D社への報告は私の方でやるから」

 竹ノ内が佐藤にそう言うと、「ありがとうございます!」と自分が筆頭著者として論文を書けることに佐藤が喜ぶ。

「”お披露目”は、年末にある『イノベーションGALAガーラ』にしよう。あと、半年とちょっとか。見本用の実機作るには十分だろう」


 竹ノ内が言っている『イノベーションGALA』は、文部科学省と経済産業省が合同で主催する、様々な分野の最先端技術などを使ったテクノロジー系ベンチャービジネスの国内最大の見本市で、多くの大学や大学発ベンチャー、それに大企業やそのスピンアウト型ベンチャー、技術を売りとしている中小企業などがこぞってブースを出展し、会期中に数万人が訪れ、新たなビジネスに発展していく展示会である。


「ブースはD社に頼んで、自動車メーカーとか精密機器メーカーがやってるような見栄えのいいものにしたいですね」

 ご機嫌の竹ノ内に中村がそう言うと、「おお、そうだね」と喜んでいる。諸住はそれを横目に、俯きながらぶつぶつと何かを小声でつぶやきながら会議室を後にする。


「おかしい……S社の機器では……メーカーの技術者も同じことを言ってるのに……」




二十四の二、  その日の深夜――T大学産学連携プラザ二階レンタルスペース内、竹ノ内研究室サテライトラボ。


 諸住はサテライトラボの佐藤のパソコンを操作していた。もちろん、あの”嘘のように綺麗な”細胞の蛍光写真の元データを確認するためであった。真っ暗なサテライトラボのなかで、パソコンモニターの灯りに照らされて、諸住の青白い髭面がぼぅっと浮かび上がっている。

「ない……な。俺との共有フォルダにも、『実験データ』ってフォルダの中にも、それらしいファイルはない」

 カチカチとマウスをクリックする音が誰もいない部屋に響いていく。

「S社機器専用の拡張子がついたファイル全部みてもあの写真と同じものは……」

 ありそうな場所すべてを探しても、目的のデータは見当たらない。


 ――と、その瞬間、デスクの片隅に積み上げられていた書類の束からはみ出した紙に目がいく。何かに導かれるように、諸住はそれを積み上げられた書類が崩れないように慎重に抜き取る。


「なッ!!? こ、これって!!」

 その書類に載っていた蛍光写真を見て、諸住は心臓を握りつぶされたように、息が詰まる。間違いない、佐藤が昼に発表した”S社の機器を使って撮った写真”とまったく同じものが載っている。ただし、そこに書かれている説明文は――



「……他人のデスクを深夜に勝手に漁る――なんてしてるわねぇ」


 諸住は突然背後から聞こえた女の声に焦って振り返る。中村が一人で入口のドアにもたれかかりながらこちらを見ている。

「な……中村先生……」

 中村はにやぁと気色の悪い笑顔を浮かべる。

「褒められたことじゃないよね、他人の情報を盗み見るのって」

 中村のわざとゆっくりと話す一言一言が、まるで諸住の首にまとわりついて、じわじわと締め上げてくるように絡みつく。

「し、しかしこれは……これは……いや、さっきのプログレスの写真は、S社の機器で測定したものじゃない、別の蛍光色素で染めた写真じゃないですか!」

 中村の呪詛のような言葉に抗うために、事実を突きつけて大きな声で威嚇する。


 すると、中村は不敵な笑みを浮かべ、おもむろに着ているブラウスの胸の開いている部分を両手で強引に左右に引き、いくつかのボタンがはじけ飛ぶ。露わになった紫色の下着を気にする様も見せずに、今度は綺麗に整えられている髪をわざと手でぐちゃぐちゃにする。

「な、何を!?」

 諸住の言葉を無視したまま、続けてかけていた眼鏡を床に投げ、それを右足で踏みつける。最後にタイトスカートの裾を両手で引き裂いたところで、笑い声が漏れてくる。


「ふふ、あはははは。ねぇ、諸住君。この時間でも守衛さんが居る場所ってどこか知ってる?」


「はぁ? あんた何を言ってるんだ!?」

 諸住は混乱したまま切り返す。

「正解はね、この産学連携プラザのすぐ横。私がこの格好のまま、『男に襲われました』って駆け込めばどうなるかしら?」

 諸住が「何を――」と言い返す間も与えずに、中村が続ける。

「そうね。あなたは『やってない』というでしょうけど、この産学連携プラザに、今、居るのは私とあなただけ。守衛さんは髭面のキモいあなたと、ボロボロの格好のか弱い私と、どちらを信じるかしら?」

 ぐっと諸住が言葉に詰まるのを、中村は見逃さずににたぁと笑う。


「まぁどっちにしても、他人のデスクを盗み見てたのは事実なんだし、あなたはここには残れないわね。犯罪者として出ていくか、それともひっそりと出ていくか――好きな方を選ぶといいわ」

 諸住は力なく肩を落とすと、手に持っていた中村の名前の書かれていた資料を床に落とす。カツカツとヒールを鳴らして諸住のもとに近寄ってきた中村が、それを拾い上げる。



「さようなら、諸住君。あなたは。だから、この業界からは、永遠にさようなら――」




(続く)

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