第22話 去るもの、見送るもの


二十二の一、  T大学産学連携プラザ 二階会議室。


「……以上が、われわれコーヒーショップライフテクノロジーズの開発する、非侵襲で連続的に細胞活性を測定する新しい計測機器の開発計画です」

 スーツ姿に髪を後ろに流して、いつもよりもぴっしりとした崎村がそう締めくくる。プレゼンが終わると、薄暗かったT大学産学連携プラザの二階会議室の明かりが点き、崎村、飯島の眼前に11人の審査員が現れる。男が8人で、女が3人。いずれも年配で白髪のものが大半である。崎村が社名を言うたびに、そのうち何人かが失笑する。

「何か質問ありますでしょうか?」

 首都圏生命科学グラントの二次審査は、研究開発計画のプレゼンと質疑応答を合わせて1社あたり40分”まで”となっていて、質疑応答の時間を定めていない。

 おそらく審査員が興味を持たなかったものはプレゼンだけで終わるようにすることが可能としているためで、事実、コーヒーショップライフテクノロジーズの前の会社のプレゼンは40分よりも早く終わったようだった。二次審査の案内にもプレゼン開始の20分前には会場前に居るようにと注意書きがあったのもそのためであろう。


 ――つまり、ここで手が挙がらなければ俺達のチャンスはない。


 そう、崎村も固唾を飲んで審査員の方を見ている。

 審査員は手元の資料を見たりしているが、手は挙がらない。カチカチと普段であれば気にならない程度の音しか出していないはずの壁掛けの時計の針の音が、静まり返った会場で響く。


 まだ、手は挙がらない。


 進行役の財団職員が腕時計を見ながら、進行表らしきものを確認する。崎村と飯島は、祈るように財団職員の様子と審査員席を交互に見る。審査員たちに動きはない。


 もう一度腕時計と進行表を確認して、財団職員がマイクを口に近づける。


 ここまでか――そう思った瞬間、財団職員が何かを言おうとしたのを遮って、背が低く白髪の、おそらく60代くらいの審査員が手を挙げる。崎村はほっとしたのと、相手がどんな質問をしてくるのかという不安が同時にやってきて、グッと身構える。


「……少しいいですか? 君たちの申請書を見ると、まだ出来たばかりの会社で、さらには大学発ベンチャーでもなく、資本もそれほど多くない。今、プレゼンしていただいた実験や検討事項を確実に実行するとなると、相当な機器や金――特に人件費や物品費などの運転資金が要ると思いますが、仮にこの研究費を獲得したとしても2000万ほどですし、どのようにこの計画を進めるおつもりですか?」


 口調は穏やかなものの、表情は厳しく、またその内容はコーヒーショップライフテクノロジーズの研究体制の脆弱さを指摘している。この審査員は崎村が発表した実験内容とこれまでのデータを頭の中で突き合わせて、それを踏まえた上で提案内容の実験が難易度の高いものになるだろうということを正確に把握している。このような『実現可能性』に踏み込んだものは、前のT自治体グラントの二次審査ではなかった。

 飯島は不安そうに崎村の方を見る。しかし、意外と崎村は平気そうな顔でわずかに口角さえ上げている。


「われわれは創業して間もない小さなベンチャーで、”此処にくるような”大学や企業発のスピンアウト型のベンチャーでもありませんし、ご指摘の点は確かに気になるところだろうと思います。

 しかし、実験機器や製造機器は先ほど実験データでも示した通り、T産業技術センターをはじめとした全国の公設試を活用することで、設備投資を抑えて研究を実施することが可能です。

 また運転資金についての不安要素ということでしたら、われわれは研究開発の他に、ライフサイエンス分野――特に細胞培養関連事業への異業種進出を検討している企業に対し、コンサルティングサービスの提供を開始しています。この事業は、今日は来ていない別のチームが行っていて、彼らもまた今日が提案先へのプレゼンの日です」


「コンサルで十分な資金を得る、というのはいささか楽観的すぎないですか?」

 崎村の回答に、60代の審査員が少しも表情を崩さず聞き返す。崎村もまったく動じた様子はない。さっきの同業者たちへの憤慨以降、クソ度胸というのか崎村はいつもよりもはきはきと自分の意見を発している。その姿はいつかの、レンタルラボでの演説を思わせる。


「そう言われてしまえば、それ以上の回答は出来ないのではないでしょうか。ベンチャー企業というか、スタートアップのすべての企業は、その深刻さは大小さまざまにしても、いわば”明日知れぬ身”です。そのなかで、『受注確実な案件を持っているもののみがこのグラントに提案してよい』なんて公募要領にも書いてありませんでしたからね」


 崎村がそう皮肉を言うと、会場から少し笑い声が漏れる。


「私たちは前の、そしてこの後にプレゼンする企業と比べると資金の面で不安要素があるのは事実です。しかし、その分この研究提案については予備実験のデータ、目標達成までのロードマップとマイルストーン、開発が上手くいかなかったときのリスクヘッジの方法を短い時間でしたがご説明したと思っています。

 繰り返しますが、われわれにはお金がありません。ですが、もちろんこのグラントに不採択だったとしても、私たちは研究を辞めるつもりはありません。そのために、今まさに資金を得るために営業してくれている仲間たちもいます。

 それを踏まえた上で、このグラントの2000万を交付いただけると、研究開発が格段に早く進む、”触媒のようなもの”だと思っています。ご検討、よろしくお願いします」


 財団の職員が「そろそろ切り上げて下さい」と小声で言うのを受けて、最後にもう一度、「よろしくお願いします」と頭を下げ、崎村と飯島は会場を後にするのだった。



二十二の二、  同時刻、F市内。



「御社の特殊加工技術を使った製品を、ライフサイエンス分野に展開するお手伝いとして、このようなコンサルティングを提供したいと思っています」


 俺と愛理あいりは、T大学産学連携課から転職してきた斎木さいきが展示会で知り合ったという、レンタルラボから電車で40分程度のF市内の金属やプラスチックの加工を事業としている企業・F工業に営業に来ていた。市や県といった自治体からの表彰が飾られた応接室で対応してくれているのは開発部の部長と社長の二人で、どちらも50代の”おじさん”というのがぴったりな風貌をしている。

「うーん……わからん。アンタたちに任せれば、うちの会社の製品が何千万、何億売れるようになるんだ?」

 一代で会社を作り上げた社長らしく、言葉使いは悪いが俺達の話をまったく聞かないというわけではなく、どうやって考えればいいのかを探っているようにも見える。それを愛理が上手に解きほぐしていく。

「すぐには結果は出ません。まずは御社の技術でライフサイエンス分野に向けてどのような製品を作り出すことが可能か――というところを、開発部の皆さまと一緒に検討する機会を与えていただければと考えています」

 作業着の上着を来た社長が腕組みをしたまま、値踏みをするように俺と愛理を見る。それを察したのか愛理はにこっと笑う。

「もちろん、検討の段階で可能性がないと判断されたらそこで打ち切りでも構いません。いかがでしょうか?」

 社長は薄くなっている頭を掻きながら隣に座っている開発部長に「どうだ?」と声をかける。

「いいんじゃないですか? 月額もそれほど高いってわけではないし、新事業開発はやっていかないといけないし。それに、さっきそちらの方が言っていたように、ダメなら検討段階で判断してもいいと思いますよ」

 開発部長の言葉に俺も愛理もほっとする。

「おう、そうか。じゃぁ、さっきの提案通りに契約書作って持ってきてくれ。うちの詳しい説明とか見学はその時でいいだろ? マサキ、あと頼んだぞ。今日はこの後、商工会の仕事だからな」

 それだけ言うと、そのまま社長は退席し、残された開発部長が「社長がああ言ってるんで、契約書お願いします。具体的な検討とかそういうのは、さっきの名刺のメールでやり取りしましょう」と続ける。

 俺も愛理もあまりのスピード感にぽかんとしたまま、「は、はい」と答える。自分の想定していたこととは言え、D社の時の決裁までの時間とはまるっきり違う。


 しばらく開発部長を話をしてから、俺達はF工業を後にする。


「なんか一瞬だったね。ハタナカ君の言った通り」

 愛理がさすがに気が抜けたのか、はーッと大きく息を吐く。

「まだ一件だろ。次もこんな感じで即決してくれるといいけどな」

 俺達はこれまでに三社に営業を行い、成約したのはF工業が初めてである。創業者支援融資の返済分と人件費を賄うために、少なくとも数件同様の契約を取る必要がある状況のため、それほど喜んでばかりもいられない、のだが――


「……そんな目で見るな」


 はぁ、とため息をつく。コーヒーショップライフテクノロジーズとしての初めての成約で得意気になっているのか、愛理がにこにこと満面の笑みでこちら見つめている。

「わかったよ……今日はどっかで飲もう。この後のアポイントもしっかりしたら、だからな」

 俺は無邪気に喜んでいる愛理を見て、もう一度、はぁとため息をついてから、次の営業先に向かった。




二十二の三、  去るもの、見送るもの




 俺達がレンタルラボに戻る頃には、崎村と飯島も戻っていて、二次審査の様子や初めてのコンサル契約の話などをお互いに説明する。今日営業に回った三社のうち、契約の話まで進んだのはF工業一社だったのだが、それでも初めての成約ということで全員が喜び、そのまま打ち上げに行こうということになった。何故か愛理だけがぶすっとしていたが、その他のメンバーは意気揚々とラボを出る。


 一階に着いて、さぁ玄関まであと少しというところで先頭に居た飯島が止まる。続いて、崎村も足を止める。「どうした?」と崎村のところまで近寄ると、飯島の先、玄関のオートロックの自動ドアの外で見慣れた男が一人立っている。


諸住もろずみ……」


 飯島が怒りに任せて言葉を投げかけようとするのを、崎村が右手で制する。

「どうしたんだ、諸住? 今日は大学じゃなかったのか?」

 俺がなるべく感情を出さないように尋ねる。

「ああ……」

 諸住は俯いて少し考え込むような素振りを見せたあとで、何かを言おうと頭を上げるが、結局、それを口に出さずにもう一度俯く。


「大学は……竹ノ内研は辞めてきたよ……」


「それでまたコーヒーショップライフテクノロジーズに戻るってか!?」

 今度は飯島が感情を吐きだし、それを「飯島!」と崎村が注意する。愛理と斎木は普段おとなしい飯島の激高におろおろとしている。

「……いや、そうじゃない。実家の九州に帰るんだ。それで……」

「そうか」と崎村が応える。

「親父が弱ってきてて、実家の農業継ごうと思ってるんだ。それで今日は……こんなこと言えた義理じゃないかもしれないけど、最後に挨拶したいと思って……」

 諸住の目には薄っすらと涙が浮かんでいる。おそらく本心から、そうは思っていないに違いない。だからと言って、俺達に出来ることもないのだが。

「その……本当にすまん……謝っても許されないことだけど……」

 諸住は言葉に詰まりながら頭を下げる。さっきまで感情を顕わにしていた飯島も黙っている。沈黙が続く。




「あれが食いたいな、あれ。牛すき丼玉子とじ飯抜き!」


 崎村が突拍子もなく脈絡のない話をすると、全員がぽかんと止まる。

「……お前、このタイミングで何言ってるんだよ」

 俺がそう突っ込むと、誰からともなく笑い出す。諸住も涙を手の甲で拭って笑っている。俺と飯島、崎村、諸住が今度は突然笑い出したせいか、愛理と斎木がさらにおろおろしている。


 牛すき丼玉子とじ飯抜き――というのは、まだ俺や飯島、崎村、諸住がポスドクになりたての、『食堂で一番コストパフォーマンスの高い飯は何か』という話題になった時に、学生食堂のルールを逆手に取って生み出された裏メニューとでもいうべきものだった。

 今はいくらになったのかわからないが、当時390円で提供されていた牛すき丼に、別のメニューで適用されている『ご飯抜きはマイナス90円』を無理やり適用してもらい、やはり別メニューのオプションであった『玉子とじはプラス20円』をくっつけて、合計320円で牛すき丼の具とつゆに玉子が乗ったものを手に入れ、それを自宅で炊いたご飯の上に乗せて牛すき玉子とじ丼にするというものだった。

 崎村が最初に考案し、それを一緒に食堂に行く皆で真似をして、毎回、食堂のおばちゃんには嫌な顔をされたのを覚えている。


「ああ、機会があればまた一緒に食べよう」

 諸住が右手を出すと、崎村はそれを右手で握る。

「向こうでも元気で」

「崎村たちも……その……これからも、色々大変なことあるかもしれないけど、お前たちは頑張れよ」

 諸住の言葉に、俺と飯島が「ああ」と応える。それを聞いて、少しだけ頬を緩めると、諸住は「そろそろ行かないと。飛行機の時間に遅れる。じゃぁな」と言って、駅に向かって歩き出す。



 夕日で赤くなってきた駅までの歩道を諸住が一人で歩いていく。俺達はそれをただぼんやりと見送った。




(続く)

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