第21話 同業者たち


二十一、  同業者たち



「……まさか、とはね」

 飯島がビジネススーツの襟元に手をやりながらぼそっと呟く。一緒に来ていた崎村は、慣れないビジネススーツに悪戦苦闘しながら、コンビニで買った粗末な透明な傘を折りたたんでいる。


 T大学産学連携プラザ――首都圏生命科学グラントの二次審査は、この二階の会議室で公開で行われることになっていた。新しく加わった斎木の元の職場で、諸住や佐藤が働いているレンタルラボがあり、そして、竹ノ内に敗北を喫した場所でもある。


「君たちも、二次審査?」

 入口で来客用の上履きに履き替えていると、後ろから声をかけられる。見ると人のよさそうな顔の男が、飯島や崎村と同じくビジネススーツ姿で立っている。身長は飯島よりも少し低く、170センチあるかどうかで恰幅が良く、崎村たちを見てニコッと笑うと、左の頬にだけえくぼが出来る。

「君たち”も”、ということはあなたも首都圏生命科学グラントの二次審査ですか?」

 男は「ああ、ごめん」と名刺を取り出す。

「僕は、T工業大学発ベンチャーで抗体医薬の研究をしているS社の代表の室田むろたと言います。今日、此処に居るってことは君たちも二次審査受けに来たんだと思って」

 崎村と飯島も慣れない動作にもたつきながらも、自分たちの名刺を渡す。室田の名刺がきちんと印刷所で刷られたものに対して、コーヒーショップライフテクノロジーズの名刺はインクジェットプリンターで自分たちで作成していたものだったせいか、二人ともなぜか気恥ずかしい気分になる。

「コーヒーショップライフテクノロジーズ? 聞いたことないなぁ。どこの”大学発”ベンチャーなの?」

「いえ、僕らは大学発というわけではないです」

 飯島が応える。おそらく室田と崎村、飯島はそれほど歳が離れていないはずなのだが、なんとなしに敬語になっている。

「え? ……それじゃぁ、どこかの会社の二次創業?」

 二次創業とは、すでに何かしらの事業を行っている会社において、ある部署が、あるいは先代から引き継いだ二代目・三代目などの後継者が、元の事業とは別の事業に進出することを指す言葉で、スピンオフベンチャーなどもそれに含まれる。


 もちろんコーヒーショップライフテクノロジーズはそんなものではない。


「いえ、そういうわけでも……」

 飯島がそう言葉に詰まると、「じゃぁ、何?」と室田は怪訝な顔をする。

「僕たちは個人で資本持ち寄って創業したんですよ。大学も企業も、ファンドも入ってません」

 崎村がそう言うと、室田は一瞬きょとんとした後で、大声で笑いだす。

「はははは、そんな馬鹿な! ライフサイエンスの研究開発ベンチャーで君たちのような若い人間だけで集まって創業だなんて……第一、研究とかどうやってするの? 研究機器も買えないでしょ。どうやって実験するのさ」

 室田はまだ笑っている。あまりの大声に、近くを通っていた別の二次審査を受ける候補者が何事かと見ている。

「……いけませんか?」

 崎村はむっとした顔で応える。普段のぼんやりとした顔が嘘のような真剣さで、室田がたじろぐ。

「ま、まぁいいんじゃないの? 何をするかは”自由”なんだからな。 ……それじゃぁ僕は先に失礼するよ」

 室田はそう言って、二階に上がる。


「……なんだありゃ?」

 飯島も馬鹿にされて気分が悪いことを隠すことなく、崎村にそう声をかける。

「飯島、今の聞いたか?」

「うん? 大学発のくだりか?」

 飯島が首を傾げる。

「違う。アイツ、今、『聞いたことないなぁ』と言ったよな?」

「ああ。それが?」

 飯島が聞き返すと、崎村は険しい顔をする。

「飯島、俺達のプレゼンまであとどれくらいだ?」

「な、なんだよ急に……三番目だから、あと一時間かそこらだと思うけど」

 飯島が腕時計を確認しながら言うと、崎村は自分の鞄からノートパソコンを取り出し、一番近い自動販売機前のローソファーに座る。

「崎村。どうしたんだよ、急に」

「アイツは俺達を見て、『聞いたことない』と言ったんだ。S社の名前は知らなかったけど、このグラントの一昨年の採択者はT工業大学の教授で抗体医薬関連のテーマだった……つまり、あの室田ってやつは一昨年の採択者の関係者で、またこのグラントを取りに来ている……」

 飯島はいまいち要領を得ず、「だから、何だよ」と尋ねる。


「室田は少なくとも一昨年と去年は、おそらくそれよりも前からこの二次審査会に出席していて、一次審査を突破したテーマはだいたいどの辺りで研究しているかを知っているってことだよ。ということは、俺達が今年採択されているT自治体のグラントのように広い分野から募集しているというよりは、このグラントの配分機関である公益財団法人首都圏生命科学コンソーシアムの参画機関のなかで内々にという意味合いが強いのかもしれない……だとしたら……」


 崎村はまるで十本の指がそれぞれ意志を持っているかのような勢いでキーボードを叩く。


「だとしたら、前のT自治体グラントと同じようなスライドに少し専門的なデータをつけただけのこのままのプレゼンだと――まず100%通らない。俺達の提案が彼らの考えている研究開発のレベルに達している、しかも生命科学分野でホットトピックであることを示さないと……くそッ、審査委員が公表されていないからって、コンソーシアムの参画機関見ればだいたい想像ついたはずだったのに」


 そうぶつぶつ言いながらも、崎村はすさまじい勢いで発表スライドを修正していく。

「飯島、この間のT産業技術センターでのデータ、今持ってないか?」

 崎村は飯島の方を見ずに尋ねる。

「この間のデータ? クラウドストレージに入れてあると思うけど、ちょっと待って……」

 今度は飯島がノートパソコンを取り出し、急いで作業を始める。

「今、そっち送ったぞ。確認してくれ」

 崎村は返事の代わりに右手を軽く上げ、発表スライドの修正を続けている。



 しばらくすると、他の候補者らしきスーツ姿の男女が何人もT大学産学連携プラザに入ってくる。大半の人間は崎村と飯島を見ても、無表情のまま、あるいは一緒に来ている同僚と話をしながら二次審査会場である二階の会議室に向かう。


 そんななかで、一人の男が崎村の近くで立ち止まる。


 白系のスーツに濃い青のカラーシャツ、茶色い髪は大きくウェーブしていて、顎にだけヒゲが生えている。男は作業を続ける崎村を見下すように見ている。飯島がそれに気づいて、崎村の左腕をちょいちょいと叩いて合図を送る。


「……ったく、スライドすらも間に合わないような奴が此処に来るんじゃねぇよ」


 嫌味ったらしく男が言う。崎村はきっと男を睨んで「何か?」と返す。


「この会場は生命科学分野の一線の研究でビジネスを興そうって人間が、自分の研究をプレゼンして金貰うって場所なんだよ。来ている同業者全員が敵で、皆、真剣だ。お前らみたいな学生みたいなノリの奴が来ていいところじゃねーんだよ。ジャリ」


 それだけ言うと、男はふんッと二階の会場へ上がっていく。言い返すつもりでいた崎村が、肩透かしを食らった格好になり、奥歯を噛みしめている。




「……何というか、嫌な奴だな」

「ああ、お前と意見が合うのは珍しいな。うん、嫌な奴だ」

 飯島が同調する。

「しっかし、バイオベンチャーってこんなのしかいないのかよ」

 飯島が呆れたように続けて言うと、崎村のツボにはまったらしく、声を上げて笑い出す。


「ほんっとにそうだよな。俺は――まぁお前もだろうけど、大学の研究室しか知らなかったから、ベンチャーの世界がこんな感じだってまったく知らなかった。どこどこ大学のいわゆる大学発だったり、大企業のスピンオフだったりするのに、いや、もっと言えば、俺達のように食うに困ってるわけでもないのに、わざわざ会社作ってまで、こんな自由の少ない縛りのなかで生きてるのか。ホントに馬鹿馬鹿しい」


 崎村はスライドの最後の修正を終えて、ノートパソコンを閉じると背伸びをする。その顔はさっきよりもすっきりとしていて自信に満ちている。



「2000万って金はあんな風に『こうじゃなきゃダメだ』なんて自分たちの殻に閉じこもってる奴らにはもったいない――だから、俺達で全部いただくとしよう」




(続く)


 

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