第20話 蠢くもの


「……えっと……一度、お会いしましたよね?」

 俺は目の前の女性にそう伝える。レンタルラボ一階の共用の会議室で事務担当の採用試験をしていた俺は、二人の応募者を面接した後で、三人目、最後の候補者の顔を見て驚く。

「はい。履歴書の通り、T大学産学連携課で非常勤職員をしていました。そして……御社と竹ノ内教授との案件の担当をしていました」

 斎木真奈美さいきまなみと名乗ったその若い女性は、確かに俺達があのT大学産学連携プラザであった職員の一人だった。契約書の詰めなどの作業は別の人物が担当していたため、それほど一緒に仕事をしていたわけではないが、珍しくて印象に残る眼鏡をかけていたため――今日もそれをしているが――よく覚えている。

「あの、変な言い方ですけど、どうしてウチなんかを?」

 俺がそう尋ねると、斎木は少し俯いて自分の膝の上で両手の拳をぎゅっと握ってから、口を開く。

「あの日、御社が来られて竹ノ内教授がD社と御社との三者共同研究の話を断った一か月後、今度は竹ノ内教授からD社との共同研究の契約案が送られてきたんです。でも、その内容は……その……御社のものとほとんど同じで……」

 俺が「ああ」と言うと、「ご存じだったんですね」と返ってくる。

「私はいくらなんでもこんなことがあっていいのかと思って、上司に相談したんですけど……逆に叱責されてしまい……」

 そう言うと斎木は、もう一度俯いてしまう。

 産学連携課の職員がどのくらいの立ち位置なのか――学生やポスドクの頃にはほとんど世話になったことがないこともあって、わからないのだが、竹ノ内の『工学部の学部長』という職位からすれば、どのような力が斎木に働いたのかはなんとなくは想像できる。俺もしばらくかける言葉を見つけられないでいた。


 ガチャリと貸し会議室のドアが開く。


「あーごめん、最後の人だけ間に合ったか」

 ぼさぼさ頭を掻いてまたいつもの通りフケをまき散らしながら崎村が入ってくる。理工学部チェックシャツの上からショルダーバックを袈裟懸けにしていて、最寄り駅から走ってきたのか、シャツの持ち手が当たる部分に汗が滲んでいる。

 身長が180センチに届きそうなくらいあるのに、体重が俺とほとんど変わらないひょろひょろ体形に童顔もあってか、バイオベンチャーの代表という威厳とかオーラのようなものはまったくなく、服装も含めて大学生によく間違われる。俺が「遅いぞ」とたしなめると、またフケを飛び散らせる。

「……で、どこまで話したの?」

 俺は「まだこれからだ」と応えて、斎木の履歴書を崎村に渡す。

「へぇ、T大学の産学連携課……あれ? 前に会いましたっけ?」

「……それはもうやった」

 崎村は苦笑いをしてもう一度頭を掻く。こいつの癖なのでしょうがないのだが、「髪を掻くな。それか髪を切れ」と俺も口癖のように注意する。崎村はそれを気に留める様子もなく、斎木の履歴書を見ている。


「えっと、斎木さん。今回は事務担当の募集なんですけど、ご自分でどの程度出来ると考えていますか?」

「はい。一通りは、おそらく。 ……と言っても、私はT大学が最初の職場だったので民間企業での仕事を全部把握しているわけではないですが」

 崎村は続けていくつかの質問をして、斎木は肩に力を入れながらそれに答えていく。ふふんと履歴書を置き、「畠中は何かある?」と俺に振る。


「斎木さん。産学連携課に居たということは、展示会の業務もやったことある……よな?」


 崎村も斎木も意外な質問だったらしく、えっという顔でこちらを見ている。

「はい。毎年いくつか担当している先生方のブース出展のお手伝いをしていました」

 斎木がそう答えた後で、崎村が「どういうこと?」と尋ねてくる。


「俺達はすでに別の部門で十分な収益を上げている事業会社のライフサイエンス分野への新規事業参入を支援する事業を始めようとしている。だとすれば、俺達が良く知っているライフサイエンス分野の企業ではなくて、”異業種”の会社の情報が必要だ。それを手っ取り早く手に入れるなら、異業種の展示会に行くのがいいと思ってな」


「大学見本市……みたいな展示会ですか?」

 俺の崎村への返答を聞いて、斎木が質問する。

「いや、ああいう”広範囲な分野”のものは避けたい。例えば、食品分野なら食品分野だけが出ていて、同時に行われる会場のセミナーで業界の動向の話があるようなやつがいい」

「はい。そういう展示会の担当もいくつかしたことあります! それにそういうマッチングでしたら、産学連携課でずっとやっていましたし、事務のお仕事以外にもお手伝い出来ると思います」

 斎木がはっきりとした口調で答える。

 俺は崎村がテーブルに置いた斎木の履歴書を取り、それを崎村の胸元に「よろしく」と突きつける。崎村はふーと鼻から息を抜き、また頭をぼりぼりと掻く。



 それから一週間後。斎木のデスクがコーヒーショップライフテクノロジーズに加わった。




二十、  うごめくもの



 斎木が退職のための有給休暇に入ったのと同じ頃、T大学産学連携プラザ二階、インキュベーションルーム(貸し実験室スペース)――


 時計の針は11時40分を少し回り部屋には、コーヒーショップライフテクノロジーズを辞めT大学に戻った佐藤と――もう一人、女性の姿がある。佐藤のパソコン画面を二人で見ながら、佐藤が何かの実験データの説明をしている。

 女は顔を佐藤の左肩の少し上あたりに近づけ、時々、相槌を打ちながらそれを聞いている。ズレた黒縁の眼鏡の位置を右手で直すと、耳にかけていた髪が一束だらりと垂れ、それが佐藤の肩に当たる。甘ったるい髪の臭いと横目に見える白い首筋に、佐藤の意識が一瞬そちらに飛ぶ。


「ふふ。いいデータだよね。 ……でも、蛍光を使った測定の部分はまだまだってところかしら?」


 女はわざと佐藤の顔の近くで間延びしたように話す。佐藤は生唾を飲み込んだあとで、「何度も実験していますが、解像度の問題が――」と言うと、女はそれを遮って何枚かの紙の束を佐藤に手渡す。手渡した後で、佐藤の左手の人差し指と中指の間に自分の指を手の甲に向かって這わす。「あ、あの……」と佐藤がたじろぐのを見ながらにたぁと口角を上げる。



 佐藤は顔を真っ赤にしながら手元の図を確認する。

「……し、しかし中村先生。現状の装置では無理――」

 女は自分の右手の指を佐藤の唇に当て、言葉を遮る。

「やよい――って呼んで欲しいなぁ」

 佐藤は言葉を出せないまま、もう一度生唾を飲み込む。


「ふふ。やよい、。頑張ってね、


 さっきよりも顔を佐藤の耳元に近づけ、女がそう言うと壁掛け時計の針がちょうど12時を指す。それに合わせて室内にアラームが室内に響くと、女が佐藤だけに聞こえるように耳元で囁いたいくつかの言葉がかき消されるのだった。




(続く)

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