第19話 営業プラン
十九、 営業プラン
首都圏生命科学グラントの締め切り当日。
郵送でも提出できるようになっていたにも関わらず、崎村の「直接出したい」という我儘を聞いて、崎村と飯島の二人で提出先である財団に行くことになっていた。俺と愛理でそれを見送る。
「じゃぁ、行ってくる」
「……行くのはいいがちゃんと帰って来いよ。今日は夕方から採用試験の面接だぞ」
俺がそう言って釘を差すと、「もし間に合わなかったら、畠中だけでやっといて」と逃げるように電車に乗り込んだ崎村を見て、(あいつ、そのためにわざと直接持ち込みしたんじゃないだろうな)という疑念を抱く。飯島はいつも通りのビジネススーツの上下なのに対し、崎村は――これもいつも通りといえばいつも通りだが――理工学部チェックにジーンズという恰好なのも、それを助長している。
銀色の車体に三色のラインが引いてある車体がガタンと揺れて動き出すと、ここ一週間はほとんど寝てないはずなのに、どこか活き活きとした崎村と飯島が車内から手を振る。俺達もそれに応えて手を振り、カーブで曲がり車体が見えなくなったところで、レンタルラボ最寄りの無人駅を出る。
「……時間も時間だし、昼飯食っていくか」
「それなら、あっちにある
カウンターに並んで座ると、店の名前の書いた帽子に眼鏡をかけた店主が愛理に話しかける。おそらくこの辺りの店は顔なじみなのだろう。俺はそれを見ながら、出されたおしぼりで顔を拭き、湯呑の熱いお茶に口をつける。
昼間はランチメニューしかやっていないらしく、二人ともそれを頼んで、しばらくぼんやりと店主と他愛もないことを話していると、丸い
そのどれもが旨く、それにそれほど高い値段じゃないとなれば(もっと早くから昼飯はここに来くればよかった)と思う。よほどわかりやすい顔をしていたのか、愛理が「夜は少し高い店だからね、ここ」と微笑む。
入店したのが一般的な昼休みの時間よりも少し外れていたせいか、食べ終わる頃には客は俺達だけになっていた。
「旨かった。今度は崎村や飯島も連れてこよう」
ふぅと息を吐いてから、味の感想を言うと愛理は「でしょ? よかったー」と自分のことのように喜ぶ。
「……さてと、そろそろ会社に戻って”営業プラン”を立てないとな」
「営業プラン?」
愛理が飯台を女将に手渡しながら返す。
「そう、営業プラン。崎村たちが頑張ってるんだし、俺達も”俺達の”仕事しないとな」
愛理はうーんと唸っている。
「でも、だいたいの説明は受けたけど、君たちの……というか、この会社、まだ何も売れるような商品ないんだよね?」
「そうだな。だから、コンサルティングの契約や、受託試験が”売り物”ってことになる」
「でも、コンサルするにしても、作ったばっかりの会社だから、まったく知名度ないわけだし……学会誌とか業界新聞とか、そういうところに広告でも出すの?」
「いや、そういうところに広告を出したところで、客は増えることはないだろうな。そもそも学会誌や業界新聞見ているところをターゲットにしない」
「え? どういうこと?」
気づくと、愛理のことが心配になるのか店主や女将までがランチタイムの片づけの手を止めてこちらに聞き耳を立てている。
「学会誌や専門誌、業界新聞みたいな媒体を読んでいるような企業は、そもそもライフサイエンスをすでに事業にしているか、素養のあるようなところだからな。そこに俺達が出て行ったところで、まず客にはならないよ」
愛理はいまいち納得していない様子で、首を傾げる。
「例えば、自分の良く知ってる仕事場に、『僕たちこの仕事が専門なんでコンサルティングしますよ』という知らない人間が突然やってきても、話は合うかもしれないけど、じゃぁお願いします――には、なかなかならないだろ」
「うーん……そんなものかなぁ」
愛理がそう唸ると、その後ろで店主がそれに同調したようにうんうんと頷く。
「それに、もう一つ理由がある。運転資金を得るためのコンサルティング業務のせいで、本当の目的である細胞活性測定装置の開発が遅れたら本末転倒だからな。俺達は人数が限られているし、なるべく俺達の本来の目的に近い案件だけに絞りたい」
「ん? ちょっと今のところわからなかった、もう一回」
愛理ではなく、女将がそう言う。俺はちょっとびっくりした後で、ふっと息を吐いてから答える。
「ライフサイエンス研究――僕らの専門領域の研究をすでに業務のなかで行っているような企業の場合、もし仮に僕らの会社に仕事を任せるとしても、その内容はおそらく彼らの業務に近いものに限られます。
確かにそれでも売り上げは立つわけですけど、それをいくら積み上げたところで、僕らの本来の目的である機器開発には何も関係ないわけです」
「だから?」今度は店主が尋ねてくる。
「最初から僕らの機器開発が完成した後で、実際にその機械を使って事業をしてくれるような会社の案件だけを受注します。僕らの作ろうとしている機械は、最近話題になっているES細胞だったりiPS細胞だったりを培養、つまり増やした後で、その細胞のなかで”品質の良いもの”を選び出すところで使う機械です。だから――」
「細胞培養に関連する案件だけに絞る……それはわかるんだけど、それとさっきの広告打たないって話と関係ある?」
愛理がそう言うと、三人ともますますわからなくなってきたという顔をこちらを見ている。
「さっきも言ったけど、すでに細胞培養領域で事業展開しているようなトップランナーの企業は、まず、ぽっと出の俺達の話なんか聞かないよ。実績もないし、金も知名度もないしな。
だから、俺達が狙うのは『すでに別の主たる事業を持っていて、新たに細胞培養領域に進出しようとする企業』で、『出来れば、大手じゃなくて中小企業』がいい。D社のような大手だと、決裁が回る間に何が起こるかわからないのは、この間、痛いほど経験したからな。社長や研究開発部長がGoと決めればすぐに仕事が始まるところがいい。
そして、ここからが重要なんだけど――その新規参入のためのコンサル業務をしている間に、俺達にも”ビジネスとしての”この領域の経験が積まれていくし、その過程で依頼先がいざ細胞培養事業に乗り出してきたときに、俺達の開発機械が出来上がっていれば、そちらでもお客さんになるだろ?」
「……なんか、そこまで考えてるんだったら、私が居なくてもハタナカ君一人でなんとかなりそう」
俺の説明に「ああ、なるほど」と相槌を打った後で愛理が言う。
「それはない。愛理は実際に営業として仕事を成約してきた実績があるんだし、俺は営業の現場なんて、D社だけしか行ったことないからな。頼りにしてる」
「うん。頑張るよ」
愛理がそう言うと、何故か店主と女将がにやにやとしてこちらを見ている。
「……かぁちゃん、聞いたか? 『愛理』、だってよ」
「こりゃぁ、愛理ちゃんにもあれかねぇ」
盛大に勘違いしているようで、愛理がそれを慌てて否定する。仄かに茶色に見える髪からのぞく耳たぶが真っ赤になっている。ふと壁にかけてある丸い時計を見ると、少し話し込み過ぎたのか、すでに二時半を過ぎている。
「おっと、そろそろ戻って採用試験の準備もしないとな」
まだわいわいと賑わっているカウンターの付近には聞こえない程度の声でそう呟くと、俺は席を立った。
(続く)
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