第18話 助教公募


十八、  助教公募


「助教の公募? 助教って教授、准教授、講師の次だっけ?」

「そうだな。竹ノ内が教授になって俺達が博士後期課程最後の年の秋、それまでいた助教の先生が栄転して、新しく助教を雇うための公募が出たんだ」

「……もしかして、その助教さんも?」

「ああ。竹ノ内と合わなかったってのもあって、海外に」

 愛理あいりはうーんと唸っている。

「そんなに嫌われる人なんているのかぁ……あれ? でも君たちは会社起こす前はポスドクだったってことは、助教は別の人になったってこと?」

「ああ。俺も含めて竹ノ内研から三人、外部から二十数人が応募して、竹ノ内研出身の俺や崎村じゃない、もう一人のやつが助教になった」

 俺は出来れば思い出したくない顔を半ば強制的に思い出してしまい、眉間に皺をよせ言葉をひねり出す。


「中村やよい――俺達の学部の頃からの同期で、崎村の元恋人だった女だ」


 風がさらに強くなって、レンタルラボの窓がカタカタと音を立て始める。愛理も気になったのか、一瞬、窓の方に目をやって、すぐにこちらに向き直る。

「選考に漏れた俺は、竹ノ内研で同時期に公募していた外部資金を給与の源泉にしたポスドクの方で採用されたんだが……問題は助教の選考過程とその”後”だな」




十八の二、  二年前。T大学大学院工学研究科細胞機能学講座。


 ぺらっぺらの厚さの薄い水色をした長形二号の封筒の下に、国立大学法人T大学大学院の文字と住所が印字されている。俺は院生部屋の自分のデスクの上に他の回覧書類と一緒に置かれていたそれを取って、封を切る。

 そこにはA4の紙がかなり雑に折りたたまれた状態で入っていて、その紙には情報と言えるものはほとんど書かれていない。ただ中段に目立つように太字で、こう書かれている。


 『審査の結果、不採用となりました』


 それ以外は、おそらく定型文の使い回しで、祈るだの何だのと書かれている。送り主はこの大学の人事課で数か月前に俺が公募書類を送った先の担当者の名前が右上の端に書かれている。

 ある程度予想していたためか、俺はそれほどショックを受けるわけでもなく、それを院生部屋の奥のゴミ箱に細かく破いて捨てると、デスクのパソコンを立ち上げ、博士論文の続きに取り掛かる。

(まぁ、受かったのは崎村か、それか余所から応募してきた誰かだろ)

 そんなことをぼんやりと考えながら作業をしていると、肩のあたりをちょいちょいと軽く叩かれる。振り返ると崎村が居て――徹夜したのか充血した目をしながら、右手の人差し指と中指で煙草を持つしぐさをする。

 きっと、煙草をくれということなんだろう。俺は、自分のデスクの広い引き出しから煙草の箱と100円ライターを取り出すと「俺も行く」と言って院生部屋を出る。


 竹ノ内研が入っている工学部の大学院棟を一旦出て、隣接する別の棟の屋上まで非常階段で上がり、簡素な柵を乗り越えると――大学の説明としてはここは常時閉鎖されているのだが――黒い四角柱の灰皿が一つ、ぽつんと置かれている。建物の中から屋上に上がるための扉の脇には『きちんと火の始末をすること』と書かれた貼り紙がしてあって、ここが立ち入り制限区域の中にありながら、公然と喫煙所になっていることがわかる。


 持ってきた煙草を一本取り出し火を点けると、崎村にも渡す。お互い特に何も話すことなく、煙を吸い込んでふーっと吐き出す。

「……助教、ダメだった」

 崎村が先に口を開く。少し意外には思えたが、別の大学からもっと優秀な人物が応募していれば、確かにそういう可能性もあるのだろう。

「俺もだ……ということは、新しく人が来るってことか」と返す。

「いや、そうじゃないよ。助教は”やよい”に決まったらしい」

「はッ!? え、中村!?」

 まったく予想していなかった。というのも、竹ノ内が教授になる前から、田中のじいさんについて研究していた俺と崎村、そして中村はまったく同じではないものの近しい研究テーマに取り組んでいて、お互いの研究の進捗状況はだいたい把握している。論文や学会発表の業績から考えれば、中村は崎村の半分くらい、俺よりもやや少ないくらいしか進んでいない。

「……何かおかしくないか、それ?」

 俺がそう言っても、崎村は口を開かずに頭を左右に振るだけだった。

「普通に考えてみろよ。筆頭著者になってる原著論文(複数の同じ分野の研究者の査読を受けて学術雑誌に掲載された論文)だって、海外の学会での発表も俺達の中ではお前が一番多い。いくらこの間の面接で決まるって言っても――」


「だから、俺にもわからないって!!」


 普段からぼんやりとした感じの崎村が珍しく声を荒げる。俺はびっくりしてそのまま固まる。「すまん」そうぼそっというと、崎村がぽつりぽつりと話し始める。


「俺も自信がなかったわけじゃないんだ。でも竹ノ内が言うには、やよいの方が素晴らしいプレゼンで選考委員会の満場一致で決まった……らしい。ただ……」

「ただ?」

 さっきよりも深刻そうな顔で灰皿の上を凝視している崎村に尋ねる。

「選考委員だった先生から『もう教授会でも決まったことだから』という前置きで今回の件の話があったんだ。その先生が言うには、俺のプレゼンとやよいのプレゼンがで異様だったって……」

「それこそありえんだろ。アイツの研究テーマとお前の研究テーマはそれほど近くもないし。何かの間違いなんじゃ――」

 そこまで言いかけて、俺は一つの怖ろしい仮説にたどり着いて止まる。崎村もそれを感じ取ったのか、こちらをじっと見ている。


(まさか、いくらなんでもそんなことは……)


 仮にも学部の頃から苦労を共にしてきた同期の一人が、自分の教員ポストを得るために、他人の研究計画のプレゼン資料を盗むような真似をするなんて思いたくはない――思いたくない、とそう心の中で何度も念じている。

「……お前、中村とは?」

 崎村はさっきと同じように首を左右に振る。

「助教になると忙しいから距離を置こう、ということらしい」

 俺は上手く言葉を見つけられずに、黙り込んでしまう。もし、大問題になる。俺の考えていることを察したのか、崎村の方から口を開く。

「……もちろん竹ノ内にはもう一度確認してみる。ただ、ちょっと前に出してた四国の私立大学にも面接呼ばれてるし、あんまり波風立てずに、そっちが受かれば静かに出ていくのがいいのかもな」

 俺は「そうだな」とだけ答えると、まだフィルターの少し手前でしぶとく燃えていた煙草を口にして、息を吸う。話の内容が深刻すぎて、まだ完全には頭がついてきていなかった。



 それからしばらくして、崎村が四国の大学に面接に行く頃になると、研究室の周りで奇妙な噂が立つようになっていた。


『竹ノ内と中村が一緒に街中を歩いていて、中村のアパートに入っていったらしい』


 最初は同じ学科の学部生が街中で一緒にいるところを見ただけだったらしいが、その後、時間を経るごとにそれは隣の隣の研究室の院生だったり、隣の研究室のポスドクだったり、そして、ほどなくして竹ノ内研の院生たちのなかにも目撃者が現れ始めた。いつもならそんな痴話めいた噂には興味がないのだが、どうにも助教選考のことと結び付けて考えてしまっていた。




十八の三、 コーヒーショップライフテクノロジーズにて。


「酷い……」

 愛理はそう言うと、手で口を覆って絶句する。

「今考えてみれば、D社でやられたのと同じ手口だったんだろうな。そして、同じく今回のコンサル料のように、崎村を口封じするために竹ノ内は”裏”で動いた」

 愛理が恐る恐る「何を?」と尋ねてくる。俺は目を伏せて、あの日、院生部屋に怒鳴り込んできた竹ノ内と、目の前で破かれた封筒、そして悔しそうに顔をゆがめる崎村を顔を思い出す。


「崎村が受けた面接先の大学に『こちらで先にポスドクとして雇うことが決まった』と先に連絡したんだよ。崎村の手元に『採用通知』が回る前に、な」


「そんなことって……」

「そうやって、崎村は俺や他大学から採用した飯島たちと同じく、竹ノ内が高額機器を買うために用意していた”スケープゴート”としてのポスドクとして雇われることになった。 ……ここからは単なる勘だけど、竹ノ内はこのマイクロデバイスを用いた細胞機能の連続測定技術の研究を進めてきた崎村が他の大学に移ることを怖れていたんだろうな。それで一年間飼い殺しておいて、自分が欲しい機械と相殺させるのと同時に、解雇するタイミングさえ計れば一般的な大学の教員公募のタイミングともずらせて、崎村がすぐに別の大学で研究することを防げる――ってわけだ」

 自分で言っておきながら、そんなことのために崎村や俺達があんな目にあったと思うと、ふつふつと竹ノ内に対する怒りが込み上げてくる。


「何か……こういうの、本当はよくない動機なんだろうけど、私たち”勝とう”ね」


 何かを察したのか、そう言って両手の拳を握る愛理を見て、俺は少しだけ口角を上げ、「ああ」とだけ答える。



「あ、雨あがったみたいだよ、ほら」



 愛理が指さした窓のその先には、さっきまでの雨と風が嘘のように止み、雲間から一本だけ光が差し込んでいるのが見えた。




(続く)

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