第16話 俺達の研究
十六の一、 D社本社プレゼン六日後 T大学産学連携プラザ
「……こんなのって、許されることなんでしょうか?」
短く切りそろえた髪に眼鏡をかけたスーツ姿の女性職員がつぶやく。”つる”の部分に凝った意匠が施されていて、全体的におさえめの恰好をしているためか、その部分が目立つ。
「ちょっと、そんな物騒なこと言わないでよ。……私たちがどうこう出来る問題じゃないでしょ? ただの非常勤職員なんだから」
そうですけど、と最初に声をかけた職員が不満げに言う。
「そんなに疑問あるなら、課長か教員の先生にでも聞いてみたら?」
年配の女性職員がため息と一緒にそう言うと、「そうしてみます」と答える。
「いや、そんなのこっちでどうこう出来る問題じゃないし、
産学連携課に配属されている特任准教授が慌てた様子で、斎木と呼ばれた眼鏡の女性職員に強く指示する。
斎木たち産学連携課の職員の多くは、土日・祝日などがあれば月給がその分引かれる日給月給制の『非常勤』職員で、しかも一年契約で毎年契約更新するかしないかは年度末の二月にならないとわからないような不安定な立場にある。この准教授も、土日・祝日などでは月給が変わらない常勤職員ではあるものの、三年契約で同じく契約更新されるかどうかは最終年度末にならないとわからないという、任期の定めのある教員、所謂『任期付き教員』である。そんな非常勤や任期付き教員の契約更新を審査するのが、常勤で任期の定めのない――つまり、定年制の常勤職員である竹ノ内教授をはじめとした大学の執行部となれば、この准教授の懸念ももちろん理解できる。
「しかし……先生。こんな民間企業の研究を横取りして、しかもそれを使って大手企業と共同研究契約結ぶなんて……」
「斎木さん!」
准教授は斎木の言葉を咎めるように遮る。
「そんなことが誰かの耳に入って、竹ノ内先生に伝わったらどうするんですか! 自分が担当した案件だからかどうか知りませんけど、そんなに嫌ならこの組織の”外で”やって下さい。いいですね?」
准教授の念押しに、斎木は「はい、わかりました……」と力なく答える。
(こんなの明らかにおかしいのに……)
そうは思っていても、産学連携課のただの非常勤職員である斎木には、准教授の言葉通り、どうにかすることも出来るわけがない。ただ、指示された通りにD社と竹ノ内教授との共同研究契約の書類を、ただのメッセンジャーのように次の決裁権を持つ人物に回すだけだった。
十六の二、 俺達の研究
同日早朝、コーヒーショップライフテクノロジーズ。
中小基盤整備機構の久保から紹介された首都圏生命科学系グラントの申請書類の締め切りに追われていた俺たちは、それぞれが担当する部分を分担して書き上げることにしていた。
とは言っても、俺と新しく入った
当然というか、やはりこいつは帰っているのか疑問ではあるのだが、崎村が先に出社していて、自分のデスクではない場所で作業をしている。
――――佐藤のデスクだった場所だ。
「……何してんだ、そんなところで」
崎村は、俺の問いかけに「おう、おはよう」とあいさつをした後で答える。
「
崎村がぼりぼりと頭を掻くと、いつもの緑と白の”理・工学部チェック”の肩に、白いふけが積もる。今日はさらに多いように見える。
「そんなの今さら調べても――という気もするんだが……」
俺が上着を自分のデスクの椅子の背もたれにかけながら言うと、「まぁね」と崎村は背を伸ばしながら応える。
「確かにそうなんだけど、ちょっと今度のグラントにも関係するんじゃないかと思ってさ」
「どういうことだ?」
「経緯はどうあれ、竹ノ内とD社は『俺達が計画していた研究内容』で共同研究をしているのであれば、それとほぼ同じ内容のものをグラントに出すとどちらからも”攻撃”が来る可能性は高いからな。守秘義務違反とか不正競争防止とか」
「いや、それは俺達の方が先にするべきなんじゃないか? 情報抜かれたのは、こっちなんだぞ」
俺は竹ノ内やD社本社でのプレゼンのことを思い出して、少し苛立って崎村に返す。崎村はそれに対しても、さっきと同じ調子で「まぁね」と飄々とした感じで応える。こいつはあんなことをされたというのに――と、崎村に対しても苛立ちをおぼえる。
「……そんなことを主張しても、『この研究プランは共同研究契約の中で生まれたものではなく、大学院の時に竹ノ内が指導したものだ』と言ってしまえば、勝つ見込みがないわけではないけど、争うには相当な準備が必要になってくる。そんなことをしてたら、先に潰れるのはこっちだからな」
崎村は、佐藤が使っていたパソコンの画面を見ながら答える。
「で、どこまでが竹ノ内に渡っていたかというと――どこまでだと思う?」
崎村が佐藤の使っていたデスクの椅子の背もたれにだらりともたれかかって言う。
「D社でのプレゼン資料が渡っていたんだし、結構なところまでだろ?」
崎村が自嘲気味に笑う。
「そう。何と公設試――T産業技術センター技術支援課の
俺は言葉が見つからないまま、長めのため息をつく。少なくともあの寒空のなかで「会社を作ろう」と思い立ったあの七人は同じ考えを共有していると思い込んでいた。でも、それがそうではなかったという事実を突きつけられると、さすがに落胆もする。
「……なぁ、俺達の研究って何だろうな?」
また突拍子もないところに話が飛ぶ。
「そういう回りくどい言い方、お前の悪い癖だと思うぞ」
そう言うと、崎村はまたぼりぼりと頭を掻いてフケを飛び散らせる。
「竹ノ内が准教授として、前の教授の講座に――俺達のいた細胞機能学講座に来る前からやってた俺達の研究、だよ」
脳裏に温和な60代の教授の姿が浮かぶ。
「だから、一細胞センシング……今と変わらないだろ?」
俺がそう答えると、崎村はにやっと笑いそれに続ける。
「そうじゃないだろ? マイクロデバイスはマイクロ加工が得意な竹ノ内が来てからの話だったはずだ。前の――田中のじいさんの時は俺達はマイクロデバイスを想定していなかった」
「だから、それがどう――」
「ああっ!! 終わらない!!!」
俺が崎村に尋ねようとした瞬間に、最近コーヒーショップライフテクノロジーズの一員となった愛理が大声でドアを開けて入ってくる。
「……どうしたんだよ?」
俺がそう聞くと、キッとこちらを睨みながら答える。
「どうした――じゃないわよ!! あんたたち、よくもまぁこんなに事務書類を整理せずにため込んでたわね。税理士の先生にベンチャー企業向けの格安価格で確認だけお願いするにしても、記録がぐっちゃぐちゃで、もう!!」
いつもの人懐っこい感じの愛理とはかけ離れた感じで叫んでいる。
「……とりあえず、事務仕事のスペシャリストでも募集するか」
崎村がそう言うと、俺も無言で頷いた。
十六の三、 二日後、午後八時四十分。T自治体内、あるアパートの一室
「……うん、大丈夫やけん。心配せんでって。仕事ならすぐにまた見つけるけんが……うん、じゃあね、切るけんね」
電話を切るとスマートフォンを布団の上に放り投げ、自分もそのまま小さな一人用のベットに身を投げる。
「やっぱり来年は新しい仕事探さないといけないのかぁ……」
斎木は昼間に准教授に呼ばれ、彼が話した内容を思い出してそうつぶやく。
来年度の雇用はない――ということだった。
今の時期にそう告げられるのは異例で、あの竹ノ内教授への疑問についての話が影響しているのだろうと何となく察する。しばらくベットの上でゴロゴロと眠ることを試みた後で、やっぱり眠れずにパソコンの電源を入れる。前に使ったことのある求人情報サイトにアクセスして、そこに並んでいる求人案件をぼんやりと眺めていく。数分後にそれを見つけて、「あっ」と声を上げる。
『事務担当の正職員募集。コーヒーショップライフテクノロジーズ』
(続く)
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